映画

映画・テレビ

2011年1月10日 (月)

ヤマトとか二百三高地とか最後の忠臣蔵とか

お正月に映画でも、ってわけで観にいったのが「宇宙戦艦ヤマト」。
いろいろアレな評判を聞いてしまい、でも伊武雅刀がデスラー総統として登場しているって聞いたんで、ってそれだけで観にいったんです。

ええデスラーさまのお顔が拝めたんでそれだけで満足しました。例のお顔のお色も水色っていうか、水の色ってのもアリですし。

ただアナライザーが最後に戦闘ロボット化してたのはちょっと・・
アナライザーは間に合わない分析とツボをはずした助言がナンボであって、
本来勤務時間中にお酒は飲むは森雪限定でセクハラはするはのトンデモではあっても、たとえ敵でも、敵がどんなバケモノであっても、本来アナライザーは人殺しはせんと思うんよ。

酒は飲まんしセクハラもせんけど、大量殺戮しちゃうアナライザーは違うと思うんよね。

まぁ今回のヤマトを叩いてるひとは
「自分はこんなことを知ってる」
ってことを自慢したいひとが多いと思うんだけど、ね。
大枠で世界観は踏襲してると思うし、リメイクされるたび劣化してる今までのヤマトに比べると原点に戻ったというか、ヤマトへの愛は感じられたというか、
マシじゃないかとは思う。  (断言

その夜、口直しってわけでレンタル屋さんで借りてきたのが「二百三高地」w

いえ、「坂の上の雲」を観ているうちに辛抱たまらんようになってきて、ってわけ。
やっぱ違うわ~~感動やわ、って家族で映画鑑賞会を楽しみつつエンドロールでびっくり。
監督は舛田利雄だった。
・・というか、名作「二百三高地」も昔ムカシのアニメ版「宇宙戦艦ヤマト」も、監督は舛田利雄だった。

日本映画はときどきこういうことを平気でやってくれるから驚く。

で、昨日わざわざ赤穂までいって観たのは、「最後の忠臣蔵」。こだわりすぎw
わりと年配のお客が多くて、なかには後期高齢者というか「最後の忠臣蔵」が忠臣蔵の最後、って冗談が洒落になんないような方々ばかりで、わくわく感が半端じゃなくて。
AKO47+1でAKO48のステージ登場を待つw

「てっぱん」で家出妊婦が産んだ子を娘として立派に育てた安田成美が、こっちでも出自不明の赤ちゃまを立派に世話する元夕霧太夫としてご出演。

そんでもってこっちでも伊武雅刀がなんでもすべてお見通し、な進藤長保として大活躍。
総統~~!!ヤマトでももっと活躍してほしかったよ~

でもさっすが忠臣蔵の本拠地よね。もともと
「さあ、思う存分泣いてください」
って映画なんだけどさ、元赤穂藩士の云々かんぬんってなると周囲のそこかしこから話し声や泣き声が洩れてきて、終わりにさしかかるにつれてもうすごいことになってしまい、ここはどんなお通夜かと。てか隣で観てた夫(地元出身)も半分号泣状態で、涙ぼろぼろ声を必死んなって押し殺してんの。

とてもおっかしかったでした。おわり。

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2010年8月12日 (木)

マイマイ新子と源氏の魔法

「マイマイ新子と千年の魔法」DVDで見る。
父清原元輔が国司として赴任した防府時代の、清少納言の童女姿が見られるっていうんで、ぜひとも!って感じだった。

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物語は昭和30年代。青い麦畑のひろがる国衙跡の遺跡の周辺に住む古い村落の人々と、昔は青い海だったという一帯に進出してきた工場の社宅に住む新興の人々。
知り合う前に死んでしまった遊び相手に恋焦がれる千年前の少女と、そんな彼女に思いをはせる千年後の少女たち。
時空を超えて彼女たちが交わることは決してない。清少納言はまだ自分が何者かに気づいてはおらず、遊び相手の女の子と遊ぶつもりだった人形の着物をつくり、着物の切れ端を川に流す。千年の時を流れ赤い切れ端は金魚になり、千年後の少女たちの心の慰めになる。その金魚もやがて死んでしまうが・・というようなお話か。

絵の美しさはジブリの「トトロ」だし主人公の妹なんかリアル「蛍の墓」の節子だし。
でも、どこがいいって時々挟み込まれる清少納言の周辺の世界がいい。
元輔さま!は和歌を披露してくださるし、
土豪?のおじさまはいい味だしてるし。
これは枕草子のあの場面、これは更科日記にありそう、もう一息で堤中納言物語だ!、いや~この場面はどうみても源氏物語だぞ! こうきたかっ!、
って感じで、私としてはそういう場面を映像で見ることができ大大満足。

・・清少納言や紫式部を思うとき、こんなふうに彼女たちも千年後のことを思ったりすることあつたのかな。
そんなことを思った一編。

もちろん見どころはこんなところじゃない、もっと別なんだけど。
たとえば昼のつつましく勤勉な大人たちが、一方で我欲にまみれ情け容赦なく醜い姿をさらけだす、そんなエピソードのあれこれなんか、ジブリには不可能だろうな、って思う。

麦畑でひとりで「潜水」したり、落ちた川の底から青空を眺めたりする主人公の姿が忘れられない。
物語にはさまざまな「死」が繰り返し描かれているが、それらの「死」にさきだって、「死」を志向しているかに見えるこの主人公の遊びの場面は強烈に美しい。

ま、主人公が高樹のぶ子自身だとしてそれはいいけど、主人公が清少納言と心をかよわすイメージの数々がちょっと・・
・・清少納言の後継者はわたしよっ!
って意味じゃないよね、もちろん。

生田斗真の光源氏で「源氏物語」をするらしい。
ワイヤーアクション・・? CG使うって・・?
え?安倍晴明 も出てくるの・・?

・・陰陽師や怨霊なんかとばったばったと戦いまくる光源氏って。

・・まんま「パタリロ源氏物語」じゃん。
それならそうで、やれんならやってみんかい!って感じだけど。

パタリロ源氏物語! (1) (花とゆめCOMICS (2718))

買ったきっかけ:
・・長男がひそかに買ってた呆

感想:
魔界の闇の勢力VS光の源氏
源氏をバンコランがするのはいいけど、アスタロトを出してほしい。

おすすめポイント:
一人でかっこいいサルガタナス。
あいもかわらぬベールゼブブの負けっぷり。
頭中将のファンのわたしとしてはちとつらい感のあるヒューイット(でも好演)

パタリロ源氏物語! (1) (花とゆめCOMICS (2718))

著者:魔夜 峰央

パタリロ源氏物語! (1) (花とゆめCOMICS (2718))

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2007年7月14日 (土)

台風の前

・・マンションのバルコニーはただでさえ風のあたりがきついので、最強クラスと噂の高い台風の来る前に薔薇をなんとかせねばと、朝からびしょ濡れになりながら数十個の鉢をあっちへ置いたりこっちへ運んだりする。春に一番花が咲いてから二番花三番花と次々に絶えることなく咲いてくれている薔薇たちは今朝もおおきな花をいっぱいつけてくれていたが、風の強いときにおおきな花を持っていては大きく揺れてあまりに可哀想なので、片っ端から手で花をちぎってまわる。ちぎった花だけで塚ができそう、とまではいかないが、結構な嵩になったのも可哀想なはなしではある。何日も雨風にさらされててもまだかたちがきれいに残っているのを選んで部屋に持って入れて花瓶にいける。とはいえ今はもう夜だが、花びらにまだ水滴がいっぱい残っている。

それから夫とふたりで大雨をついて映画に。「パイレーツ・オブ・カリビアン」。
おかげさまで仕事の山場はなんとか無事に越すことができ、後は退職を待つのみでよかったんだが、今までたまっていた疲れがドッとばかりに出たのだろう、帰宅してから泥のように寝込んでしまう。
うちの子供たちは幼いころ、映画に連れて行った夜はよく興奮して夢を見ては大泣きしたりしたものだが、わたしも同じなんだろう、映画の場面の続きのような夢をいっぱい見て苦しむ。
映画については突っ込み満載で、それはまた後日。

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2007年5月12日 (土)

バベル

映画「バベル」を観にいったあと、夫と一番はげしく言い合った問題ってのはずばりこれ。
舞台がメキシコに移ってすぐ、ちらっと一瞬だけ写った縞馬。
あれ本物? それとも馬かなんかに黒いスプレーで縞を描いただけのもの?

わたしは断然白馬にスプレー派。夫はきっと縞馬にはあんな品種がいるんだ派。

議論白熱して両者一歩も譲らず。

とはいえわたしには最終兵器みたいな証拠写真があるんだ。

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記事はここ など


どうでもいいけどこっちが本物の縞馬。


かの国サイドは馬にペンキなんてありえません、と強固に主張しているらしい。
そうだろう。そもそも白馬は馬じゃない( 「白馬は馬に非ず」@公孫竜)んだもん、てか。


縞馬の縞がずれゆく春の暮 渡辺誠一郎

縞馬に跨がり父を知らぬといふ 中烏健二

いえ、「バベル」には縞馬に跨る場面なんてありませんでしたけどね。

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2007年3月16日 (金)

うなぎパイ

サザエさんでもドリフのコントでも、世の酔っ払い父さんってのは大概千鳥足でお鮨なんかの折を持ってご機嫌さんでご帰宅、ってのが定石だけれど・・

転勤そうそう東京日帰り出張の夫。出先からなんの電話かと思っていると、
「おみやげ、(ひよこまんじゅう)と(東京バナナ)と、どっちがいい?」
・・・。

おみやげを披露するやいなや子供達、さっそく人数割りしてお互い仕切りまくる。
こんなときさっさと自分の取り分を持って自室のどっかに隠すのが次男。
先日部屋の掃除をしてやったとき、部屋のあちこちから出るわでるわ・・チョコレートにお饅頭、煎餅。まるで鵙のはやにえ状態。

そんなことはさておき。

夜のお菓子、その名も高き「うなぎパイ」。
夫からのおみやげなんだけど、先日ひさしぶりに食べながら思ったこと・・
『魔女の宅急便』にでてきた「ニシンのパイ」。
おばあさまが孫のためを思って苦労して作って、主人公が雨の中一生懸命になって届けたパイを冷たく一瞥するや、当の少女によって放たれた会心?の一撃、
「わたし、このパイ嫌いなのよねー」
はアニメ史上空前の名せりふ、だと思うw

うわさによると「ニシンのパイ」は大層おいしいものだという・・
なのに、なぜ?
 
たとえばニシンにトラウマでもあったのか。というか、本当は好きなんだけれどパーティーに来ている友人たちには知られたくないような秘密とかあったのでは、とか。・・たとえばあの一族、お金持ちそうに見えるけれど実はニシン漁でもうけた新興成金で、あのお屋敷も名づけてニシン御殿。その出自を恥じて?友人たちに隠したかった、とか。

少女の心は謎に満ちている・・
「魔女」以上に魔女なのは少女の心だ、と思いつつ食べるおいしい「うなぎパイ」なのであった。


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2007年1月30日 (火)

大臣発言やらマリー・アントワネットやら

某柳沢大臣の「子供を産む機械」発言が大騒ぎになっているが・・

子無きは去れだの嫁は仮腹だの、女のことを機械どころか子供を得るための道具扱いするはなしは今もって現実としてあるわけで。

偉い女性議員たちが与野党こえて怒ってるニュースが報道されてるが、それがなぜかどれも子供のいない方たちばかり。
子供を生んだ、じゃなくて産んだ方々の意見も聞いてみたい気もするが。

・・わたし自身は産んだというより「授かった」という気持ちが大きかったっけ。
縁あって天から授かった子供を愛し、世間さまの役にたつ人間に育てて、返す。
子育てってのはそういうもんだとおもってきた。

このごろは授かる、という言葉はつかわず「子作り」というらしい。できちゃった、とも。
こういう言い方から「機械が作る」という発想はもうすぐだろう。
いわく、少子化で女性が子供をつくらないのなら機械がつくればいいじゃない。

+

というわけで映画「マリー・アントワネット」を観て来た(笑

マリーアントワネットのわがままや浪費の原因のひとつが「子供がさずからなかったから」というのはマンガ『ベルサイユのばら』おたくに刷り込まれてきた信仰?のひとつだろうが。

マリー・アントワネットというよりポップでキュートで傷つきやすい、人のいい「マリアン」といったほうがいいような映画ではあったか。
すくなくともただの贅沢すきで空気の読めない馬鹿女ではなく、痛々しいほど人間的で傷つきやすい、聡明で心やさしい品位ある女性として描かれていたのはよかった。

画像がとにかくものすごく美しい。前半のはっちゃけてた衣装やお菓子や靴のパステルカラーの色の氾濫。うってかわって後半の、沈うつなほどシンプルでナチュラルな自然描写。

原作というよりむしろアニメ版の方のベルばらを彷彿とさせたのはなぜ(笑

なおこの映画については「ベルばら」の作者のコメントとして

池田理代子 - 2007/01/14(Sun) 23:31 No.13787 「 あの映画につきましては、内容が納得がいかないので、私としてはお勧めできませんし、いかなる宣伝にも『ベルばら』と重なることをお断りしておりますので、念のため。 」
さらに
池田理代子 - 2007/01/17(Wed) 10:50 No.13813 「なお、映画についてですが、やはりあらゆる方角から何とかあの映画に『ベルばら』を結びつけて巧妙に宣伝に利用しようとする動きがあるので、もめごとになることもあり、そのことを告知したまでです。」

なる公式サイトでのお言葉があるが。

でも買った映画のパンフレットにさりげなくかかれてましたよ、「ベルばら」( ´ー`)ノ 

・・それにしても映画のなかにでてきたビジェ・ルブラン夫人描くマリアンの肖像画、顔ひどすぎなのには笑ったw


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2006年11月18日 (土)

ささやかな

WEBの上では会場がどんなに遠方でも参加できるというもので、とはいえPCがポンコツではどうにもならず、途中休んだりしながらもぼつぼつ、参加させてもらっている句会がある。

今月のお題は「手帳 ノート 本」。
・・季語を考えるのが大変すぎw
というわけでこの三句を提出。

ささやかなことのみ手帳に書きて冬   みほ
もう逢わぬと手帳に記してのちの冬   みほ
あたらしきノート開けば秋は白   みほ

芸なさすぎ。
せっかく「ノート」ってお題がでたんだから、話題の映画「デスノート」ものでもつくればよかったんだけど(笑

・・点をいただいたのは「ささやかなことのみ手帳に書きて冬」のみ。
専業主婦@引きこもりがち の手帳といったら、パンジーの種をまいただの植え替えただの挿し芽しただの薔薇の苗を買っただの自転車がパンクしただの。
小春日和の陽だまりのようなたわいないことばかりで、そのまんま一年たってしまったなあ、と。
もちろんわたしにも分不相応なすっごいことが!イロイロ!!あったりしたもんですが・・
過ぎてしまえば小春日和の陽だまりのようなもので。
それだけのこと。

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2006年10月25日 (水)

境港市短歌大会に行ったよ 3

唐突ですが映画「TANNKA」をツアーで観にいきませんか、といいだしっぺしたのは不肖わたくし。
だってここしばらく映画なんか子供たちといっしょに子供むけのんしか観にいったことってないし、ひとりで観にいくの、なんだかとっても微妙に怖そうなんだもん。

女性の率直な心情の発露として物語に余韻を残す短歌と、妖しく燃え上がる女性の官能美の象徴としてのベリーダンスが全編に印象的に盛り込まれ、黒谷友香×阿木燿子×俵万智による<肉体と映像と言葉>のフュージョンが<女を目覚めさせる映画>として、この秋、しなやかに誕生する。 (公式サイトより)

・・やっぱ怖いよ(笑
いやマジ真剣に、誰かわたしを連れてってほしいw

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2006年9月25日 (月)

映画をみてきました

・・どうも秋晴れのさわやかさに気力・体力がついてけないようなこのごろ・・
パンジーやらキンギョソウの種を蒔いたら芽が出てくれて、それはうれしいだけど・・100株ちかくだぞ。どこに植えろと。

それより映画。古いふるい、いまから30年はむかしの映画を見てきました。
「二つのハーモニカ」。原作者は「をだまき」の川口汐子先生。
わたしが長い間引きこもっていたから川口先生とお会いすることもしばらくなくなってしまっていたが、会えば必ずご挨拶させていただいていており、そんなわたしのような者にも気さくに声をかけてくださるやさしい方だ。
しかしこんな映画の原作も書いておられたとは・・
上映まえのご挨拶にも出ておられましたがとてもお元気そうでうれしかった。
花でも用意する予定だったのに・・出かけしなに用事で果たせず。つくづく残念。

内容はよくある特攻ものだけど・・
なんともいえず、いい映画だった
基地の或る村のたんたんとした日常。ケレンミのない演出。
元気な村の子供たち。校長先生。郵便局員。
疎開の兄弟の負う暗い影すら、夏のあかるさに瞬時のきらめきをみせます。
音楽のようにずっと聞こえてきた小鳥たちの声が、
「死出の田長」
といった異名の鳥の声もあったろうか。
いさましい場面も、不条理な暴力も、戦争反対の怨嗟の声も、悲憤慷慨をさけぶひとも誰もいない、心根のいい人たちばかりでしずかに、しずかに奏でられる死の物語。
・・席の隣の方がずっと泣いてて、それはそういう経験がそのひともあったかららしくって。
そういう意味でも、誰もが体験したある夏の物語という感じで、印象深かった。
子供向けにつくられた映画らしかったが・・
う~ん。おそるべし、むかしの日本映画。
大人むけの戦争映画がなんじゃい! 今こそ、大人こそ観るべきだ。
と思ったことでありました。

+

とはいえ、今じゃぜったいNGものの全裸の子供の遊泳シーンや、おなじく上半身裸の女の子・・しかもおぼれる、なんて場面にアチャーって思ってしまった時代のゆがみが、つくづくなさけない。
フィルム劣化がなんとも惜しかったが・・
きにしないでぐいぐい、画面に引き込まれた。
いい映画だった。

+

帰りしな、偶然岸上大作の高校生時代の短歌部の顧問の先生がおられ・・
車でお送りする。

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2006年7月31日 (月)

こころをなにに

「それが私の心だ」なるメモが発表されて、水色のきれいなインクで書かれた昭和天皇の「心」について思いをはせるこのごろ・・

発表された「メモ」のページに、歌人佐伯裕子の祖父、土肥原賢二の名前をつい探してしまった。(載っていないみたいでホッとした・・)

悲痛そのものの『家族の時間』(北冬舎)に描かれた、A級戦犯の家族たちの夏はまだおわらない・・ 詳しくはここなど

そんなおり、このごろよく聞こえてくる「♪心を何に例えよう」って歌が気になっていたら、
萩原朔太郎の『純情小曲集』の「こころ」が 出典らしい・・

こころ  萩原朔太郎

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

わたしの好きな、「こころ」の歌。

こころなき泉の精となり果ててきよきをのこも影とのみ見む 水原紫苑

さて、話題の映画「ゲド戦記」だが、主人公ゲドが菅原文太で「外道戦記」だったら、親分を刺してしまった若頭が日本刀持ったまま逃亡して、流浪して、大親分(菅原分太)に拾われて、「竜」の代紋の組との死闘だのなんだのがあって、緋牡丹お竜顔に傷あるおなご衆と愛し合って・・ってお話になるんかいな。

そのおなご衆が鬼竜院花子だったら、

「命を大切にしやーせん奴なんか、大嫌いだ」  (高知弁) って見栄をきるんだね。

広島抗争篇やったら、「命を大切にせん奴なんか、大嫌いだ 」 (広島弁)だし。

祇園あたりの可憐な芸者だったりしたら「命を大事にしへん奴なっと、大嫌いや  (京都弁)」

方言置換道場 ここ より

・・ゲド戦記は一応全巻読んでるけど、ブームになるずっとずっとむかしのことで、・・どんな話だったか(笑 

とにかく光=善、影=悪、という画一的な欧米的な世界観を逸脱というより統一したような、ひとすじいかない複雑な物語世界が面白いといえば面白く、なにせ日本は「日本」といいつつ一方では「陰影礼賛」の国だからね。ファンタジーといっても間違ってもディズニーランドあたりでアトラクション化されたりしない種類のタイプなのは確か。

最終巻までやってほしいなあ。魔法をつかえなくなった老ゲドの悲痛、素手で戦う男の強さセクシーさなど菅原分太のはまり役だろうし。

『テルーの唄』  作詞:宮崎 吾郎  作曲:谷山 浩子  歌:手嶌 葵

夕闇迫る 雲の上 
いつも一羽で 飛んでいる
鷹はきっと 悲しかろ

音も途絶えた 風の中
空を掴んだ その翼
休めることは 出来なくて

心を何に例えよう
鷹のような この心

心を何に例えよう
空を舞うような 悲しさを


人影絶えた 野の道を
私と共に 歩んでる
あなたもきっと 寂しかろ

虫も囁く 草原を
共に道行く 人だけど
耐えて物言う こともなく

心を何に 例えよう
一人道行く この心

心を何に たとえよう
一人ぼっちの 寂しさを

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