本と雑誌

2009年5月 9日 (土)

体罰

むかしむかし。
そういえば教師をサービス産業従事者、って真顔で言ってた高校生がいたっけ。
生徒は金を払ってるんだから生徒は神さま。教師は金を払ってもらってる生徒にサービスすべき。教育は金を媒介に消費され、取引されるサービスなんだからと。
もちろん「教育は金を媒介に消費され」なんてムズカシイことはその子、言ってないけどさ、
そのあと読んだ内田樹の『下流志向』から補っただけだけ。
真剣にびっくりした。あんときのあいつ、バカなくせにまさか内田樹を知ってたんかい、とv

ほんたうは何を吐きたき今日は子のつばに汚せるブラウスの胸 辰巳泰子『紅い花』
女教師の髪燃えあがる学校もあると聞かされ何を慰む 〃
「校内暴力」と題された一連から

天草での体罰事件での最高裁での判決(判例ここ)。これゃ当然だろ、体罰されて当然。女の子を蹴ったり注意した教師のお尻を蹴ったりしたほうのガキが悪い、失礼なことしでかしたせいで大人にキレられて怒られるってこと世間ではよくあることなのにそれで眠れなくなりましたって裁判起こす親もどんだけモンスター(ワラ って風潮ななかでアサヒ・コムきっずは「子どもの権利にくわしい喜多明人教授(早稲田大学)の話」として「子どもの人権侵害についての判断がせばめられたことは残念」とのコメント。

・・?
ちゃんとした指導を受ける機会もなかったからこそこんな子供になってしまったことこそ人権云々だと思えるんですが? 
そういう考えこそ「下流志向」人間を増殖させると思うんですが違いますか?
注意してもわからない、そういう「仕方ない」子供なら仕方ないとしても、
アサヒ・コムきっずを読んでるほどの良い子のみなさんなら本当の人権とはなにか、よくわかっているはずだよねw

+記事引用+

熊本県天草市の小学校で2002年、男の先生が当時2年生だった男の子(いまは14歳)の胸もとをつかんで体を壁に押しあてるなどしてしかった行為が体罰にあたるかどうかが争われた訴訟の上告審で、最高裁判所は28日、「体罰にあたらない」と判断。体罰があったと認め、市に賠償(つぐないのお金をはらうこと)を命じた一、二審の判決を破棄(取り消すこと)し、男の子の賠償の求めを退けました。

 判決によると先生は、男の子が休み時間に廊下を通りかかった女の子をけり、注意した先生のおしりをけったことをしかりました。男の子は食欲がなくなるなどして、一時、通学できなくなりました。最高裁は「指導するためにしたことで、肉体的苦痛を与えるためではない」と指摘しました。

 子どもの権利にくわしい喜多明人教授(早稲田大学)の話 子どもの人権侵害についての判断がせばめられたことは残念。子どもの権利条約では、「子どもは暴力をふるわれたり、むごいあつかいなどを受けたりすることがないよう守られる」と定められており、体を傷つけられることだけでなく、心が傷つけられることからも守られなければなりません。小学生のみなさんは、苦しいことやつらいことがあったら、自分を責めたり、がまんしたりしないで、身近な大人に相談しましょう。

提供:朝日学生新聞社  ここ

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2007年4月15日 (日)

ヤフオクで

大学に行ったきりの長男の部屋に次男が入ることになり、掃除のため開かずの押入れをあけてみたところ「機動警察パトレイバー」シリーズがそろってて、あきれ果てつつも一心不乱に読む。
作中になにげなく描かれてた新聞の日付を見ると1999年7月で、ふと思い出してみるとそれはそれは遠いむかし、本人すらわすれていたことじゃが歌集をだしたことがあり、そのあとがきとかに取り組んでいたころのおはなしじゃ~ないですか、と(遠い目

思い出してごらんあんなことこんなことあったでしょ♪・・結構きつい日々で、毎日のカレンダーを「凶」の黒丸で塗りつぶすだけのようだったきつさを乗り越えることができたのは、ただただ幼い子供たちの笑顔のおかげだった。息をするのも苦しくて、毎日綱渡りをするようにへとへとで、でも子供たちといっしょにいたら幸せで。
そのしあわせをせめてものかたちにしておきたくて。

・・ヤフオクに出てる、と知って探していた。今日ようやくつきとめたときには入札はおわってて。
大阪の歌人が放出したそうな。だれだろ(笑
ともあれ・・知っていればわたしが手に入れたかった。
結局手に入れたのは業者さんらしいけど・・
だれだろう、ほかにも買おうとしてくれた人がいて。いい趣味の本を集めてくれているひとだったらいいのに、などと。

どこの誰だか存知げませんが、これもご縁。たいせつにしてくださいね、と。

おまけ。ヤフオクにアップされてた画像ですが・・
Masato50jpimg600x4501175644451sonorama_0_2

ポップアップできないようにしてます。このほーが奥ゆかしくていいのではないかと(殴

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2007年1月18日 (木)

ドラマ

『坂の上の雲』(三)の冒頭でいきなり子規が死んでしまい、ボーゼン。
子規死後、この物語はぐだぐだになる
と長男が言ってた言葉どおり、なんかイケイケどんどんな戦争物語に突入してしまい、まあいいんだけどね。

と思ってたらドラマになるって! ここ

脚本家、野沢尚さんの自殺によって制作が遅れていた司馬遼太郎さん原作のドラマ「坂の上の雲」について、NHKは18日、09年秋から放送を始めると発表した。11年秋までの予定で全13回。主人公の軍人、秋山真之を本木雅弘さん、兄・好古を阿部寛さん、正岡子規を香川照之、子規の妹・律を菅野美穂さんが演じる。

とな。
好古に関しては脳内で池田理代子『オルフェウスの窓』のユスーポフ候をふてぶてしくしたようなのに変換してたんで阿部寛さんでOK。菅野美穂が律だなんて、子規、あんまりいじめちゃダメだぞ(笑

そういえばファンサイトもあった。ああこれが小説でとりあげられてた写真だな、とかついなつかしく、なんだか見入ってしまう。ここ

こちらここには『坂の上の雲』にまつわるクイズというか検定がうけられる。
わたしもいつかうけてみたいぞ、と(自爆

+

そろそろ学級閉鎖のうわさがあるシーズンにしても・・インフルエンザではなく、ノロウイルスだって。今年はすごいな>ノロ。
うちも受験生を抱えてますので不安です。というわけではないんですが、しばらくネット落ちするとおもいますのでよろしく。

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2007年1月13日 (土)

せりふ

司馬遼太郎の『坂の上の雲』その2、を読んでいる。夢をみてさえいれば幸せだった明治創成期の若者たちの選び取ったあらたなる世界、その発展。面白くってすいすい読める。
登場人物のひとりの正岡子規から目がはなせないのは当然だろうが、

「良句もできるが、駄句もできる。しかしできた駄句は捨てずに書きとめておかなければならない。理由はない。ちょうど金を溜める人が一厘や五厘のお金でもむだにせずにこれを溜めておくのとおなじである。そういう一厘五厘をむだにする者が決して金持ちになれないように、自分のつくった句を粗末にして書きとめておかぬひとはとてものこと、一流の作者にはなれない」

というせりふに、短歌作ったらポイの不肖わたくし、おおいに反省。

さらに

「おどろかされるのは源氏(注:源氏物語)の写生力じゃ。ちかごろ文壇では写実派などととなえだしているが、その写実の上でもいまの小説は源氏にはるかに劣っている」

というせりふ。おなじことは虚子も言ってたらしいが、まさか司馬遼太郎の本でこのせりふを見ようとは。

だんだん日がながくなってきた。いつも夕方になったら自転車を漕いで買い物にいくが、帰り道がほのかに明るい。
今年は暖冬らしく薔薇もつぎつぎ咲いてくれていてうれしいのだが、冬季の手入れ・・植え替えと消毒、の時期がどうにもつかめない。
同じ悩みはおおいらしく、いつまでも薔薇が休眠してくれないので手入れに困る、という声をあちこちで聞く。

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2007年1月12日 (金)

謎解き

先日永畑道子『夢のかけ橋 晶子と武郎有情』読了。やっぱり『華の乱』同様読みづらかった。
高名な文学者どうしのひそやかな愛を後世の人間が解き明かす、っていうはなしだからスーザン・バイアット『抱擁』の重厚さとスリリングさを期待していたが、晶子と武郎ふたりの関係が具体的にどのようなものでどんな程度のもんだったかあんまりはっきり明らかにされてない、というか、不肖わたしには読み取れないってか。
たとえば武郎の心中相手の波多野秋子が

「秋子が、武郎のもとへ来て、春房(注:秋子の夫)が要求している金額を告げた。一万円である」

ってそのころの1万円の価値や、妻を寝取られたときの相手に請求する慰謝料の当時のだいたいの目安や、武郎にとっての負担度とかまるで説明されてないところなど、読者置いてきぼりなところがあると思う。
とはいえ解説で今野寿美が
「はかない終局までのふたりの心情の移りを読みほぐしてゆく永畑道子の筆致には、危うさをはらんだ男女の機微にふれて、ふたりの執心をそのまま映し出している趣がある」

って書いてるんだから、ふたりの男女の機微が読み解けないのはやっぱしワタシが悪いってもんだろう。

それはさておき。
むしろあとがきにあった、武郎書簡編集のおりの、

「与謝野家からは、‘有島武郎氏からの手紙、一通も残っていない‘という返事であったという」

やら、

<実証>を提示していただいたX氏

やらの記述がすごく気になった。
永畑道子はなんと安永蕗子の妹であるという。知らなかった! 今までの暴言どうかお許しを、といいつつ、安永蕗子はたしかむかし推理小説の書評を書いてたとか、ここにも、

安永蕗子氏はかつて、塚本邦雄氏との対談で「短歌は謎解きのおもしろさもあっていい」と言い、そこに文学があるという意味のことを言っている

とあるとおり、もうちっとそれなりのドラマチックなはなしであってほしかったな、とは思う。
とはいえ消えた与謝野家の手紙やその内容や、謎の<実証>って・・それを握るX氏って・・
読後それが一番心に残った(殴

今『坂の上の雲』を読んでる。
それと本家サイトを移転しました。
これからもどうぞよろしく。

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2007年1月 8日 (月)

冬休みもおわり

冬休みもおわり、ということで必死になって宿題を退治てるわが子たち・・
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、ということか、次男も友人宅で泊りがけの雪中宿題合宿なるものを敢行。おかげさまでなんとか無事終了とは本人の言。さてさて・・

今読んでるのはなぜか初夢にでてきた与謝野晶子にちなんで、というわけでもないが永畑道子『夢のかけ橋 晶子と武郎有情』。与謝野晶子と有島武郎の謎めいたひそかなロマンス、というようなおはなし。深作欣二の演出・吉永小百合と松田優作の主演で映画化されてる「華の乱」の原作かと思ったがそうでもなかった。もったいぶっててそれでいてたいしたことはなくってって感じでいまいちどうも読みにくい。そういえば『華の乱』も読みづらかった。文句いいつつも読まねば、とw

お正月、どうでもいいけどマイブームの中井久夫『家族の深淵』(みすず書房)にあれこれ思う。
これも

斉藤茂吉のそばには天才のために喜んで三百六十五日病院を休まなかった副院長がいた。

やら。

人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくない

やら。

詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、(略)共通すると私は考える。

やら。つっこみどころたくさんな一冊だった。

とくに終盤、現代ギリシャの詩人と詩についての論説が延々とあって、それはわたしにとってはまったく頓珍漢なおはなしではあるのだが、読んでて心躍りしてくる気分になるのは不思議だった。
以前題名はわすれたがむかし話題になった推理小説で、主人公の「歌人」(架空)の経歴を書きたてた歌壇史ってのがあって、それもまったくの架空のものだが読んでてとても面白かったことを思い出す。ねがわくば引用してた短歌ってのもそれなりのものであったら完璧だっただろうに、そうではなかったのはご愛嬌ってもんだろうか。
もちろん中井が引用してるギリシアの詩はなかなか面白く、今度はそちら方面に触手をのばしてみようか、と。

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2006年12月24日 (日)

出会いは図書館で

学生時代図書館大好きだったわたしにある友人はこういった。
「書を捨てよ街に出よう。僕はカノジョがほしい。こんなところにいても出会いはない」
・・別に出会いなんかほしくないし。本が読めたら幸せだし。
それに出会いだってないわけじゃないと思う。図書カードを収めてる箱に手を伸ばした瞬間指がふれあったり、本を持って歩いててついぶつかり合ったり。
そんな本、読んでるの? おもしろいよね。じゃあこの本は読んだ?
って出会いがあるかもしれないじゃあない?
・・なんてマジで言い返したことが、あった。

でもそんな出会いがあるはずもなく、平凡に結婚してそれなりに忙しく年をとって本を読む気力も体力もなくしたわたしがここにいる。

・・なんて思ってたらこんな記事を発見。図書館主催の合コン?

[キャンベラ 20日 ロイター] 150年の歴史を持つ図書館が、古典作品を愛する男女のために合コンを企画したそうだ。ここ
(+追加2+に全文掲載)

どうやらチケットを購入しなければいけないらしいが、そのほかに持参しなければならないものがあって、それは「本」らしい。

参加者は大好きな本、もしくは嫌いな本を持っていかなければならない。会話の糸口にするためで、5分間で次から次へと相手を代えるデートで気まずい沈黙を引き起こさないためだ。

わたしなら何を持っていくだろう・・
勘違い全盛期だった学生時代だったらぜったいに折口信夫「死者の書」、森茉莉「甘い蜜の部屋」、それに泉鏡花全集の索引を持ってっただろう。
それか「ドグラマグラ」や「真空地帯」や・・
どっちにしても「気まずい沈黙」を引きおこしかねないブツばかりだろうけれど・・

52人の本好きが参加し、13組の男女が次のデートにこぎ着けたそうだ。

これって確立高いの? どうなの?
図書館主催だからって、(お持ち帰り)は6人まで。二週間だけ。延滞したら図書館警察がどこまでも追いかけてきます、なんてね(キングか)

初回の参加者が持ってきた本にはスーザン・フィールディングの「ブリジット・ジョーンズの日記」、ダグラス・アダムズの「銀河ヒッチハイク・ガイド」、村上春樹の小説などが含まれていた。

すごいぞ村上春樹! 
というより、デート成功者の持参した本のベストってのが非常に気になるんですが。
どんな愛をはぐくんだ本だろう、って。

+追加 1+

図書館ミュージカル(うは。ありえん面白さ)


+追加 2 (記事引用)+


メルボルンにあるビクトリア州立図書館は、職員たちのパーティで出た本好きのためのデートのアイデアを実行に移した。

参加者は大好きな本、もしくは嫌いな本を持っていかなければならない。会話の糸口にするためで、5分間で次から次へと相手を代えるデートで気まずい沈黙を引き起こさないためだ。

図書館のプロジェクト責任者は「本付きのスピードデーティングです。本を愛する人々を一緒にするために企画したんです」と語った。

第1回目のパーティのチケットはすぐに売り切れ、52人の本好きが参加し、13組の男女が次のデートにこぎ着けたそうだ。

初回の成功を受けて2007年にはもっと回数を増やす予定。

初回の参加者が持ってきた本にはスーザン・フィールディングの「ブリジット・ジョーンズの日記」、ダグラス・アダムズの「銀河ヒッチハイク・ガイド」、村上春樹の小説などが含まれていた。

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2006年12月19日 (火)

たしなみ

昨日はクリスマス前のミサがあった。
暗い冬至の頃に人々は光を求めます。クリスマスツリー、そしてイルミネーション。でも一番大切なのは「心のなかの光」。
・・というようなお話を聞く。
わたしたちは誰でもちいさな光を持っていて、明るい光を持っているひともいるけれど、とてもはかなく、ちょっとした風にでもかき消されるようなかぼそい光を大切に守っている人もあって。
ささやかな幸せを大切に守りたいと思ったミサだった。

+

このごろ中井久夫がマイブームで、図書館で片っ端から本を借りては読んでいるのだが、『徴候・記憶・外傷』で解説されてた、いわるゆ浪人生による両親の金属バット殺人事件で・・類似の事件はこのごろあまりに多く、また著者の配慮によるプライバシー保全のため余計どの事件かわかりにくくなっているのだが・・

母親は、和歌のたしなみがあった。(p287「高学歴初犯の二例」より)

にまずはびびった。

たしなみがあったのは和歌なんだろ。短歌じゃないんだろ。
それともやっぱりプライバシー保全のひとつで、じつは短歌だったりしたりしてと思ってみたり( ´ー`)ノ 
それにしてもなんだろう、このいうにいえないゾワゾワした感じ(笑

おなじく『時のしずく』p149に

今の陛下が新春のお歌会の歌をワープロで作るということで、よろしくないという人がいるけれども、ワープロでよろしいのではないかと思う。

なるはなしもあり、ほー。と。


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2006年7月31日 (月)

こころをなにに

「それが私の心だ」なるメモが発表されて、水色のきれいなインクで書かれた昭和天皇の「心」について思いをはせるこのごろ・・

発表された「メモ」のページに、歌人佐伯裕子の祖父、土肥原賢二の名前をつい探してしまった。(載っていないみたいでホッとした・・)

悲痛そのものの『家族の時間』(北冬舎)に描かれた、A級戦犯の家族たちの夏はまだおわらない・・ 詳しくはここなど

そんなおり、このごろよく聞こえてくる「♪心を何に例えよう」って歌が気になっていたら、
萩原朔太郎の『純情小曲集』の「こころ」が 出典らしい・・

こころ  萩原朔太郎

こころをばなににたとへん
こころはあぢさゐの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

こころはまた夕闇の園生のふきあげ
音なき音のあゆむひびきに
こころはひとつによりて悲しめども
かなしめどもあるかひなしや
ああこのこころをばなににたとへん。

こころは二人の旅びと
されど道づれのたえて物言ふことなければ
わがこころはいつもかくさびしきなり。

わたしの好きな、「こころ」の歌。

こころなき泉の精となり果ててきよきをのこも影とのみ見む 水原紫苑

さて、話題の映画「ゲド戦記」だが、主人公ゲドが菅原文太で「外道戦記」だったら、親分を刺してしまった若頭が日本刀持ったまま逃亡して、流浪して、大親分(菅原分太)に拾われて、「竜」の代紋の組との死闘だのなんだのがあって、緋牡丹お竜顔に傷あるおなご衆と愛し合って・・ってお話になるんかいな。

そのおなご衆が鬼竜院花子だったら、

「命を大切にしやーせん奴なんか、大嫌いだ」  (高知弁) って見栄をきるんだね。

広島抗争篇やったら、「命を大切にせん奴なんか、大嫌いだ 」 (広島弁)だし。

祇園あたりの可憐な芸者だったりしたら「命を大事にしへん奴なっと、大嫌いや  (京都弁)」

方言置換道場 ここ より

・・ゲド戦記は一応全巻読んでるけど、ブームになるずっとずっとむかしのことで、・・どんな話だったか(笑 

とにかく光=善、影=悪、という画一的な欧米的な世界観を逸脱というより統一したような、ひとすじいかない複雑な物語世界が面白いといえば面白く、なにせ日本は「日本」といいつつ一方では「陰影礼賛」の国だからね。ファンタジーといっても間違ってもディズニーランドあたりでアトラクション化されたりしない種類のタイプなのは確か。

最終巻までやってほしいなあ。魔法をつかえなくなった老ゲドの悲痛、素手で戦う男の強さセクシーさなど菅原分太のはまり役だろうし。

『テルーの唄』  作詞:宮崎 吾郎  作曲:谷山 浩子  歌:手嶌 葵

夕闇迫る 雲の上 
いつも一羽で 飛んでいる
鷹はきっと 悲しかろ

音も途絶えた 風の中
空を掴んだ その翼
休めることは 出来なくて

心を何に例えよう
鷹のような この心

心を何に例えよう
空を舞うような 悲しさを


人影絶えた 野の道を
私と共に 歩んでる
あなたもきっと 寂しかろ

虫も囁く 草原を
共に道行く 人だけど
耐えて物言う こともなく

心を何に 例えよう
一人道行く この心

心を何に たとえよう
一人ぼっちの 寂しさを

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2006年7月29日 (土)

「鶺鴒抄」-或る山中智恵子の読み方、など

こっそりと出てきた家にこっそりと戻っては本やら季節の衣服やらを持って帰っているが・・今回は永井陽子『モモタロウは泣かない』その他を奪取?してきた。「鶺鴒抄」-或る山中智恵子の読み方、という一文を永井が書き、そして栞に山中智恵子が「ガリレオの望遠鏡」という一文を寄せているという珠玉の一冊。

山中作品のなかで地名や星の名前とともに数多くの鳥たちが歌いこまれていることは周知のことであるが、うちも河原鶸なんぞを飼うようになってからことに鳥の名前のでてくる歌に興味を持ち出してきた。さて視点を鶺鴒に絞った永井の「鶺鴒抄」のラスト近くに、「にもかかわらずなぜ鶺鴒か、ということは今回触れなかった」とあり、「別稿に譲る」とあるが、その別稿はあるのだろうか、ということはさておき。

しかしその「別稿」に次の一首がひかれているであろうことはたやすく予想できることだろう。これは「短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる 山中 智恵子」と「精神分析のごと宵々の夢を記す期しがたきわが命終のため 山中 智恵子」の間に位置する、こんな歌だ・・

幼年は翁鳥に病やしなひきいま鶺鴒を夢に育てむ 山中 智恵子『夢之記』

翁鳥、と書いたが漢字が出せなかっただけで、これ一字で「ヒタキ」と読む。ヒタキ→こちら

山中は鶺鴒を飼っていたわけではなく、想念的な抽象的な鳥として描いているようである。そう、まさしく「夢に育てむ」鳥であったということかもしれない・・

しかしヒタキにしても鶺鴒にしても、なぜに野鳥?

 「なにしろあの形は綺麗でしょ」という鶺鴒について、「非常に霊的な感じがしますね」と言ったという山中だが・・

野鳥には霊的な美しさがあると思うのは、おなじく野鳥の河原鶸を飼う羽目になったわたしがいうのもなんだが、じっさい、そう思う。 

ちなみに永井も『モモタロウは泣かない』を読むと野鳥ではないが、文鳥を飼っていたようだ。山中と永井というと式子内親王についての論考という共通項があるが、このほかにも案外、鶺鴒と文鳥という鳥の存在も無視できないことかもしれない、などとうちの河原鶸(ちぴこ)のかわい~い鳴き声を(メロメロになりつつ)聞きつつ思うことである。

体の調子が悪いなあと思っていたのでドクターにその旨うったえたところ、薬が一種類ふやされ、量も自分でガンガンふやしてもらって結構です、とのこと。

いまひとつストレスをさけて・・とのこと。短歌人の夏の大会までもうすぐ。ここにいたってなおなにかの奇跡で参加できることを願っていたが、いよいよ無理ということか。宇田川さんごめんなさい。受験生の長男がいるため新年会参加は絶対に不可能だし、忘年会もどうだか。楽しみにしていたことができなくなるというのもまたストレスの原因になるというものだろうに・・行きたかったなあ、大会。

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2006年5月20日 (土)

闇の魔術?

落ち続く薔薇をプリザーブドフラワーにしようとして、先日からアルコール溶液に漬けている。
「なにこれ? ホルマリン?」 と長男。
「お母さんが闇の魔術におちた・・」とハリポタファンの次男。
中間試験の真っ最中にハリポタ新刊刊行って、なんなの!!って次男絶叫。読めば後悔する。でも読まなくてもぜったい後悔する!!とのジレンマに苦しむ苦しむ(笑
天下分け目の試験・・とばかり泥縄式に机にかじりつく子供たちにまあまあ、5月19日はかの桶狭間の戦いの日らしいからね、などとはかない逆転劇を期待しつつ、風邪なおらず、早寝を決め込むここ数日のわたし。

ハリポタの結末はもう決まっているらしいことは周知のことらしいが・・
「夢オチとか。虐待され続けている少年ハリーの、全ては妄想。
夢の魔術、夢の友人、夢の学校で楽しくすごくオレ・・」といってやると、世界中の愛読者が発狂するぞ、と次男。
「みんな魔法の力をなくして人間化するとか。ゲド戦記だけど」 ううーん。ジブリのあの主題歌、お経を読んでるみたいで不気味、と次男。
とゆーわけで「ハリポタのラストはやっぱりドラえもんかな」 とふたりで意見が一致。

「どこでもダンブルドア」、とは、いつでもどこにでもダンブルドアを召喚できるドア。
「アスカバン・かばん」、は携帯式アスカバン牢獄。気にいらない奴を閉じ込めちゃえ! 500人までらくらく。今ならデスイーター・イーター(デスイーターを食べる魔物)がもれなくついてます。
「スネオ=スネイプ」はここぞというとき、最強の嫌味が言える魔法薬。副作用対策として、自己嫌悪に陥るあなたをやさしく癒してくれるスネちゃんのママがついてます。
などなど、「インバス2000式タケコプター」レベルで?親子でしばし、完全現実逃避。
とはいうものの・・
ハリポタが宝塚で上演されたらスネイプはきっと美形キャラになってしまうんだろーなー。
・・美形スネイプに癒される自分をしばし妄想し、癒される (危険

+

枡野浩一:『ドラえもん短歌』 ここ

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2006年5月 9日 (火)

純情きらり♪

はまりにはまった昼ドラ「貞操問答」のあとの長いブランクをうめるがごとく朝ドラ「純情きらり」を見始める。
「貞操問答」のヒロイン新子の役が さくら で、純情きらりのヒロインも桜子 って名前つながりですか、と(無理やり
「貞操問答」+「純情きらり」で「貞操きらり」 (「純情問答」ではナーイ)
したがって、 福士誠治萌え(はぁと)の正しいドラマの見方は、「貞操問答」でひたすらかっこよかった謎の運転手・杉山 のその後が「純情きらり」の達彦さん なのねん、って無理やりな視点から、達彦さんも強制的に「杉山達彦」に脳内変換される、と。 (原作者の菊池寛と津島佑子が怒るぞ

それはさておき。
中村紘子のエッセーを読んでいるとこのドラマの舞台になっている東京音楽学校(「なんちゃって音楽学校」なのかもしれないけれど)・・についてのはなしが良く出てくる。
でも戦争末期のころの音楽学校っていうのは
「同じクラスの異性の生徒同士が話をする時は、二人で学生課に行き二メートル離れて話すこと」
という決まりまであったということや、
「或る時ににわか雨に襲われて、女生徒が男生徒を傘に入れてやったところ、校長に目撃されて処分さわぎになった」
とか、
「男生徒から手紙を貰っただけで二ヶ月の停学処分を受けた」
とか、
「その類の話にはこと欠かない」、
「男女生徒間の規律というものに病的に神経過敏」なものだったとのこと (『ピアニストという蛮族がいる』より)

・・つまりドラマでの、マカロニほうれん荘、ならぬ「マロニエ荘」の男女入り乱れての楽しい学生生活なんて・・
ちょっとばかしありえねーんじゃない、と。

というのも幸田露伴の妹のピアニスト幸田延。明治の御世に留学、女ながら東京音楽学校技術監にまでなった・・とか。
幸田文のエッセーに時折でてくるこの延の人となりはさすがにすばらしいものがあり、さすがエロかっこいい幸田姉妹は違う!、というかんじがあるが (違^^;
その幸田延が明治42年に39歳の若さで東京音楽学校を辞職するきっかけになったことというのが、世間からうけた無責任なバッシング。学校内の男女間の風紀問題ということで・・

幸田延は辞職後、当時の上流階級の子女たちにピアノを教えていたらしい・・
ドラマが舞台の時代はまだ存命中のはずだから・・
謎の実力者というか、そんな役ででも、ちら、と登場してくれないかしらん (ついでに露伴も^^

+

ところがピアノの当時流行というか、本流とされていたとおもわれる方法は、

キイの上においた両手の、手くびはいつもさげて十の指をキイと直角に高くあげて弾らす方法だった。それは、どこかに無理があってむずかしかった。 宮本百合子『道標』 第二章4 ここ

というもので・・
この「ハイ・フィンガー奏法」こそが長く日本におけるピアノの(悪しき)演奏法だったということだが・・

「純情きらり」のピアノの指づかいってば、この演奏法ではないような気がしますが、どうなんでせう。

+

ほほゑみに肖(に)てはるかなれ 霜月の火事のなかなる ピアノ一臺(だい) 塚本 邦雄

宮本百合子だったら「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ」の方がいい、ってことになるかもしれませんが^^;、と。

+追加+

中條百合子まだ処女子(をとめご)の葡萄茶(えびちや)着て道にあひ赤くなりし久米正雄ああ 土屋 文明

・・ああ!(笑)

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2006年4月19日 (水)

うわのそら

この春から住んでいるマンションのお部屋のベランダはキャッチボールができるくらい無駄にひろく(次男と三男がしてた)、凧揚げができるくらい(これも次男)見晴らしもすばらしいのだが、風がとてもつよい。つぼみぎっしりでそれこそ風にもあてたくないほど大切におもっている薔薇の大鉢がひっくり返ってごろんごろん回転してるのを目にしてしまい、こりゃなんなんだ、と(怒

天空を風ゆけるとき うはのそら うはのそらとぞ時計きざめる 葛原 妙子
火の赤く燃えゐる夕うはのそらたしかに風はうはのそらゆく  葛原 妙子

うわのそら・・心ここにあらず、という表現を「上の空」というのって、本当だよね、って納得してしまう(高層でもないけど)マンションの一室 @うわの空

「うはのそら うはのそらとぞ時計きざめる」ってくだりだけど・・
さてさて。時計の音って普通「チック タック」だよね・・って、最近の時計は無音そのものだけれど・・

小学生の頃の記憶力って無意味なほどすごいところってあるけれど、国語の教科書に「チックとタック」というおはなしがあった・・
ヒット曲「おじいさんの時計~♪」の番外編というか、おじいさんの柱時計にいたずらなコビトが住んでて、その名前がまんま、チックとタック。ある日おじいさんが残しておいたお寿司を食べて、わさびに喉をやられてしまってさあ大変。次の日、時計は「ジッグ ダッグ」という音になってしまっていましたとさ・・って、なんでこんなオチも教訓もないようなおはなしが教科書に載ってたのか、それでもって、なんでバカみたいにきちんと記憶してるのか (自分もお寿司が食べたかったからかも/笑

人気のある名作らしく、収録されてる本もあるらしゅい・・ここ

そしたらあの、テストの点を改ざんしようとしてた主人公を見て、飼ってる猫がにやっと笑ったって、怪談なのか教訓なのかわからないようなおはなしやら (わたしは怪談として読んだ。先生ごめんなさい)
おとなしい女の子と粗暴だけどやさしい男の子がいて、女の子が先生の叱責から男の子をかばう場面があり、内容はよく覚えてないながら、皆の前でコオロギの鳴きまねをするハメになった。すると本当に教室の床下からコオロギの鳴き声がしましたというおはなしやら(わたしはこれを「女王の教室」の一場面のように記憶してる。なぜ?/笑)
・・そんなおはなしも読めるのかしら。

おおむかし読んだっきりすっかりわすれていた物語なんかと、それと知らずまた出会うことがある。
そんなときなんだか、知らない間に足元にぽっかりあいてた穴にはじめて気づいた気持ちになるというか、大げさだけどわが身をふりかえり、「死期が近いのか」なんて気持ちになったりすることが、ある。

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2006年3月31日 (金)

秘祭

・・こっちには写真とかも載せたりしてましたが、基本的にはどこにも連絡をせず、某所で隠れ住みつつ読んでいたのは、学生時代ハマッていた折口信夫だった。

沖縄の島では、村長も、巡査も、勢力がなく、そういう巫女が一番力がある。その女の言葉で、下々が働いている。それは他人の想像ではわからぬところです。うっかりすると、どんな目に会わされるかわからぬ。その巫女のいう通りにみなが動くので、下手なことを言えば殺されるかも知れないのであります。そして殺されれば、痕跡も止めないようなことになってしまうのです。
「古代生活に見えた恋愛」より

・・なんなんだろう、この妙なリアル感。
殺されれば、痕跡も止めないようなことになってしまうのです。
ですか。
本当ですか。まるで目撃でもしたかのような印象がありますが・・

でもこんな巫女集団に対抗できるのは、「トリック」の安部寛じゃなかったらホンマ折口信夫しかないだろうなあ、と。
そうそう、『秘祭』(の石原慎太郎って路線もアリか。リゾート開発のためにやってきた島で青年が出合った、謎めいた美女。その島で開催されるという秘密の祭りとは、というおはなし。
官憲はおろか人倫にもとるドロドロの人外魔境、もしくは悪夢のパラダイス。
こんな小説を書く政治家って・・(笑

沖縄、ときたら 渡 英子さんの『レキオ』を読み返したくなったが・・
ここしばらくの引越し騒動でどこになにがあるやらわからない。嗚呼。

+追加+

ここ

49年、処女作「かむなぎうた」が「宝石」の懸賞で 二席に入選、選考委員だった江戸川乱歩、折口信夫の絶賛を受け

というくだりがあるんだけれど・・
そういえば晩年の評伝にシャーロック・ホームズを読んでいるはなしとかあった気がするが・・
ミステリーの選考委員なんかしてたのか?折口。
だとしたらくだんの「痕跡も止めない」ってはなしも、なんだかねー。
今でこそ民俗学者の探偵なんか珍しくもないけれど・・
先行しすぎ(笑

それにしても日影のジョーこと日影丈吉。今は覚えてる読者も少ないだろうけれど・・
学生時代好きだった作家だったが、なるほど、ということか。
「猫の泉」なんか、大好きだったっけ。

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2006年2月15日 (水)

カエルの声

昨日は春めいた雨の一日だった。

図書室まで、借りていた本を持って歩いていく。

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本をいろいろ借りて帰る。
ここのシステムは手書きの図書カード。
いい本だ・・誰か読んだひと、いるのかしらと思ってチェックする、というひそかな楽しみがまだ生きている世界。

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・・ここらあたりはむかし酒造業がさかんで、たくさんの工場があったらしい。
でもぜんぶ廃れてしまい、煙突だけが残っている。

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・・先日の夜、ここの川の橋を渡っていてカエルの声を聞いた。
こんなに寒いのに、なぜ? 空耳?
驚いて車を道路わきに停め、窓をあけて聞き入った。
りろりろ。りりりりり。
カジカかもしれないが、
・・本当にカエルの声だった。

寒い寒い季節なのに、毎年今頃この橋の上でカエルの声を聞く。
・・でもいつもはゲコゲコ系だったはずなのに。
不思議。

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2006年1月31日 (火)

半日村・・

うちの近くにも、ものすごい山のなかにちいさな集落がいくつもあったりして、それらはたいがい、大昔の合戦の名残というか歴史があり、落人部落、平家部落、山上部落などというくくりかたがされているようだ。
だからといって昔の生活をしているわけなどなく、電気も水道も通っていれば、選挙のときは宣伝カーだってやってくる。
山からおりてきてうちの近所にすんでいるというひともいるが、それは火事で集落が滅んでしまったからだという。
もといた山を懐かしみ話すそのくちぶりはいつも楽しげで、今はもうどこにもないその村とそこでのくらしの物語は、いつも物語りめいてうつくしい。
物語めいているといえば、春先など、山菜などを採りにいくついでについ、山奥にぽっかりと開けたような村に迷い込むことがある。
なんとなく山中をドライブしていたら、村祭りに行き会ってしまった、ということもある。
・・神社やお堂などもそなえられていてささやかながらもひっそりと、
でもどこか暗く、森の奥ふかく閉ざされている、そんな村の祭りは
にぎやかに人が集まって鉦や太鼓を鳴らしていてもやはりどこかさびしく、もの静かで、
・・あれは本当にあったことだったのか、と何年たったあとでも思い返したりする。

Shannnitimura

絵本「半日村」というのを読んだことがある。
半日しか日が差さない、貧しい村に生まれた少年が決意したこととは・・ということだろうか。
それの現代版ニュースを読んだ。
半日村では村に光を呼び込むため山を崩すが、そのイタリアの村長は巨大鏡を使うという。
以下引用。

日照不足に悩む村、山に巨大鏡を設置する計画を発表 [ローマ 25日 ロイター] あなたが住む村が谷間にあり、冬に太陽の光が差し込まず、薄暗いところだとしたら……。どうしますか?

イタリアのヴィガネラ村の村長は、「山に鏡を置いて、太陽の光を村の中心部に反射させればいい」と述べ、ピエモンテ州にこのプロジェクトの承認を求めている。

ピエルフランコ・ミダリ村長は、「きっと承認されると思います。次の問題はお金ですね」とコメントした。

ヴィガネラ村は人口わずか70人の小さな村で、谷間に位置するため、「暗闇期間」と呼ばれる毎年11月11日から2月2日まで間、ほとんど日光が当たらない。

ミダリ氏は建築家の友人からアドバイスを受け、太陽を追跡する縦5メートル、横8メートルの鏡を山に設置する計画を練ったという。

計算によると、「暗闇期間」でも最低6時間は日の光を得ることができる、とミダリ氏は言う。また、このプロジェクトの費用は10万ユーロ(約1420万円)と見積もられている。

「現在、村の中心部は閑散とした状況です。冬の暗闇時期、太陽の光を得ることができるオアシスを作りたいのです。貧乏な我が村に観光客を呼ぶきっかけになると思います」と村長は語る。

「それに、直射日光を浴びる量が減るとうつ病になる、という研究結果もあることですから、ある意味治療に繋がるとも言えます」

最初はこのプロジェクトに懐疑的だった村民たちも、今では全員が計画を熱心に支持しているという。

計画が発表された後、同じ問題を抱えるアメリカやカナダの地方自治体から、ミダリ村長に連絡があったそうだ。

ブレンバーナ谷にある村の村長は、もっと思い切ったプランを発表している。日光を遮る山を約25メートル切り崩してしまう計画だ。こちら

・・「半日村」では山を崩すことはいいことのように思っていたが、
今じゃ環境破壊問題とか、きっとあるんだろうな。

・・巨大鏡を使うなんて、まんまガンダムにでてきた最終兵器ソーラ・レイじゃん。
・・と思っていたら、ほんまにソーラ・レイをつくってるひとがいたらしゅい。
ソーラ・デス・レイだって。悪趣味。ここ

ともあれ・・
「暗闇期間」と呼ばれる毎年11月11日から2月2日まで間、ほとんど日光が当たらない、というヴィガネラ村。
今日で一月がおわるから・・
もうすぐ光が仰げるのね。春が来るのね。
よかった。

そろそろ節分。イタリアのこの村に節分って意識はないとおもうけど、でも必死になって待っているんだろうな、太陽を。
日本もまだ雪にとざされタイヘンなところが多いけれど。
遠い国の小さな村にはもうすぐ春がきて、お日様が届くんだな、と思ったら、
なんだかすごくうれしい気持ちになる。

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2006年1月13日 (金)

水仙

庭の一角で水仙が咲いた。春はまだ遠いのに。

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太宰治の『水仙』を読む。ここ
ものがなしい、けれど水仙の香のようなすがすがしい印象もある小品。

ダザイ、を変換したら「堕罪」になった。

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さわやかな匂いがPCではお伝えできないのが、ザンネン。

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2006年1月 6日 (金)

塵塚の塵

うちのところは今日がごみの日で・・
年末からこっちのごみが全部だせて、とてもうれしかったりした。
風邪はまだ治っていなくて、おっきなゴミ袋を両手にさげて、えっちらおっちら、お正月明けの道をやじろべえみたいにして歩いていった。

徒然草の72段だったっけ。
多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

って記述があって、
・・塵塚って、ゴミ捨て場のこと? そこにゴミがたくさんあることと、「文車」(たぶん本棚に車がついてるようなもの。紐がついていれば、子犬みたいにどこにでもついてくる) に本がたくさんあることを同列のようにあげてる感覚って、なんなんだろう、って小学校の図書室で本を借りて読んだときから不思議に思っていた。
わたしは当時本が大好きな夢見る少女で、死んだら幽霊になって図書館に棲むことを夢見たりしていた・・。
だから本棚に本がたくさんあるってのは、本好きにとってはこたえられないくらい、うれしい眺めだというのは、わかった。
でもゴミ捨て場のゴミがたくさんあるのを「見苦しからぬ」と思うってのは、よくわからなかった。
今もよくわからない。

あるときから、本棚に本がたくさんありすぎるのは、見苦しからぬどころか
気色悪い
と思うようになってきた。やはり歳をとったからだろうか。
・・好きな本だけをいつまでも読んでいれば幸せだった子供時代とちがい、大人になれば限界ということもわかってくるし、それは時間という問題ではなく、能力、才能という苦い、目を背けたくなる問題にかかわってくる・・
おなじように、新年、ゴミ捨て場にゴミがある光景に、なぜかうきうきしてしまうというのは・・
日常というもののありがたさ。めでたさがわかってきたからだろう、ということだろうか。

徒然草の作者はなぜ塵塚の塵を眺めていたのだろう。
そんなこととは関係なく、今年もわたしはいっぱい、いろんなことを捨てることになるのだろうが・・
風邪の身にはゴミ出しすら息切れがして、つらいものがあったが、
ともあれ、よかった。間に合った、とうれしく思いながら、ゴミの袋を置いて帰り、ああ、家事にあけくれる主婦の一年がはじまる。

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2005年12月16日 (金)

昼ドラ2

昼ドラ。なんと甘やかなひびきでせう。
愛と憎しみ。裏切りと信頼。ありえないような美徳、背徳。プロジェクトXもまっつあおの大逆転劇。
幸せの絶頂で主人公たちは必ず、奈落の底にたたき落とされます。涙はつねにうつくしくヒロインの頬をつたいます。夢を信じあきらめないことも、すべてをあきらめひっそりと生きることも、そこでは同列に語られます。
すべてが、そこでは日常茶飯事です・・

そんなドラマをみていたのは、きっと小学校にあがる前のことだとおもいます。
というか、母といっしょに観ていたのはそんなドラマばかりでした。
たとえば1964年ごろ大ブームだった『愛と死をみつめて』。なぜかBGMもあらすじも、なぜか画面のあれこれも覚えています。
・・わたしはなにせ永遠の26歳ですけどw、前世の記憶、ということはないと思いますがw、赤ん坊のころの記憶としても脅威です。
三島由紀夫は自分の生まれたときの産湯の記憶があると書いてましたっけ。
わたしの最古の記憶のひとつは、たぶん母のおひざで見ていたであろう、なにかわけのわからん昼ドラの一場面です。
日本中が貧しい時代。姑にいびられ、貧乏に苦しみながらも、病気がちの夫をささえながらけなげに生きていく、貞淑な美しきヒロイン。
とはいえ深夜、鬼の形相すさまじく、氷の塊を千枚通しで砕きに砕くその姿はもちろんカラーではなく白黒で、感動というよりもなにか種類の違う鬼気迫るものをはっきりと、子供心(赤ん坊心?)に感じさせるものでした。
のちのわたしの人生のなにかと、関係があるんでせうか・・w

けふはいよいよ・・昼ドラ『貞操問答』最終問答の日・・つまりクライマックスなのでござゐます。
文豪菊池寛原作とはいへ、本編はとっくのむかしに過ぎ去ってしまっており、ただいまはテレビオリジナル驀進中なのでござゐます。

わたし個人でいえば・・本年度、こんなに入れ込んで見入ってしまったドラマははじめてでした。
一時からはじまる『貞操問答』。一時半からはじまる『デザイナー』。
思えばこの一時間は至福のひとときでした。
でもこのたのしみも、もうおわりです。
これを書いてたのは木曜日。金曜日になってしまったら、今日でおわりなんです。

        .。::+。゚:゜゚。・::。.        .。::・。゚:゜゚。*::。.
      .。:*:゚:。:+゚*:゚。:+。・::。゚+:。   。:*゚。::・。*:。゚:+゚*:。:゚:+:。.
ウワ━.:・゚:。:*゚:+゚・。*:゚━━━━゚(ノД`)゚━━━━゚:*。・゚+:゚*:。:゚・:.━ン!!
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その『貞操問答』だが・・
題名もなにも覚えていないドラマだが。むかし、これも子供のころに見ていたドラマで、時代は明治かそれくらい。これまた女家庭教師がヒロインで、お嬢様がいて、おやさしいだんな様がいて。
旧家の武家屋敷らしきお屋敷の離れには、とても美しい権高の奥様がいらして。でもそれは、維新かなにかで死んだだんな様の親友の奥方ということで。
この奥方がすごく謎めいているひとで、時々あらわれてはヒロインにいろいろと意味不明な意地悪めいたことをする。でもヒロインは持ち前のひたむきな努力と忍耐と誠実さでさまざまな試練をのりこえつつだんなさまと愛をはぐくみ、身分の違いをのりこえてめでたくいざ婚礼、というまさにそのとき。
・・衝撃の真実! お座敷の謎めいた奥様は親友の奥様ではなく、本当は性格の不一致で家庭内別居中の、だんな様の奥様だった!
という変なドラマを観た事がある。
ただこれは昼ドラではなく、当時あった民放系の朝ドラだったか・・
・・小学校六年生のときに、学級文庫に置いてあったシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を読んだ。
そのとき。
うわ。これって、ラストの大火災を含めて子供のころに観たあのドラマ、そっくりじゃん。つうか、英国版。
って思ったから、それ以前のことだ (マセガキ
・・『貞操問答』のテレビオリジナルの部分は、たぶんこの、題名もさだかではない『ジェインエア』の日本版のドラマの影響もあるような気がする。
つらいとき、かなしいときにこのドラマのヒロインはよく、親の形見とかいう不思議な音色のオルゴールに耳をかたむけ、心を慰めていた。
事情は異なるが、『貞操問答』のヒロインもよく同じことをしているが、これは偶然ではないと思う・・

『貞操問答』のラストも大火災でおわりそうだが・・
『ジェイン・エア』の奥様はその劫火で死ぬが、『貞操問答』のメデューサwは死んでほしくない。
(・・しかしこの中の人。炎をバックに高笑いして似合うヒロイン№1だと、しんそこ思うw
とはいえ時代は昭和のはじめ。
大火災を逃れても、『貞操問答』の人々を待ち受けているのは、もっとおそろしい時代の嵐なんだなあ・・
ヒロインの女郎蜘蛛をはじめ、黒バンビ、ベビーエロ、スコルピオン、白うさぎ、リス、風見鶏、こじろー、祥子ちゃん、マムシのようさま、王大人、ここにあげられなかった人々・・
そしてとりわけてかっこいい杉山・・(ぽっ
端役までキャラクターとして粒だっていて、通行人にいたるまできっちり描かれて、個性的だった。
ぜひとも、なんとか皆、生き延びてほしいなあ・・
そしてぜひとも第二弾を。
でもそうなーたら、いくらなんでも「原作・菊池寛」のタイトルはもう、使えんだろーが。
とゆーことでw

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2005年12月 2日 (金)

「炎のゴブレット」、見たよ

三男の小学校の創立記念日とかでお休みということになり、映画「ハリーポッター」の新作を見に行く。

どうも身体がしゃんとしないので、子供向けの映画とはいえ三時間ものあいだがんばれるかと思ったが、とても面白く、力を入れて見た。

某北朝鮮のマスゲームさながらののりではじまったワールドカップ。
で、画面に映った選手たちってばすごくかっこいい感じなんだけど、まるでロック歌手みたいにポーズつけまくってて、でも持ってるのは箒なのよね。
あっという間にはじまってあっという間に終わってしまって、原作よりさくっと仕上げててよかったんだけど、それでもって試合は結局どうなったんだろう。

マイラブ★スネイプ教授があちこちの画像によく映ってて満足。
このひとはうしろに立ってても端っこにいても独特のオーラがあって、何故かよくわかるからすごいw
最初はばりばりの悪役、憎まれ役として登場したはずなのに、回を追うにしたがって「いいひと」化してて、
今回は青春学園ドラマの先生になってった気が。
髪型が金八してるからねえ。このぶんじゃ最終巻(未刊)の卒業式でよさこい踊ったりするんじゃないかと・・w

ハリーのお風呂シーンもいいけど、この場面にでてたトイレの花子さん(「嘆きのマートル」)てば、遊んでないではやく成仏したら?

舞踏会の場面が華やかでよく取り上げられているようだが・・
なんか甘酸っぱいだけというか・・結局なんなん、って感じも。
で、ハリーとあのチャンちゃん、どうなってったんだろう。
ハーマイオニーと肉体派のにいちゃんと違って、最後の別れの場面もなかったような・・

三大魔法学校対抗戦の湖の場面での、生徒たちが水死体化していた映像。
この映画における「死」のただならぬイメージに衝撃をうける。
でも学校行事でここまでやるか!?
それでもって、本当に死者、出るわけだし。
炎のゴブレットに永遠の栄光の名前が刻まれるより先に卒塔婆に名前、書いててマジどうする。

迷路の場面、生徒同士の殺し合いって、まんまバトルロワイヤルかっ、と思った。
白目のクラムって太ったモディリアーニって感じで、怖すぎ。頭が一枚刈だからほとんど座頭市。
つうか、女の子を襲ってる図って、ぜったい良くない。

舞踏会でぜひスネイプ教授に踊ってもらいたかった・・
きっとすてきだったろうに。
って、最後はスネイプでおわるのか、わたしw

毎度お楽しみのダドリーが出てこなかったり、マルフォイの見せ場なしだったり、ネビルがなんとなく出番が多かったり、いろいろあるけど、
それとは別に沈うつで荒涼とした光景の美しさに心ひかれ、第一作からの子供たちの成長にうれしくなったりさびしくなったり。
でもトイレの花子さんこと嘆きのマートルだけは歳、とらないのね。
幽霊だから仕方ないけど。
これってなんか、さびしいかも。

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2005年11月22日 (火)

昼メロ

「真珠夫人」で一世を風靡した?菊池寛原作昼ドラ「貞操問答」 に年甲斐もなくはまっている・・
もう、裏番組のみのもんたなんか、ほっちっちw

時代は昭和のはじめごろ。聡明な家庭教師(女郎蜘蛛)と、お屋敷のだんな様こと(黒バンビ)が心を寄せ合うさまを苦々しく見守る(メデゥーサ)夫人。
その他女郎蜘蛛の姉妹(スコルピオン)と(ベビーエロ)、メデゥーサの異母妹で黒バンビをひそかに愛する(野良猫)、女郎蜘蛛の許婚でありながらベビー・エロに転んだ(白ウサギ)、メデゥーサの縁戚の(風見鶏)
・・など個性的な人物が入り乱れる愛憎劇、
って書いたって知らない人にとってはなんのことやら、ということだろうが、
おはなしのめちゃめちゃぶりに比べせりふやナレーターの言葉がやたら格調高く、古きよき日本語そのものでじっくり聞き入ってしまうってのも不思議だが、昼メロにしてはいわゆる「寝台場面」のたぐいがないのも、安心して没頭して見られる要因か。
BGMのヴェルディのオペラ「運命の力」序曲、ショパンのピアノ曲「別れの曲」、ブラームスの交響曲第4番第4楽章、ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」からエーデルワイス(女声合唱編曲)なども黄金のワンパターンって感じで、なかなかでござんす。

というわけで原作を青空文庫で読んでみた。わくわく♪こちら

軽い紗のアフタヌーンを被《き》た夫人が、あだかも大公妃のような態度で、彼女を待っていた。
・・さて、テレビでは筒井真理子が際立ってすばらしいメデューサ綾子夫人だが、原作では
  ゲー・ペー・ウーのように鋭い夫人の眼
という表現がされていて、メデューサ綾子という名前にはなっていないようだ。もっとも、 メデューサとゲー・ペー・ウー。どっちもどっちとゆーことだが。
・・しかし大公妃でゲー・ペー・ウーなんて、どんな人物像を脳裏に描いてんだか菊池寛w

で、ゲー・ペー・ウーにて大公妃綾子は原作でも女郎蜘蛛新子を馬のひづめにかけそうになる見せ場があるって人物だが、「英国近代短篇集」を読み、スリー・キャッスルの細巻をたしなむ帰国子女、ということになっているらしい。カルメンが変に壊れた感じのテレビ版とはちと違う。

それでもってぜんぜんちがうのが、一見高等遊民な風見鶏木賀さんてば、

子爵は、知合いらしい亜米利加《アメリカ》人夫婦と何か隔てなく、話し合っていた。新子は、子爵の英語を相当なものだと感心して聴いていた。 新子は、富も位置もあり、教養もあり、容貌にも健康にも恵まれている青年が、前川別荘に来て、高慢な夫人の、相手をしているなど、本当に夫人が好きなのであろうか。それとも、愛人がないので閑暇《ひま》なんだろうか。どちらにしても、何だか少し気の毒のように思った。

・・なんと! ご子爵さまだった!とゆーこと (しかもお金持ち?!
呆然。 

その他、スコルピオン圭子の芸名は「白鳥洋子」だった!とか

運転手の杉山(現在あだ名なし)が原作にあんまりでてこないからわたしゃ不満、とかw

必死になって読んでいったが・・ところがメデューサ綾子夫人が黒い羽つき扇で気に入らない連中をつぎつぎ殴り倒していく場面(凶器がしこんであるのか必ず傷がついて血がトローリ、でる) もでてこなければ、もちろん雷鳴とどろくお部屋でにこやかに「おかえりなさい」といいながら夫の黒バンビに拳銃をつきつける場面もでてこない。

ここの場面は本当にすごかった。古来から日本人は腹芸というのが好きな人種のようで、忠臣蔵でも安宅が関でも、見た場面とかわされる会話がぜんぜんあっていない・・という場面があってそれらレベルに、
会話はごく普通の、おたがいいたわりあい、思いあうなごやかな家庭の夫婦。
でも背景で雷ごろごろ、稲妻ピカピカ。妻は夫に照準ピタリ。

・・テレビの前で正座して見入ってしまいましたけど。

しかし・・あの拳銃のタイプ、調べたんですけど・・かたちが変すぎます。よくわかりませんww

追加
コメント欄で拳銃は「モーゼル」だとお教えいただきました。
いわさまありがとうございます^^
(追加おわり)

+

さて女郎蜘蛛新子の妹のベビーエロ、原作では「チビ・エロ」というバージョンもあるらしいが、

「殉愛の道」の章のあたり(しかしすごいネーミング。いまどきのBL系小説のやう/殴)
このベビー・エロことチビ・エロ美和子が大化けして姉の恋敵メデューサ綾子と戦ってくれるらしい。
女郎蜘蛛新子はあいかわらず黙ったっきりで、黒バンビ準之助によしよしと慰められて・・
というかたちで青空文庫はここまでで、あとはテレビのオリジナルが爆走してくれるということなんでしょうか・・むむ。たのしみ。

+

ちなみに新子はメアリーポピンズかジェーン・エアさながら前川家に家庭教師として現れたので、とうぜんながら子供たちとのやりとりの場面が多く、そこが結構面白い。
菊池寛自身が児童文学に力をいれており、(なほ、自分は「小学生全集」宣伝のため、五月中旬から六月中旬まで、全国各所に講演旅行を試みるつもりである。)と(昭和二年六月)に書いているくらいだから、前川家のふたりの子供たちの描写は念がいって当然か。
当然、当時のいい家の子女の読み物などの描写に熱がはいっており、「動物園見学」なるおはなしに筆をさいたりやたら脱線しているのもおもしろければ、たとえば、

祥子は、かわいそうな話と恐い話が好きで、アラビアン・ナイトの悪魔を壺へ封じ込める話など、幾度もくり返して聴きたがった。

なにげなく自分の仕事を宣伝してるところなど、ほほえましいwここ

さらに「支度」と「仕度」の違いについて、新子と綾子が激突する場面など、
ここに考察があり、文字を使うものとして身につまされる。

+

貞操問答の後番組「デザイナー」ももうすぐおわる。
夢中になって見ていたドラマがおわるときほどさびしいものはない。
・・しばし貞操問答、続いて欲しいと思う。

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2005年11月 9日 (水)

あかつきの森

あかつきの森坐すごとしメトロポリタンゆ還り来たりし梅若六郎 水原紫苑『客人』
能楽堂の見えぬ青空へ少年のこゑ弾みゆく「ろくろうせんせい」 水原紫苑『客人』

梅若六郎:公開予定の新作能(漫画『ガラスの仮面』劇中劇)『紅天女』のシテ
・・その記者発表の様子・・?(中国語版ですみません) こちら

『風姿花伝』の冒頭の「年来稽古条々」というのを昔読んだとき。
ズバリ
「三十四、五才。この年代になっても評判にもならず、声価も思うほどでない人は、たとえどんなに技術的に優れていても、まだ本当の「花-魅力」という事のわかっていない人だ。
この年代までに「花」を含む本当の「能」がわかっていない人は、四十を過ぎると能が下手になる。これが本当の能がわかっていたかどうか、後でわかる証拠だ。」  参照こちら

というようなことを書いてあったのを見て、
これは「能」にかぎらず人生一般のことだろうか(わたしもがんばらなくっちゃ♪
と思ったりしたものだったが。

気がつけば・・
今までせいいっぱい子供さんにん育てて舅・姑に仕えて不便な田舎で生きてきたつもりだけれど・・
結局わたしなんかそれだけの人間なんだけど・・
風姿花伝読んでて、なんか、むちゃくちゃ泣きそうになってきた。

ごめんなさい。ちょっとだけ泣いてても、いいですか (殴


(原文)
ー 三十四、五より(『風姿花伝』より)
 此比の能、盛りの極めなり。
 ここにて、この条々を極め悟りて、堪能になれば、
 定て、天下に許され、名望を得べし。
 若、此時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふ程なくば、
 いかなる上手なりとも、未だまことの花を極めぬ為手と知るべし。
 もし極めずは、四十より能は下るべし。それ、後の証拠なるべし。
 さる程に、上るは三十四、五までの比、下るは四十以来なり。
 返々(かへすがへす)、此比天下の許されを得ずは、
 能を極めたるとは思ふべからず。ここにて猶慎しむべし。

ところで『紅天女』だが・・
かの植田紳爾脚本ということだったら、
あの『ベルばら』の(アンドレとオスカル篇)でファンを仰天させたあのはずかしすぎるあのラスト、
ガラスの馬車に乗って盛装したアンドレが両手をひろげてオスカルを迎えにくる~
の場面さながら、
(梅の精を迎えに空飛ぶ牛車がやってくる)
になるであろうことに20トリビア (誤

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2005年10月23日 (日)

夜間ハイク

三男の通っている小学校では年に一度「夜間ハイク」という、ただひたすら夜道を歩くという行事があって、日付かわって今日はもう昨日のことだが、PTAとしてお世話にいってきた。
真っ暗ななかでもピカピカ光る警棒をぐるぐるまわし、いろんなポイントに立っていて隊列を誘導したり車を停めたりする、という交通整理係。
シロウトなので上手にできないのは当然かもしれないけれど。
つめたい川風吹きすさぶ田舎道、星はきれいだけどひたすら寒く、それにどうしてだろう、田舎って、道が交差してる危険なところにかぎってやたらお墓があったりお地蔵さんがあったり、いついつの河川氾濫による死者の慰霊碑だのってのがあったりして供えてある枯れた花がかさかさいったりしてるって、なんなの? 
しかも街灯とかなくってどこもかしこも真っ暗だし。やたら星がきれいなばっかりでまんまプラネタリウムみたいだし^^;
疲れるはおまけに突然うちのボロ車の窓の電気系統がいかれてしまって窓が閉まらなくなるは、って、さんざん。
参加人数は約250。実はこの行事には、子供三人通わせていながらわたしは参加したことはなくって、お世話だけにしても参加は今回がはじめてだった。
道中約8キロ、でもこれがけっこう楽しい行事らしいってはなしだけはきいていたけれど、歌ったりしゃべったり騒いだりしながら子供も大人もみないい顔して学校にもどってきて、おやつをいただいて解散。
困った事故もおこらず、つつがなくというかみんな元気いっぱい疲れもみせず、めでたしめでたし。
PTAの解散のとき、学校からふかしたお芋さんをいただいた。
あったかくって、めちゃめちゃおいしくって、幸せだった。以上。


追加:
夜間ハイク小説(そんなんあるんかい)、といえばやっぱり恩田陸「夜のピクニック」だろう。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/customer-reviews/-/books/4103971053/250-4055898-2130628

実はまだ読んでない。
もしこの小説にぶきっちょなPTA役員が交通整理係として参加して、変な誘導とかしててみんあを混乱させたすえ子供にバカにされたりしてたら、きっと感情移入してしまうだろうなあ・・って、そんなのいないよね、きっと(笑

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2005年10月20日 (木)

博物館で、お泊り

こんな夜美術館の前に佇(た)ってゐると背後より大山猫が来るぞ  永井陽子『ふしぎな楽器』

こんな記事を見つけた。

大英博物館でお泊り合宿 ここ

世界の子育て:イギリス~大英博物館の宿泊イベント

土曜日の夜、博物館が閉館した午後6時過ぎから親子250人が寝袋を抱えて集まり、まずそれぞれが寝る場所を決めた。宿泊スポットは古代エジプト王朝やアッシリア帝国のギャラリー。古代エジプト王の銅像や彫刻のそばなど、どこでも好きなところを選べばよい。
(略)
この「宿泊イベント」は同博物館が毎年4回、実施している。とても人気が高く、毎回すぐに定員いっぱいになるそうだ。これまでに展示物破損などの事故は一度も起きたことがないという。参加費用はひとり27・5ポンド(約5500円)である。

いいなー。
わたしだったらどこで寝るだろう。
・・なんて考えてしまった。

神戸の震災のとき、図書館を開放して、そこに避難者が一時住みついていたこと、あったけど・・

メトロポリタン美術館に住みついてしまった家出姉弟のおはなし、読んだことがある。
『クローディアの秘密』。こちら

インテリによる悪童小説とでもいおうか。
トム・ソーヤーとハックルベリー・フィンに、頭のよさとシニカルさと如才なさをくわえたような姉弟。そう、天下無敵のコンビw
子供むけのおはなしでありながらブッキッシュで、それでいて関西風のボケとツッコミがきいてるような、ふしぎなおはなしだった。
悪童小説には宝探しがつきものだけれど・・
だから当然、お宝もでてくる。だって舞台はメトロポリタンだもん。

こんな物語を子供のころに読んでいたら、わたしもきっとマネしたいと思ったとおもう。
じゃあどこに行く?といったら、よくわかんないんだけど。

この物語、『クローディアと貴婦人』という映画にもなってるらしい。
おおお、うるわしのイングリッド・バーグマンさまも出演とな。観てみたいなあ。ここ

まんま、『メトロポリタン美術館』、という曲を知っている。
大好きな曲だった。
著作権の問題は、ちょっとご容赦いただくとして・・

「メトロポリタン美術館」 大貫妙子作詞・作曲

大理石の 台の上で
天使の像 ささやいた
夜になると ここは冷える
君の服を 貸してくれる?
タイムトラベルは 楽し
メトロポリタン ミュージアム
赤い靴下で よければ
かたっぽあげる

エジプトでは ファラオ眠る
石の布団に くるまって
呼んでみても 五千年の
夢を今も 見続けてる
タイムトラベルは 楽し
メトロポリタン ミュージアム
目覚し時計 ここに
かけておくから

ヴァイオリンのケース
トランペットのケース
トランク代わりにして
出発だ!

タイムトラベルは 楽し
メトロポリタン ミュージアム
大好きな絵の中に
閉じ込められた

・・もしもしそこなお嬢さん。
はやく絵からでてらっしゃいな。もう百年たちましたよ・・
なんてね。

水族館 美術館 科学館 博物館 飾らるるとは真に寂しき 永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』

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なよたけのかぐや姫

復活したテレビ番組『日本昔ばなし』を子供たちと観た。第一話は「花もほころぶかぐや姫~♪」の歌にもある「かぐや姫」。
昨今のアニメの流行をかたくなに拒否したようなかわいげのない^^;絵柄、そして語り口。
このごろは満月で、月がきれいだが・・
このリバイバルは、一度隠れた月がまたよみがえったようで、
先日観た満月を思ったら、ひときわ味わいふかい「かぐや姫」だった。

DSCF0627

そういえばかつて不動の人気を誇っていたこの怪物番組の視聴率を奪ったのは、たしか『セーラームーン』だったと思う。
「月にかわっておしおきよ」の決めせりふの月の国のプリンセス・セレニティーが、かぐや姫~♪の凋落を招いたというのも、なんだかなあ、と。

かぐや姫、といえば思い出すSFがある。
「月夢」星野之宣(『妖女伝説』所収)・・

月面での活動中に宇宙飛行士がが突然暴走をはじめてしまう。
呼び止めようとする仲間たちを振り払い走り続ける、その日系人サカキの正体。そしてその目的とは・・

というおはなし。
短編ながら、強烈なインパクトがあり、むかし最初読んだとき、途中から完全に号泣モードにはいってしまったものだった・・
こちら

映画『春の雪』の原作は、長編『豊饒の海』のシリーズの第一巻だが・・
豊饒の海というのは、そもそもが月面の地形につけられた名前。
月は死と再生を繰り返す不死の象徴。
・・最終巻を書きあげたのち三島が死んだというのも
なにか関連がありそうで、そんなことを思い出してしまう、このごろの月のあやしい明るさで・・

抱く髪抱かるる髪くらぐらとたちくる死者を春と呼びにし 永井陽子『なよたけ拾遺』

そういえばかぐや姫ことなよたけのかぐや姫から題を得た『なよたけ拾遺』のもうひとつのテーマは、作者の父の死であった。
歌集で繰り返し描かれる死のイメージは息苦しいが、それは再生を待つ月への祈りでもあったということかもしれない。

いさよひの月掻きいだく手のなかにひとのやうなる影あるばかり 永井陽子『なよたけ拾遺』
月明の竹林にねむる 否、ビルのましたにねむる夭きこころは 永井陽子『なよたけ拾遺』

現代の夜はあかるくなってしまい、月のことなど誰も見ていないと思われがちだが、
こんなふうに月はさまざまに姿をかえて、今も夜空に輝いているということなのだろうか。
人の心に夜あるかぎり。
否、人の心が夜を求めるかぎり。

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2005年10月17日 (月)

ヘルニア国ものがたり (駄

頭痛がおわったとおもったら、今度は腰痛。
三男がわたしの布団で眠ってしまっていたため、しかたなく子供用のベッドで寝てしまい、それが悪かったらしいが。

実は最近買い物をした。古い洋服ダンスなど。
丁寧な彫刻が気に入って買ったのだが・・
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『ナルニア国』なら小学生のころにひととおり読んだ。古い箪笥のドアーの向こうは不思議な国っておはなしで、でもあんまり印象が残っていない。変に教訓的で、ダサい、なんて感想は正しいものだったんだろうか。いまさら確かめるつもりはないけれど。

でも今でもやはり、いつも使う箪笥の扉をあけるときだって、なんとなく身構えてしまう。
箪笥のなかに引き込まれたり、突き飛ばされたり--そんなはず、ないのにね。

そしてここしばらく続く頭痛に腰痛。
この買い物のせいじゃないの?なんて家族は言うけれど。
まさか。韓国のホラー映画『箪笥』じゃあるまいし(未見だけど^^;
そういえばすごく安かったっけ・・なぜ?(笑

ああ、まだ腰が痛い。
ナルニアじゃなくってヘルニア国って、言ってた人がいたっけ。(overQさん  ここ)
うん。魔女だろうがライオンだろうが、治療してほしいよ、腰痛w

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2005年10月 5日 (水)

「春の雪」の漫画化

10月12日(水) 週刊女性にて、三島由紀夫原作『春の雪』の劇画連載開始。御大・池田理代子が絵をかくらしい。「今年は生誕80周年、没後35年の節目の年にあたり」「今回のコミック化は、池田理代子さんの知人が三島さんの遺族とも交流があったことから」とのこと。(記事を引用すると長くなるので省略→ここ


「三島小説はその世界観が重んじられ、ほとんど漫画化されていない」「精ちな文章で描かれる三島小説は、その世界観を大事にしたい意向から、遺族も漫画化に慎重だった」

わたしは漫画はむかしのしか知らないが、作家の技量は、たしかにむかしの方がすごかったと思う。ただ、そのころはやはり文芸作品をビジュアル化することに抵抗があったし、だからといって現代では、三島作品をビジュアル化できる作家がいるだろうかということなんだろう。
たとえば、むかしの山岸涼子なんか『近代能楽集』とかかなり似合ってたと思う。

大正時代が舞台の少女漫画っていうと大和和紀の『はいからさんが通る』を思い出してしまうけれど、『ラブパック』を『あさきゆめみし』に昇華したような『春の雪』を見てみたい気もするが、仕方ないか。
でもどうせ漫画化されるなら『ニーベルンクの指輪』のキャラクターのひとりを最後、ヒトラーに変身させたくらいのデフォルメがほしいかもしれない。

実は池田さんは「ほとんど読んでいます」と話すほど三島作品の長年の愛読者。並々ならぬ思い入れがあり、数え切れない程何回も読み込んだ「春の雪」原作本は3冊も持っているほどだ。(略)

三島といえば聖セバスチャン、ってイメージがわたしにはあったが、そうか、池田理代子の漫画『オルフェウスの窓』の主人公たちが通う学校の名も「聖セバスチャン」とかいうのだった。
「私が20代の時、三島さんの死もリアルタイムで知り、大変な衝撃を受けました(池田談)」
ということだが・・
あの時代、あの事件に衝撃をうけない人はいなかったといえばそれまでだが、いわれてみれば「ベルばら」だって三島事件の影響を感じてしまう気もする。つまりあのバスティーユは兵たちが賛同した場合の市ヶ谷だったのか。

ところで『春の雪』はいわずとしれた『豊饒の海』シリーズの第一冊目。つまりエピソード1ってことで、漫画の方のもう掲載予定の女性週刊誌に予告編がでてるらしいから主人公の清さまと聡子級の配役は省略。

・・でも実はこの物語の本当の主役はあんただったかも、な聡子お嬢様の乳母の役は顔的にはベルばらのマロングラッセじゃダメね。清さまとの恋を泣いて邪魔しそうだし。
『雨上がり』のばあやさんだったら雪のなかお嬢様のお帰りをじーーっと立って待っててそのまま死んでしまいそうでこれもダメ。
『女帝エカテリーナ』のエカテリーナさまだったら・・
同時に手引きしてお嬢様と婚約者の間に既成事実をつくらせるという一種のアリバイ工作をやってのけた上、家に火をつけてみなの注意をそらしているあいだにお嬢様を無事身二つにしてさしあげ、やや子はあざらしの毛皮でぐるぐる巻きにして脱出させ、どこかで養育させておく、と。
それでもって『黒衣の伯爵夫人』のテオだったら・・
用なしになった清さまはあわれ地下室(座敷牢?)に閉じ込められて監禁されるか、きれいなお顔の人形につくりかえられるか、大きな鳥かごにいれられて天井からつるされ、下から槍でつつかれる、と (日本だから薙刀か

どうやら映画版のラストは原作と違う展開らしいけど・・
漫画版ではありえるかも、あざらし。(セイウチだったかも・・v

ということで第二作『奔馬』の飯沼(いいぬま)勲(いさお)は「オルフェウスの窓」のクラウスよりアニメ版「ベルばら」の方のサン・ジュストが正解だね、と。
ところで『奔馬』の鬼頭槇子(きとうまきこ)だが、軍人歌人鬼頭中将の娘で、歌人って設定って・・
モデルは斉藤史っておはなし、その弟子筋から聞いた事あるけど、そうだとしたら、むむむ。
・・絵画化するなら『オルフェウスの窓』のヴェーラが個人的に好き。冷たそうだけど情のある美人で、しかも陰謀だって偽証だってなんだって平気でできちゃう知力胆力をあわせ持つ、まかせて絶対安全剃刀って感じで、だって斉藤史なんだもんって、本当だろうか。

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2005年9月 8日 (木)

案山子

養老孟司の「バカの壁」は面白くてわかりやすいなどという割にははわかりにくいところがあり、たとえば
「基本的に都市に住んでいるということは、すなわち意識の世界に住んでいる、ということです」p116
なるくだりなんぞ、だったら
-田舎は無意識の世界そのもの、つうか、具現
というお話になるのかと思いきやそうでもなく、話題はドンドンフロイトやら熟睡する学生やらホームレス問題、働かなくても食える問題やらに移っていき。
まあ、結論。わたしくんだりが読んだってわかんないってのは、わかった。

だったらというわけで?田舎でみつけた無意識のおそろしさの小ネタ。

被害甚大たる台風14号が駆け抜けても平気だったわが村の田んぼ。
こがねのみのりはもうすぐです・・
というわけでなにげなく案山子。
2005_08150013

なにげなく拡大
kakudai

別バージョン
2005_081500142

うちの子たちがすずめの子ぐらいちっちゃかったころによくおびえていた案山子くんたち。
・・悪いことしたら、あの案山子がすごいスピードで追いかけてくるよ
なーんていってさんざん脅かしては泣かしてやったもんだが (をい

ありがとう案山子くんたち。君たちのおかげで今年も豊作だよ、きっと。

台風のあとのすばらしい夕空。
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・・そしてすばらしい月。
2005_08150011

2、もあります。どぞ。→ここ

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2005年7月18日 (月)

赤い馬

(再編集してます)
キトラ古墳から、鮮やかな朱色の衣をまとった獣頭人身の「午(うま)」の絵が残っていたのがみつかったとのこと。ここ
本来ならもっとセンセーショナルな扱いをされて当然だろうが、各紙一面トップ扱いにはされていたものの、なにか腰がひけてる感じがしないでもないのは、その絵の雰囲気によるとしかおもえないのは気のせいか。
だってお盆の前でしょ? 牛頭(ごず)・馬頭(めず)なんて、やだよ。「奇跡的に」地面の下からでてきたりしないで、そのまま地獄に帰れよ。こわいよ。

絵は「午」であって「牛」ではない。
ただそれだけのことなのだが、これが「牛」なら絵の出現はそのまま、人偏に牛とかく「件(くだん)」の出現ということにでもなろうか。

くだんは歴史上の大凶事が始まる前兆として生まれ、凶事が終ると死ぬと言う。
小松左京(1968)「くだんのはは」

ハーン (平井呈一訳)『日本瞥見記』(下), 第23章「伯耆から隠岐へ」五, p.283-284: 「クダンをご存知ありませんか? クダン(件(くだん))というのは、顔が人間で、胴体が牛でしてね。どうかすると、牛から生まれることがあるんですが、これが生まれると、何かが起る前兆なんですな。件というやつは、つねに本当のことしか喋らない。ですから、日本の手紙や証文には『依って件の如し』という文句をよく使いますが、あれはつまり『件のように真実をもって』という意味なんですよ」

佐藤健二『流言蜚語』p.166:
「神戸地方では『件』が生まれ、自分の話を聞いた者は、これを信じて三日以内に小豆飯か『オハギ』を喰えば空襲の被害を免れるといったそうだ」

小松左京(1968)「くだんのはは」:
「 ... 。くだんは件と書く。人牛を一つにしてくだんと読ませるのだ。くだんは時々生まれる事がある。 ... 。くだんは歴史上の大凶事が始まる前兆として生まれ、凶事が終ると死ぬと言う。そしてその間、異変についての一切を予言すると言うのだ。 ... 。」

すべてこちらの引用


・・そういえば人偏に「非」と書いて「俳」となる。
「俳句」の「俳」って、どういう意味なんだろう。

・・三男の風邪がなおったと思ったら、長男・次男と具合がわるくなりはじめ、わたしもちょっと具合がわるい。
「その者青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。」ってのは宮崎駿の『ナウシカ』だけど・・
赤き衣の午かあ。
「・・干支の置物は石、ガラス、陶器で作られた「赤い午」を南に置くと動かなか った金運を動かしお金の流れが良くなります。 ただし、交際費が出すぎる 傾向もありますので、無駄遣いには注意しましょう。」琉球占術 より

うう~ん(笑

追加:新約聖書 : ヨハネの默示録

第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物《いきもの》の『來れ』と言ふを聞けり。
(略) 斯て赤い馬いで來り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる劍《つるぎ》を與へられたり。ここ 第六章 3~4

・・キトラ古墳からでてきた赤い馬が持ってるのは、剣じゃないから良かったってものかしら(マジ

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2005年7月 8日 (金)

七夕の惨事・・

日付かわって昨日のことだが。
よく晴れていたし、ちょっとだけと思って家をあけたたった一時間の間に雹がふるほどの大夕立にあう。
全然油断していたため、七夕の夜の気持ちよい眠りを期待してお洗濯もお布団も干したまま。
真昼だというのにライトをつけなければ走れないほどの嵐。ひっきりなしにとどろきわたる雷の間を潜り抜けるようにして必死の思いで帰宅、当然ながらものすごい惨状を目にすることに。
茫然自失、意気消沈。おまけにどうしてライトを消すことを忘れていたのか、夕方、車のバッテリーがあがってしまっていることを知る。
近くの車屋さんに来てもらい、バッテリーを動かしてもらうが、「こりゃ、ダメですね。またとまりますよ」なるお言葉的中、おかげで(シーツ+お布団のカバー)×5人分、プラス晩御飯の材料、を細腕いっぽんでスーパーから自宅まで運ぶハメに。
雨がやんだころあい、びしょ濡れのお布団からはがしたカバーにシーツをお洗濯したり、ぬれたお布団を夕風にあてたり。
間にファックスを使って書類を送信しようとしたところ、これもイカレていることを知る。ひー。
・・夜、もう一台の車をつかってバッテリーの充電にチャレンジ。夫に電話し、アドバイスしてもらいながら二台の車のバッテリーをつなぐが、もともと無理だったためか見事失敗。
不幸なことにイカれたほうの車は窓があいたままだったため、電気系統がワヤになっていたら当然ながら窓もしまらない。
とりあえず雨露をしのぐためにビニールを窓に貼り、ベニヤ板をたてかけておく。
・・ひーひー言って駈けずりまわっているあいだ、入札していたヤフーのオークションをチェック。めぼしをつけていた本棚が締め切り直前になりどんどん高値がついてしまい、たたでさえ弱気になっていたため早々にギブアップ。落ち込みまくる。

昼間のたった一時間ほどの油断がもとで家族からも大ばか者呼ばわりされまくり、さらにはコレだけ災難は連鎖しておこりうるんだなあ、と妙に納得しつつ、なかばあきらめムード。もう、何でも来い、と。
七夕の夜空をあおぐ。
ちょっとだけ、雲の切れ間から星空がみえた。うれしかった。

+

ロンドンで同時テロ 37人死亡、負傷者700人以上 とか・・
ラッセル・スクエア駅~キングズクロス駅間 でも。
計4件もの多発テロ・・って。

キングスクロス駅といったら、「ハリーポッター」。
ホグワーツ魔法学院行きの特急列車がロンドンのキングスクロス駅の9と3/4番線から出発するという設定で有名。
ここ
だからこの事件、魔法使いの世界でがなにか、あったということかな・・と第一報を聞いてすぐ、ポッタリアンの次男は言っていたが。
もちろんハリポタには顰蹙もののような悲惨な場面が出てくるのは事実だが。
・・物語の世界を越えた現実のいたましい事件に胸が痛む。

ちなみにテレビ朝日の人気番組?、列車による旅番組「世界の車窓から」は1987年6月1日ロンドン・キングスクロス駅からはじまったそうな。ここ
わたし、この番組好き。でも、なにぶん短いからあっという間におわってしまってなかなか観れないのよね。運良く?観れたときはとても幸せな気持ちになれる。

でもあらためて調べてみたら、キングス・クロス駅ではその1987年に大火災があったりして、死者30~31名・負傷者50名もの大惨事だったという・・ここ
そのためにロンドン地下鉄が全駅禁煙となったりしたという、結構こわいところっぽかったりするということか・・  ここ

現実の平穏の向こうで悪夢は透けて見えていて、でも人間は生きていかなくてはならなくて。
わたしは昼間、たった一時間の油断で目が回る思いがしたが。
災難にあったかたがたにとって、その一瞬は計り知れない苦しみの元になってしまったと思うと・・
七夕の夜、ただただ、心が痛んだ。

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2005年7月 4日 (月)

不思議ちゃんな歌3 /おたく度チェック

えっと、この前からなぜかしきりに

書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる 森鴎外

って短歌に心うばわれ、いそいそしてる割にはろくに調べもしないでグータラしてるわけですが・・

なんかこれってもしかして元ネタ?ってのがありました。
17世紀後半に書かれた蒲松齢の中国の短編怪奇小説集『聊斎志異』の【37】愛書狂 です。

玉桂は本が好きで、20才を過ぎても結婚を考えず、本の中から好い人が迎えに来ると考えては暮らしていた。そんなある日、本を開くとそこから美人の描かれたしおりが出てきた。男はそれを眺めているうちに、彼女が話しかけてきた。そして二人は囲碁や将棋をして遊んだが、そのうち両者の間に子供が出来た。うわさを聞いた知事も玉桂の妻を見たいと思ったが、女が恐れて姿を隠したため、知事は怒って男の家の書物を焼き払ってしまった。

「本の中から好い人が迎えに来る」
・・こんなむかしから二次元妄想ヲタクってのはいて、かんがえることっておなじだったのねん。その相手の美人との間に赤ちゃんが、というくだりもなぜかほのぼの (でもどうやって? 

とゆーわけで
●当サイトへのリンクはフリーです。
事前の確認や事後の通知は不要です。
とゆーお言葉に甘えて、「書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる」な挿絵もお借りします。見えにくかったらポップアップしてください。

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見えますか? 
ええ、そこ。本の上にゐますよゐます。
わが読みて行く字の上にゐますってば。あはは。
寸ばかりなる、どころか、大きさ的にいえばフィギャーってかんじだけど・・
鴎外んとこにやってくるんだったら、このとおり格調たかげな天女さまスタイルぐらいにしなきゃあ。
いかな妖精さんだってメイド服やら女給服やらおハダカじゃあ、ダメよね (をい
確証はないけど、きっとこんなんが元ネタじゃないかなって思うのよ、うん (ほんまか?

話し戻って・・
ラストの「知事は怒って男の家の書物を焼き払ってしまった。」ですが・・
オタクってのはたいがいものすごい試練に見舞われるものだけど・・
いきなり焚書ですかそーですか。
玉桂くん、泣いただろうなあ。
でもオタクの心情にまるで理解を示さないこの知事の偏狭性も、ある意味、ナイス。
鴎外はというと、玉桂くんみたいにならなくって現実世界でも家庭をもって、出世しまくり文豪の名をほしいままにしまくりで、これまたナイス。

+

あなたのおたく度チェック

質問:自分の趣味、好きなことに一ヶ月の内、どれくらいのお金を費やしますか?

・・短歌の本って高いのよね~。結社やらいろんな会の会費とかもあるし。主婦だし、そこんとここまるのよね。
なんてつぶやきながら、やってみました。

質問【9】 あなたの前をひとりの「おたく」が歩いてきました……
目を合わせないようにする
石を投げる
「同志よ!」と心の中で思う

・・ってゆっかー。
老人大学とかでしてるってひと以外、短歌つくってます♪ってひとじたい、村にはいないしねえ。
あ、それから。ザンネンですけど夏の大会、行けそうにないです。「短歌人」のお友達のみなさん、ごめんね。

自分の好きな話をはじめると止まらない
愛するキャラを自分のデフォルメで書いてばかりいる
脳内が常に愛するキャラに汚染されている

・・?
自分の好きな歌人の話をはじめると止まらない
はともかく・・
愛する歌人の短歌を自分のデフォルメで書いてばかりいる。脳内が常に愛する歌人に汚染されている。
なんか、短歌やってるひとなら当然な気も(^^;)

とゆーことで、わたしの結果。

あなたのおたくタイプは【妄想倒錯型】に分類されました。おたく度数は【120%】ぐらいです。

自分の妄想の世界に没頭する傾向が非常に強いあなたは、まごうことなき「おたく」と言えそうです。
あなたの興味方向はおもに二次元世界に向けられ、特殊な美的センス、特殊な嗜好傾向が既に確立されていることでしょう。
残念ながら重度のおたく症候群を患っているため、現実社会に戻るすべはないのかも知れません。
諦めて、これからも「おたく道」をまっしぐらに歩んでいってください。

あなたにぴったりのおたく称号:おたくの真髄
二次元妄想度  100%
自己顕示創作度  25%
強迫性知識欲望度  59%
客観的冷静度  39%

・・なぜ? 普通に市民生活してるよ、わたし?(笑

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2005年6月24日 (金)

不思議ちゃんな歌 2

なんだか夏至のころだからか、やたらちっちゃな小人さんが気になって・・(笑

昨日書いた鴎外のあの不思議ちゃんな短歌のせいです。
「この女の正体は」
って内容のメールがきた夢をみました。
・・まさか夢にまででてくるとは。
女の正体って・・正体って・・
ああこわい。ちょっと疲れているようです(笑)

書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる 森鴎外

菫程な小さき人に生まれたし 夏目漱石 (明治三十年)

麦藁の家に小人の夫婦住み 芥川龍之介

ってわけで教科書でおなじみの明治の文豪たちでどんじゃらほい♪
(検索による抜書きです)

DSCF0383
もじずり。

芝の上やお庭のすみっこにつん、って立ってるこの草を見てると、なんだかちっちゃな人が立ってるような気がする。
螺旋階段のようについてるちっちゃなお花を見てると、ぐるぐる。目が回ってくる。

もじずりの「もじ」が「文字(もじ)」という意味なのかどうかは知らないが・・
鴎外の「わが読みて行く字の上に」・・「字」つながりで、例のごとく、無理やりな写真(^^;)

DSCF0382

今朝剪った薔薇。
このごろ手入れをおこたってた。

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2005年6月23日 (木)

不思議ちゃんな歌 1

夏至のころにはちいさいひとたちがどんじゃらほい♪、なんて前の記事で書いてしまったが・・

書(ふみ)の上に寸ばかりなる女(をみな)来てわが読みて行く字の上にゐる 森鴎外

・・。
・・いくら作者が文豪でもいきなり目の前にこんな歌を置かれると、読者はきっとものすごく困ると思うんだけどな。

どいてください。
はいはい、そんな目で(どんな目だ)こっち見ないで。
だめでしょ。ヘンなことしないの。
この前は着物だった。
その前はメイド服だった。
そして今は・・あぁ。
・・なんてね。

この女(をみな)、なにもの?(←ぢぶんで調べろよ、とツッコミ

中央公論「日本の詩歌」29『短歌集』の冒頭近くにいきなりこんな歌があって、わたしの不勉強と読解力の欠如はさておき(^^;)
この歌を読むたびにこの人のこといろいろ想像して、なんかおかしな気持ちになる。
鴎外といえば正倉院御物拝観のおりの作の
勅封(ちょくふう)の笋(かたんな)の皮切りほどく剪刀(かみそり)の音の寒きあかつき
が有名だけど、わたし的にはこっちの不思議ちゃんな歌の方が好き。
この歌がのってるからこの『短歌集』が好き。
この本をひらくたびにこの歌が読める。だから好き。

写真とる。一つ目小僧こはしちふ。鳩(はと)など出だす。いよよこはしちふ。 森鴎外

これも不思議ちゃん。
っとゆっかー、「こはしちふ」って、なになん?(・・

この本の鴎外担当は佐佐木幸綱だけど・・
わたしがバカなのはわかるけど、ほんとわかりにくいと思うからちゃんと解説とか、書いててよ。

+

シェイクスピアつながりといえば、「十二夜」を原作とした「エピファニー」という作品が宝塚で演じられたとき(1999年宝塚歌劇 星組 バウホール公演)、文士毛利林太郎とその令嬢・毛利鞠、なるそのまんまな名まえで
森鴎外・森茉莉の親子が出てたらしい(わたしは観てない)。
妃里梨江演じた森茉莉の役どころは「十二夜」のオリヴィアで、歌舞伎役者の兄の身代わりになってた男装の少女をそれと知らず一目ぼれしてしまう・・なんて感じだったとか。うはは。『ドッキリチャンネル』の作者たる森茉莉が観たらどう書いただろう。
ちなみにパッパ(鴎外)のお茉莉は大正8年に16歳で結婚して24歳で離婚してる。かっこいいぞ。

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2005年6月20日 (月)

雨師すなはち・・

不思議なニュースを読んだ。
南アフリカのある部族の女王が若くして逝去したとのこと。
世界中に王室とよばれるものはたくさんあるだろうが、この若くしてなくなった女王マコボ・モジャジは女性王朝の裔で、さらに代々、降雨をつかさどる力があると信じらた、雨の女王だったという。こちら

「伝統にのっとって、彼女は未婚だった。」とのこと。
ちなみに前女王は彼女の祖母だったらしい。
・・ということは、代々の女王は未婚のまま娘を産み、その女王位を次代に譲るということなのだろうか。う~ん。

「マコボ・モジャジは公式な学校教育を受けた史上初の雨の女王でもあった。彼女は高校を卒業している。」
「マコボ・モジャジは2003年に彼女の祖母モコペ・モジャジ5世のあとを継ぎ、軽い小雨のなかで戴冠式が行われた。」
「生前の女王は人気テレビドラマのファンで、携帯電話でおしゃべりをしながら街を歩き回っていた。」
「過去、女王は8人以上の酋長と300人以上の死刑執行人を支配したものだった。」
・・彼女の死を悼み、雨はまた降ったのだろうか。

でもなにより驚いたのが、このくだり。
「雨の女王は19世紀の英国人作家H・ライダー・ハガード卿による冒険小説「ソロモン王の洞窟」「洞窟の女王」によってアフリカの外でも知られるようになった。」
DOUKUT60
・・えええっ!?
・・ホンマかあ~~っ!?

三島由紀夫の「豊饒の海」もびっくり、二千年以上も生きつづけてきた不滅の女王アッシャと、彼女と会うためにのみ繰り返し輪廻転生を続けてきたハンサムな恋人レオはあんな冒険やこんな冒険のあと結ばれて、無事マコボ・モジャジの祖先となりましたとさめでたしめでたし、っておはなし・・じゃないよね。

ええ、わかってます。でも、子供のころ夢中になって読んだ荒唐無稽な冒険物語が、急にリアルに感じられたのは事実。(^^;)

雨師(うし)として祀り棄てなむ葬り日のすめらみことに氷雨降りたり  山中智恵子『夢之記』

・・山中智恵子には昭和天皇の逝去を悼んだ「雨師すなはち帝王にささぐる誄歌」という連作があるが・・

雨師とは、雨乞いの霊力をもつ人である。(略)しかし、雨師が霊力を失ったら殺され、霊力をもつ新しい者に王権は引き継がれるということさえあった。(春日井 建)

・・それはさておき。
今年の梅雨、あまり雨が降りません。
うら若きマコボ・モジャジ亡き今、雨師よいづこに、というところかしら。

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2005年6月14日 (火)

あたたかな本

子供の学校の学園祭の手伝いに街にでかけた帰り、もう店をしめようかという風情の古い商店街はどこまでも暗く、その一角、これまたさびれた感じの古本屋さんの店先のあかりだけがあかるくて、ふらふらと入ってしまう。

いい年齢のシロウト(笑)の主婦が燈点し頃、ひとりで古本屋さんの本棚の前でたたずんでいるなんて、どうみても落ち着かない雰囲気だろうなあ、と思いながら、目は書棚を走っている。高野公彦編の「現代の短歌」、「佐藤佐太郎歌集」(どちらも文庫版)があったので買う。
今日のお客はわたしでおしまいだろうかと思いながら清算する。
・・古本屋さんのおやじさんの頭上を煌々とてらすあかりのあたたかさ。
買ってあげられる本があってよかった。
本を持ってまた暗い商店街に戻った。

「現代の短歌」とあるが、佐々木信綱からはじまっているところあたり、なかなかである。
・・古い時代の短歌の、簡素なたたずまい。どうしてだろう。古臭いはずの歌を読み続けているうちに、尖ってささくれていた気持ちが泣きたくなるほどすうっと鎮められていく。
触れれば血が出るような、というような言い方は褒め言葉として使われるものだろうが、あまり鋭すぎる作品に触れるのは、今のわたしには少しつらい。
・・そういえば、手に触れたときあたたかな感覚を本に感じたのはひさしぶりのこと。
前のひとも大切にあつかいながら読んだものらしく、手にとってひらくときの感じが新刊特有のすがすがしい鋭さがないかわりに、ものやわらかく、やさしくあたたかいのがうれしい。
手近なところに置いて、家事の間に開いては拾い読みをしているものだから、しょっちゅうどこかに行ってしまい、そのたびにあちこち探さなくてはならなくなるのだが。
この本、時代くだって、辰己泰子がトリ。ゆっくり読みすすめていこうと思っている。

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2005年6月 7日 (火)

オークション

ソファーがほしいと思った。
座り込んだらふわっと抱きかかえてくれる、あたたかくやさしいお膝のような。
あかちゃんかそれよりずっと前の頃のように身体をまるめたままうとうとして、椅子にしみこんだ古いかび臭い匂いなんかをかぎながらそのまますうーっと眠ってしまうような。
そんなソファーがほしくなり、でもそんなシチュエーションってまんま江戸川乱歩か「家畜人ヤプー」 じゃん (違
かなりどっか危険だぞ、わたしw

・・ということで「ヤプー」ならぬ「ヤ○ー」を検索。するとどれもこれも、すてきなものばかり。
自分がそこに座ったり、うとうとしたり、ちょっとはなれたところから見てみたりなどとかんがえただけでうっとり。
もう、妄想全開。しんぼうたまりまへん(危険
・・ということで気に入ったソファーめがけて勝負開始。

競馬で「マクリ」という言葉があるとか。

元々は競輪業界の用語で、4角(直線に入る前の最後のカーブ)途中から、中団・後方にいた馬が早めに先頭に並びかけ、先頭の馬と競わせること。先頭集団の馬はその分バテ、自身はそのまま逃げ粘りを狙う。この作戦はうまくいけば、先行馬をつぶせるが、失敗すると単に自滅する。99年桜花賞のジジイ(ゴットインチーフ)が良い例。
ここなど

ええ、途中から参戦。がんばりました。絶対に落とすぞ! 心地よい椅子にしっかり抱きかかえられたイメージに燃えました。そのイメージにささえられ、吊り上げました・・価格。

わたしは家具のことはよくわからないんですけど、どうしてなんだかとても人気のあった商品らしく、途中からわらわらと参戦者の数がふえてきて。
なんで、どーして?
おどき! この椅子はわたしのものよ!
コンピューターの前でライバルのネームを呪いの言葉とともに絶叫しつつ、でもそれは参戦者みな同じで、かくて壮絶な椅子とりゲーム・・

価格的にさすがに心配になって夫に相談。
ところが、「そんなにほしいんだったら、いけば?」とあっさりいわれ。
よっしゃー!
夫、そのまま出かけたのですが、「もっと、ドカーンといかんか!」出先から何度も援護射撃がわりの電話してくれるのはいいんですけど・・
あと三分、というところで電話が鳴って。うっかり夫からかしらと思って応対したら、単なるセールスのもので。

・・すみません。今ものすごくタイヘンなんです! 
絶叫するようにして電話をきり、再び参戦。

がんがん勝負かけた終了前。
よっしゃー! いけたぞ!
とよろこんでいたら・・

なぜ、どーして? 100円がほどの差で負けていた・・
ああ、99年桜花賞・・(しみじみ

やはりあの電話のせいで気がそぎれた。
遺産相続のかしこい方法だなんて意味不明な用件で電話をかけてきた○○、許すまじ。
・・ソファーでくつろいでいる自分。ソファーに抱かれた自分。うっとりした目で周囲を見渡している自分。学校帰りの子供が汚い格好で座っているのを叱りとばしている自分 (笑
ぜんぶただの妄想でおわってしまいました (奇怪

それが数日前のこと。またいい出会いがあれば・・と思っているのですが、なかなか立ち直れません。
オークションは終了してますがまだWEBにのこっているそのページをみながら、
・・コンピューターに保存したその写真を見ながら、
はーーーーーーーーぁ。
・・ため息ついてます。

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2005年6月 1日 (水)

鬼の字/母の事故

昨日は月末ということで、懸案だった事項にかかる。

なにも思わず、坦々と事務処理すればいい、と自分に言い聞かせるも、やはり悔しいとおもうこともある。
どうしても気が入らないため字は乱れ、お上に提出する書類とは到底見えない汚さとなる。
藤原定家も「その字、鬼のごとし」と自分の悪筆を認めているというが。ここ
鬼の勢いでぱぱっと手続き完了。泣きはしなかったが、すこうしばかり敗北感にうちひしがれる。

というわけで、お役所関係を電車もまじえはしごしてまわったわけだが、途中、デパートに迷い込みついでにそこの本屋さんで
5頁に一度は、涙が噴き出る物語。
というめろめろなじゃっくの本を、立ち読みする。
忙しいときに限って本が読みたくなるときって、現実逃避がしたくなるときなのね、きっと。

『ハッピーバースデー』
「全身全霊で泣ける物語」
だそうで母親に精神的に虐待された少女の愛の再生の物語らしいが・・
主人公のあすかちゃんはけなげでかわいそうなんだけど、なんでだろう、むしろ自分勝手で非道な、同情の余地なしな鬼母・静代の方にむちゃくちゃ感情移入してしまったのは不思議だった。
時間がなかったから読むのを途中で止めたが、今度また通しで読もうと思った。

夕方実家の母から電話。その前日、信号機のない四つ角を直進していた母の運転する車は、横の細い道から右折するために出てきた車にぶつけられ大破したという。
お互い目だった外傷とかはなかったらしいが、相手の車の持ち主(いわゆる、おばはん、だったらしい)が逆上、つかつかと車からでてくるやごめん、のひとこともなく、いきなりあんまりないいいがかりをつけてきてタイヘンだったという。
そこはよく事故が起こる「魔の交差点」のひとつらしく、人も死ぬ事故もあったという場所らしく、
だからだろうか近所の住民も心得たもので、事故があったな、ということになったらすぐに出てきてやれ警察への電話だのなんだの、てきぱきお世話してくれて、母は非常に助かったという。

助けてくれたおうちの方には、あとで御菓子を持ってお礼にいった、と母は言っていた。
そんなところで母が事故にあったのはまったくの災難だが・・
助けてくれたひとがいてよかった。その人にはわたしからもお礼がいいたいくらいだ。

ところで母の事故があった日の夜、眠ったら熟睡してしまうタチのわたしがなぜか夜中に目が覚めて、
両親になにかあったのではないか
などとおかしなことを考えたりなどして心がさわいで眠れなくなり困ったものだったが。

まあ、そんな一日だったということだった。

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2005年5月18日 (水)

お城

お庭の水盤でカエル発見。
DSCF0285

駅まで車で夫を送り、そのあと子供たちを送り、ばたばたしているうちにカエルはどこかへ行ってしまった。

お部屋のお掃除に行く。
窓を開けて風をいれ、ワックスをかける。
ワックスがかわく間、持ってきたほうじ茶を飲み、蜂蜜を塗ってたパンを食べる。
ベランダからお城を見る。

DSCF0291

出かける前に、高校生だったころ夢中になって読んだ塩野七生の
「ルネサンスの女たち」を拾い読みしたため、
お城、ときたらどうも「騎士」のイメージになってしまうのがおかしい。

・・愚痴はさらっとにっこりと、とゆーことだろーが。
この本も〈いつものことだが〉お舅さん・お姑さんが整理した、わたしの書棚にあった本だ。そんなことも気づかないお間抜けさんなわたし@ダメ嫁 は、それこそそんなこととは夢にも思わず死に物狂いで探したもんだが、先日、このたびの荷物整理で蔵のなかにあったのをそのほかの本といっしょにめでたくハッケーン、十何年ぶりかの涙の再会をはたし、おわりよければすべてよし。
・・ごめんね。もうはなさないよルクレチア〈誰のことやねん〉。なんて本にむかって言い聞かせたりしたもんだった。いとうれし。

騎士があらわれぬまま床磨き終了。
・・麦畑の続く道を帰る。
麦はまだ青い。あぜ道に矢車草が咲いていたりするのが、とてもきれいだ。

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2005年5月14日 (土)

アヤメ香水

日付かわって昨日5月13日はメイストームデー(5月の嵐の日)
「バレンタインデー」から88日目、「八十八夜の別れ霜」ということで、別れ話を切り出すのに最適とされる日だったそうな。ここ

それでもって「竹酔日」ともいうらしい。
竹を移植するのは旧暦5月13日に行うと良いと言われている。これは、この日は竹が酔っていて、移植されてもわからないからだとか。

別れ話と酔っ払った竹。
なんだか関係ありそでなさそで。

「四月はもっとも残酷な月だ〈エリオット『荒地』〉」
と聞いたこともあったけれど、五月だって結構タイヘンで。
というわけで5月の恋の歌といえば、これ。
 郭公(ほととぎす)なくや五月(さつき)のあやめ草
          あやめもしらぬ恋もするかな  よみ人しらず

郭公が鳴いて。あやめが咲いてて。
それ以上なんだか事情はよくわからないんだけど、どちらさまもご愁傷な、というか、お気の毒なほど苦しい恋をしてるんだろーなー、って歌で。

あやめ草、あやめもしらぬといえば、
--「アヤメ香水」と云う香水の匂(におい)
という記述が芥川龍之介の「点鬼簿」にのっている。ここ

少年時代、実母の危篤の報に人力車で急いだ夜、襟巻きとして薄い絹の手巾(ハンケチ)を巻いていた、そのハンカチに染ました匂い。
大昔の小説のなかでのみ語られている香水。

現代ではIPSAやらエルメスの「イリス」などが、アヤメをベースとしている香水として知られているようですが・・
ちなみにアヤメの香りは「心のバランスを整える」といわれているとか。ほー。

五月は格別心が乱れやすいということか。
まあ、そんなこと特に関係ないと思うけれど。

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2005年5月12日 (木)

昨日、図書室で

末端同人ながら短歌の結社なんかにはいっていると締め切りというものがあり、それでわたしも一人前に引きこもってなにやえらごそごそ、用意しなければならないこともあるってもので。
予定外もありいの、な連日のPTAの会合攻撃にへとへとになりながら、
「お仕事をもちながらきちんと原稿を用意しておられるかたがたは、いったいどうやって時間とか体力とかを都合しておられるんだろう」
と感心するばかりの無能な専業主婦 なわけで・・

昨日は次男の学校の保護者会。
・・というわけで途中抜け出して図書室に行き、だれもいなかったのを幸いとして忍び込み、そこでごそごそ、内職をする。
囲いのある机はあるし、辞書はそろっているし、充実このうえない、といいたいところだが、
短歌や俳句の資料があるわけではない。
用事がすんだら速攻で帰るつもりだったが、つい居心地がよくって
コガネムシ、って虚子は「金亀子」って書いてるけど、普通の辞書とかにはのってるのかな、
なんて気になったので棚の辞書を端からはしまで、片っ端からしらべてみたりした。
結果は、のってなかった・・〈^^;〉なぜ?

わたしは学生時代、学校図書館では漫画ばかり読んでいた。
セブンティーンとか置いているひらけた学校で、
連載漫画とか、楽しみで読んでいたりした。
そのあとカードに名前を書いて本を借りた。
同じ本を読んだひとというのは、あったことがなくても、なんとなく親しみをもつものだが、
「前のひとが借りてから、この本は誰にも読まれず何年もたってるんだ・・」
その間の図書館の朝や夜、じっと本棚で読んでくれる人を待つ本の気持ち。
そんなことを思いながら名前を書いたりした。
購入されてから何年もたつのに、一度も貸し出しされてない本もあり、
そんな本の貸し出しカードに名まえを書くときはいっそう、しん、とさびしいものが心にきたものだった。

うちの村の図書室もだけど、学校の図書室って、まだ貸し出しカードってのかな、そんなのを使ってるのね。
名前を書いてカウンターの箱にいれて・・
鉛筆で書きなぐってあるようなカードとか、たくさんあって。
五月の学校図書室。窓に新緑が映って・・
・・なんだかなつかしかった。

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2005年4月18日 (月)

最期の言葉

部屋を整理しているからというわけではないが、「あなたがつぶやく最期の言葉占い」というものをする。 ここ

わたしの場合、
あなたに会えてよかった
ですと。ほー。


愛する人の手を握りしめ、落ち葉舞い散る窓景を横目にあなたはこうつぶやきます。『あなたに会えてよかった』 美しすぎる最期です。(推定年令:82歳)

「何を言っているのですか。おとなしく死んでおしまいなさいよ。私も死にますよ。いろんなことを聞いているとますますあなたがいやになりますよ。置いて死ねばまたどんなことをなさるかと気がかりだから」 
与謝野晶子訳「源氏物語」:「夕霧
(原文「何ごと言ふぞ。おいらかに死にたまひね。まろも死なむ。見れば憎し。聞けば愛敬なし。見捨てて死なむはうしろめたし」)

パートナーより早く死ぬのがいいか、あとに死ぬのがいいか、なんてことは永遠の課題でしょうが・・
あとに遺されて泣くのはいや。でもだからといってさっさと先に死んでしまうのもまた、あとが心配で心配で、といったところだろうか。
もちろん上にあげた例文は、夫の浮気疑惑で生じた夫婦喧嘩の場面だからまあ、ぜんぜん適切ではないのかもしれないけれど(ついでに「疑惑」でもなかったし^^;)
置いて死ねばまたどんなことをなさるかと気がかりだから・・見捨てて死なむは云々などと、激烈な夫婦喧嘩の最中でもこんなせりふがぽろりとでてきてしまうところなど、やっぱりなあ、と思うというおはなしである。

他にこの占い、
『壷は花瓶にも骨壷にもなるよ』
「もう、何がなんだか分からない」
『お前らみんな死んじまえ!』

などというのもあるようだが・・

+

・何ということだ!あなたが私の為に歌いに来て下さるとは……!ひどい声のあなたが!
byジャン=フィリップ・ラモ(仏・作曲家)

・私を理解してくれた人間は一人だけだった。しかも彼でさえ本当に理解してはいなかった。
byヘーゲル(独・哲学者)

・大地よ、私が必要なのか。今行くよ。
byゼノン(哲学者)

・娘のために死ねない。どうしても小学校の授業参観に行きたいんだ。
by池田貴族

・Turn up the lights, I don't want to go home in the dark.
(ランプの灯りを大きくしてくれ。暗闇の中を通って家に帰りたくはない。)
byO・ヘンリー

・気を落とさないようにしなさい。見てごらん、
空はなんときれいに澄んでいるのだろう。私はあそこへ行くんだよ。
byルソー

「最期の言葉」より

JJルソーは18世紀の思想家。「エミール」「告白」は読んでていらいらしたし、「新エロイーズ」は笑うしか仕方なかった。
思想家としてはご立派だったそうだが実生活では愛人(のちに結婚する)との間にもうけた子供5人を孤児院に入れた嫌なやつという印象しかない。とはいえ最期のことばだけはきれいなもんだが、そんな奴だからだろうか。

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2005年4月15日 (金)

ここではない、どこかへ

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昨日、岡本かの子を引用したが・・
こんな文もある。

「誰だか言ったよ。日本橋の真ん中で、裸で大の字になる覚悟がなけりゃ小説は書けないと。おまえ、それでもいいか」
岡本かの子「雛妓

小説を書く覚悟って、なんなん。
ってことだろうが・・
そもそも日本橋ってどんなところ? わたし、泉鏡花の小説の「日本橋」しかしらないし。
かの子さんはきっと身体に自信あったろうけど(?!)、わたしはぜったい裸になるのはいや。

・・こんなわたしでもブログは書いてて、WEBのはしっこでなんだかぼそぼそつぶやいてて、ハダカさらしてるとまでいわなくってもけっこう「素」をさらしてて、でもそんな言葉たちをうけとめてくれるかたがたがいる。
はげましてくれたり勇気づけてくれたり、いっしょにあそんだりしかってくれたり。
みんなみんなありがとう、って、思うひととき。

「ママ。どっか、行こう。どっか、行きたい~」
「どっか行こうよ。ねーねーねー」
世間では海外だの旅行だの、にぎやかでいいわね、なゴールデンウィークでもどこにもいけなくってふさぎこんでいたむかし。
わがままいわないの!
なんて言葉にも飽きてしまって・・
「今に巴里(パリ)へ行って、マロニエの花を見ましょうねえ。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
とまだちいさかった子供に言って、思いっきり引かれたことがある(笑
いや、このせりふも「雛妓」の一節。せりふの相手はいとけない頃の岡本太郎。
よほど切実に願っていたんだろう、おなじセリフは「母子叙情」にも出てくる。

その頃、美男で酒徒の夫は留守勝ちであった。彼は青年期の有り余る覇気をもちあぐみ、元来の弱気を無理な非人情で押して、自暴自棄のニヒリストになり果てていた。かの女もむす子も貧しくて、食べるものにも事欠いたその時分、かの女は声を泣き嗄(か)らしたむす子を慰め兼ねて、まるで譫言(うわごと)のようにいって聞かした。 「あーあ、今に二人で巴里に行きましょうね、シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」 その時口癖のようにいった巴里(パリ)という言葉は、必ずしも巴里を意味してはいなかった。極楽というほどの意味だった。
「母子叙情」より

・・みのもんたにお昼、電話で相談したほうがいいんじゃない?ってシチュエーションなんだろうけど (ここ
もちろんこんな事情じゃなかったし、わたしはかの子じゃないし息子たちも太郎でないけれど(あたりまえ)、以来、なんかつらくって、どこかに行ってしまいたくなったりするようなとき、よくつぶやく。
もちろん今のシャンゼリゼに馬車が走ってるわけ、ない (たぶん
ここではなくって、どこにもないどこかにいきたい。行ってしまいたい・・
そんな気分になったとき、かの子親子の夢見た、大昔のパリのマロニエの花ってどんなんだったんだろうって、思う。

年々にわが悲しみは深くなりいよよ華やぐ命なりけり 岡本かの子「老妓抄」

どんなにとっちらかった変な文でもさいごにいい短歌が引用されてりゃ、なんとなくかたちが締まる、ってもんだけど。
まあ、かの子さんだって赤い花くわえて腰ふってジョルジュサンドだったり、パリまで馬車でいってしまひませう、だったり(違)、あげくはだかでミラボー橋じゃなくって日本橋だったり・・とかなりとっちらかった文を書くひとだけど (をい

・・かの子さんってつくづく、強烈なんだから。

桜の木の下には 2 に、追加あり(シリーズ化してる(笑)
個人的には「桜の木の下にはあたま山」が好き。

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2005年4月14日 (木)

こんな花見

タバコは(たぶん)ここ3年ほどすってなかった。
ところが荷物をまとめていて、引き出しの奥に残っていたひと箱を見つけてしまった。
それでも一ヶ月はさわらなかった。
わたしはもう吸わないんだから。
自分のことぐらいコントロールできなくてどうする、と。

とはいうもののこのごろは、桜が咲いてる水辺に行って、
いい年して体育すわりなんかして。
マッチ擦るつかのま手のひらあたたかく。
水面をサカナがやたらはねてるのを見たり。
そのまま道端の端からずっと街灯のあかりが点いていくありさま、見たり。
むかし父がタバコをすうとき、ぽかりと真ん丸い輪っかを作ってみせてくれてうれしかったことなんか思い出したり。
たったひとりでそんなふうにたそがれてみたりする。

DSCF0242


女が夕暮れ、こんなところでたったひとり、桜を見てたりするってのは不穏そのものの光景だと思うけど(しかもタバコ、持ってるし/笑




桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺(なが)めたり (岡本かの子 「」)


かの子さんには悪いけど、桜ってたぶん、「いのち一ぱいに咲く」からわたしは苦手なんだ。

もちろん花は、どんな花だっていのちいっぱい咲くモンだよ。
でもね桜ってのは、なんていうのかなぁ・・、ごにょごにょごにょ・・

「丹花(たんくわ)を口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」(「花は勁し」)って小説で
かの子さん、こんなこと、書いてる。
そりゃあ、怖いもんナシだわ。
どんな花がワーって咲いてても、「生命をかけてわが眺めたり」なんてことだって、できる。
ついてけないよー。

(※「丹花(たんくわ)を口に銜みて巷を行けば、畢竟、惧れはあらじ」
 これは女学校友達の女流文学者K――女史が、桂子の講習所を開くとき掛額に書いて呉れた詞句だ。講習所の娘たちの間に、これを読んで、「丹花の呪禁(まじなひ)」だといつて、活け剰りの花を口に銜へ、腰に手を当てゝ、映画に出て来るジヨルヂユ・サンドのやうな気取つた恰好で濶歩するのが一時流行つて、やがて廃れたが――。
岡本かの子「花は勁し」)

+

でもスポーツでもなんでも、がんばる人を見てるとつい感動して応援してみたくなるように。
桜が咲いてるところに寄ってはみんなで花を見て、がんばるエネルギーをもらいたくなるのかもね。
わかる、わかる。これはわかるよ。

・・だからわたしはちょっとはなれて桜を見る。
それぐらいがわたしにはちょうどいいんだ。

DSCF0243

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2005年4月13日 (水)

桜の木の下には 2

きのうはとても寒くってストーブ焚きまくりでした・・
冬物はあつく、だからといって春物はさむい。微妙な季節です。

お引越しできないまま新学期もはじまってしまい、ダンボールに詰めておいた荷物をほどいて、なかのものを出したりしてます。
断りきれないままPTAのお仕事も引き受けてしまい、それもなんとかせねばならず。
なんでこうなってしまったのか。この状況、かなりトホホでつらいです。

昨日突然思いついてコメント欄で遊んでみたら妙におもしろかった名作「櫻の樹の下には」の関西弁バージョン。
『桜の樹の下には屍体が埋まってんねん!
 これは信じてええねん!・・・・』
左半治さま、引用させていただきました。その節はいっしょに遊んでくださってありがとうございますv
・・というわけで「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる!」
のセリフをご当地で言ってみたら、こうなるw
(方言変換道場でトライしてみましたv)

大阪弁 : 桜の樹の下には死体が埋まっとる  
和歌山弁 : 桜の樹の下には死体が埋まってる  
岡山弁 : 桜の樹の下にゃぁ死体が埋まっとる  
高知弁 : 桜の樹の下にゃ死体が埋まっちゅう 
長崎弁 : 桜の樹の下には死体が埋まっとっ  
薩摩弁 : 桜の樹の下にな死体が埋まっとる  
津軽弁 : 桜の樹の下にだば死体が埋まってら

・・機械的作業だから正統派ではないと思うが・・
なんだか、まぬけ(笑


+発展篇+

鬼太郎「あっ、たいへんだ。とうさーん。ほらここ。桜の木の下に死体が埋まってますよ」
目玉おやじ「本当じゃ。人間というのは妖怪よりひどいことをする」 
--ゲゲゲの鬼太郎風に

メイ 「メイ、知ってるもん。桜の木の下にはトトロがいるんだもん。
   死体なんか、ないんだもん。
   ぜったーい、信じてるんだもん!」
さつき「わかった・・どんぐりね? そうね? メイ、あなた・・どんぐりを埋めたのね?
    だめじゃない! 樫の木は桜よりずっと大きくなるのよ! 
    そんなことしたら桜が困るじゃない!」
--となりのトトロ風に

あはれ花びらながれおみなごの死体のうへに花びらながれ
--三好達治「甃のうへ」風に

♪桜の木蔭でどんじゃらほ~い
♪おおきな桜の木の下に~
--それぞれ童謡より

コナン「そしてその死体は桜の木の下に埋めた・・そうだろう?」 
犯人 「・・おまえ、何者だ」
コナン「江戸川コナン。探偵さ」
犯人 「はっはっは。江戸川で桜で死体か。とんだ三題噺だ。
    おまえさん、おおかた花見酒で酔ったんだろう。
    おっと失礼、高校生だったな。酒は飲めんか」 
コナン「(非常に驚いて) ・・どうしてそれを」
--名探偵コナン風に

陳裳雲(ちんしょううん)は悪い予感がして窓の外を見た。その視線の先の、桜の木の下の枯葉の寝床に義童(ギドゥ)は眠って、いた。 
--森茉莉「枯葉の寝床」風に 

「桜の木の下に、死体が埋まっている・・ですって?
ほほほほほ。ご冗談を。わたくし、そんなこと、いたしません。
だって、わたくしのために選ばれたうつくしい人ですもの・・桜ですって? 
暑苦しい、毛虫だらけの、あんな花!
・・薔薇の下をごらんなさい。
あなたがさがしている人はそこに、いてよ」 
--中井英夫風に (題は特定できず。まっ、なんでもいいか、ということで)

追加(^^;)

麒麟「人間は・・木の実から生まれるんですか」
使令「そうですよ。地面から生えてきたりしません」
麒麟「実が落ちて虚空に流れてドンブラコって、つまりぼくって桃太郎みたいなもんなんだね」
使令「(困って)さあ・・虚空のことはよく、わかりませんので・・」
麒麟「(気にせずに)根っこに実ってるってこともあるのかなぁ。そう、ジャガイモかなにかのように。
    でもあはは。それって埋まってるってことなんだよね」
使令「・・なんのことですか?」
--小野不由実「十二国記」風に

「おまえ、なに桜の下に埋まってんだよ」
「べらぼうめ。頭の上に桜が生えちまったんだよ」
--落語「あたま山」風に /桜の木の下にはあたま山

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2005年4月11日 (月)

終戦のローレライ、観たよ

昨日映画「終戦のローレライ」を観て来ました。
原作を一気読みしたという夫のお供です。
上演前、「ヘンな映画にしてみろ。立ち上がって怒鳴りまわってやる」といってた夫がのっけから
ちがう! こんなん、偽モンや! と怒っているのを、
まあまあまあw
となだめるのに苦労しましたv

う~ん。画面はきれいでした。
でも、原作の予備知識ゼロのわたしが観てもなんだかヘンだぞおかし~ぞ、というような展開はあり、
終戦直前に反乱を起こした将校が人質たちに自決用の短刀を供与する場面があるんですけど、お皿の上に置くんですよね。
それがどう見ても、バナナ。
・・やら。
アフラックのCMにでてくる柳葉敏郎がボールをつかむ手をする場面があるんですけど(ものすごー、シリアスな場面)、
やっぱりどうみても、ボールをつかむ手。
もしくはパチンコする手(当時はそんな機種、ないと思うけど)。
・・やら。
役所公示(違)が艦内でも発生した反乱グループと対峙し論戦する場面があるんですが、
うーん。破壊と混乱のあとからの復興、再生日本を叫ぶとこなんぞ、まんま「ガイヤの夜明け」じゃん。
・・やら。

エンドロール見て、ビックリ!
反乱兵役で富野由悠季、画コンテ協力に庵野秀明、B-29のマークデザインに押井守、やたらエロかったパウラの服のデザインに出渕裕(ガンダム、パトレイバーのメカニックデザイン)の名前が・・・
潜水艦と女の子と戦闘シーンって三題噺なら、庵野秀明がすでに「七つの海のナディア」(古っ!)でやってたけど・・
いっそこのひとたちに監督させたほうがよかったんじゃないの、とゆうことで・・(^^;)

戦闘中の歌声っていうと、宮崎駿「ナウシカ」原作でクシャナが歌ってた場面を思い出してしまうけど・・
ってことになると
パウラの動く城」ってことかよ (マジ
って言葉があたまからはなれなくって、困りんこ。

+

「ローレライ」って題だったら
♪なじかは知らねど心わびて、
♪昔の伝説(つたえ)はそぞろ身にしむ。
ですよね。

美(うるわ)し少女(おとめ)の巌頭(いわお)に立ちて、 黄金(こがね)の櫛(くし)とり髪のみだれを、 梳(と)きつつ口吟(くちずさ)ぶ歌の声の、 神怪(くすし)き魔力(ちから)に魂(たま)もまよう。

こぎゆく舟びと歌に憧(あこが)れ、
岩根(いわね)も見為(みや)らず仰げばやがて、
浪間に沈むるひとも舟も、
神怪(くすし)き魔歌(まがうた)謡(うた)うローレライ。ここ

この歌のごとく敵艦を沈めまくる謎の超科学的システム「ローレライ」。
帰宅してから夫に渡されて急いで読んだ原作ではこのシステムの鍵を握る少女パウラ「♪椰子の実ひとつ~」を歌ってたんだけど、映画ではモーツァルトの子守歌の「♪眠れよいこよ~」を歌ってるって設定なんですよね。
これだけをみても、原作版は椰子の実のごとく、人間たちがそれぞれの使命とともに時代の過酷なうねりに翻弄されながら流れのまにまに落ち着くべきところに落ち着いていくはなし。であり。
映画版は「♪眠れよいこよ~」に聞きほれつつ眠ってください。
そして映画を観たこともそのまま全部忘れてください。あははのは。
ってかんじ? 
・・とゆーことで、以下省略。

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2005年4月 2日 (土)

こんなウワサを聞いた

エイプリルフールの昨日、なんだかふしぎなおはなしを知りました。
声に出して読んではいけない詩「トミノの地獄」というおはなしです。ここ

西条八十(さいじょうやそ 1892~1970)による詩なんですが、黙って心の中で読むのなら良いのですが、朗読してしまうととんでもない凶事が起こるというのだとか。
なんでもかの寺山修司もこの詩を声に出して読んでしまったためにしばらくして亡くなってしまったんだとか((((゚д゚;))))ガクブル
・・などと四方田犬彦が著書に書いてたというが・・ホンマか?

西条八十で「トミ」ときたら
♪死んだはずだよお富さん~
ですが・・(をい

としたら「トミノの地獄」は「お富さん」の裏版か・・
そもそも「お富さん」は「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」裏版みたいなもんだから・・
んん・・? ええい、ややこしいっ!

いや、このかたを忘れてた。
作品中で必ずと言っていいほど主要人物が死亡する事で有名で、「皆殺しのトミノ」「キャラクター全殺しのトミノ」等と呼ばれるという・・ トミノフスキーこと富野由悠季w

「トミノの地獄」(西条八十)
「ドウィノの悲歌」(リルケ)
ドミノのお告げ」(久坂葉子)

というわけで、少々無理やりだけど、なんだか不吉な三連星w

「幻詩狩り」(川又 千秋) 中公文庫 1984(日本SF大賞受賞作)のテーマでもあった、
読めば破滅にいたらずにおれなくなる詩
というのではなく、「黙って心の中で読むのなら良い」とのことですが・・
うう~ん。
『砂金』所収だっていうことですから、すでに公刊されてるってことですよね。
久世光彦が『怖い絵』で触れている詩だということですが、ここへの全文掲載はやめときます。
ご興味のあるかたはどうぞご自分の責任で、ここらを参考に、お調べくださいw

魂をうばわれるほどすばらしい詩や短歌に出会い、魂を奪われるという地獄のような極楽。
いや極楽のような地獄、か。
あはは。どっちでもいいやw


追加 4/2

コメント欄で佐山さまに愛あるつっこみをいただいております。
ご興味のあるかたは、どぞw

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2005年3月29日 (火)

日本のダビンチ・コード?

お部屋情報・・
不動産屋さんに提示した金額、オーナーさんに蹴られたそーです。
「そこまで安くしたくない」
・・ごもっとも。

困りました。
もうすぐ新学期ですから。うちの末っ子、小学校6年生になりますから。

・・と言っているうちに、追い討ちをかけるような事態発生。
近々お姑さんが入院するとか。
「家がそんな状態なのに」
ということになりそうで事態は急転直下、泣きっ面に蜂、万事休す、です。

+

ダビンチ・コード」がなにかと話題になっているが・・
日本にも似たような伝説があると子供のころに聞いたことがある。
青森。
なんとキリストの墓があるという。
それでもってちょっとした観光名所にもなってる。「キリストの里・伝承館」って白いチャペル風の建物もあるってさ。
こちらは特に秘密結社の本拠地とかじゃなくって、お出入り自由。
おみやげとかも売っていそう・・(^^)

ここ(asahi.com:マイタウン)によると・・

キリストは21歳のとき日本に渡り、33歳のとき、ユダヤに帰って伝道を行いましたが、ユダヤ人達はキリストを磔刑(たっけい)に処さんと致しました。しかしイエスの弟イスキリが身代わりとなって十字架の露と果てたのであります。キリストは再び日本の土を踏み、106歳でこの地に没しました

ということです。

♪虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へぞ下りける~ 勧進帳
ってのは弁慶&義経だけでなくって、キリストもだった、ってこと。
それから義経は大陸にわたってジンギスカンになって世界征服をたくらみましたとさ、ってお話ですが、同じく陸奥の方面に逃げたイエスさまはどーなったんかなぁ・・(笑

というわけでいろんなサイトさんを見てまとめてみますた・・

ユダヤに生まれたイエス=キリストは・・
・21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字、神学を習い、さまざまな修行を重ねた!(聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったくないので、このあたりは符合するらしい)

33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、結局磔刑にあうが・・
・磔に処せられたのはイエスではなく、実はイスキリという名前の弟の方だった!

その後・・
・イエスは中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、4年後、船で八戸に上陸、戸来村にやってきた!

・「戸来(へらい)」という地名は、「ヘブライ」に由来する!
・イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた!
・そして、ミユ子という女性を娶り、三女をもうけ、長寿をまっとうした!
・周辺一帯には十字架やダビデの星やその他、キリスト教にまつわる風習やらなにやらが残っているらしい!

おまけ:キリストの墓のまわりで盆踊り

さらに新郷村にはエジプトのピラミッドよりもなお古いという大石神ピラミッドがあるという・・
青森には三内丸山遺跡はあるし恐山もあるし・・
わお!夢のパラダイスだ~(パラダイスよりむしろ「はらいそ」かw)

+

「異端にされてしまった伝説は、信仰に関する本質的な問題と結びついています。」
「『生き延びたキリスト』というのは、世界的に伝播してるように思えます。」
「イスラム教自体が、そのバリエーションのひとつ、という衝撃の解釈がw」
overQさんここ

+

「下北半島は、斧のかたちをしている。斧は、津軽一帯に向けてふりあげられている」(寺山修司『わが故郷』)

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2005年3月25日 (金)

あした、雪が降ったら・・

徒然草』第三十一段に

雪が降った朝、用があって人のもとへ手紙を送ったら、返事に「この雪のことを一言も書かずにいるような、ひねくれた人のいうことは聞けましょうか」と返事が来た。今は亡き人のことなので、こんなことも忘れられない。

という文があって、子供のころから好きだった。
「この雪のことを一言も書かずにいるような、ひねくれた人のいうことは聞けましょうか」
・・そっちの方がひねくれてるってw

結局、どんな用事だったんだろう。聞いてもらえたんだろうか。
相手はどんなひとで、どんな関係だったんだろうか。
きっとそれはなかなかひとには頼みにくい用事で、頼まれたひとにとってもいささか面倒なことであるような気もするのだが。
でもまぁ、こんなふうにさばさばした物言いをする人だったら、なんやかんや言っているうちにちゃちゃっ、とばかりに片付けててもくれていそうで、そんな関係のような気もするのだが・・

雪は天からの手紙(中谷宇吉郎)」という言葉があるが・・
そう。そういうわけで作者は、このひとのことを雪が降るたびに思い出すんだろう。
まるでそれは遠方はるかたまさか届く手紙を読むような気持ちにも似て。
「今は亡き人のことなので、こんなことも忘れられない。」
そして雪の中、そのひととのささやかな思い出に笑ったり、涙ぐんだり。
あげく、
・・あのときは失礼申した。あらためて雪のお見舞いをば。
なんてつぶやくんだろう。
すると、雪の舞う空のむこうから懐かしい気配とともに、
・・あなたって、つくづくばかなひとよね。
なんて声が、笑い声といっしょに降ってくるんだろう。


夕方から降っている雨が、さきほど見てみたら雪にかわっていた。
あした、積もっているだろうか。


(31段原文)雪の面白う降りたりし朝、人の許(がり)いふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬ程の、ひが\/しから〔ひがんで居る、趣を解せぬ〕む人の仰せらるゝ事、聞き入るべきかは、かへす\〃/口惜しき御心なり。」といひたりしこそ、をかしかりしか。今は亡き人なれば、かばかりの事も忘れがたし。 ここ

追加(3/25)
えっと・・
結局、雪、積もってませんでしたです。えへへ。

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2005年3月24日 (木)

翻訳のむづかしさ

翻訳サイトというのを利用することがあるのですが、たいがい、本気か、と疑うような珍訳になって驚くことがあります。
こちらでたとえば「吾輩は猫である。名前はまだ無い」というような文を訳しつづけていくと結局どうなるか・・というおもしろい遊びをやっていました。
(結局「私は猫です。 しかしながら、名前が全くありません。」という文になったようです・・。「しかしながら」「全く」と語調が強まっていることに猫の強い不満が感じられるということか)

漫画の名セリフをエキサイト翻訳 ここという遊びもあるんですね。教養も身について一挙両得?!
例:(原文)「我が生涯に一片の悔い無し!
        ↓
(英訳)There is no regret of a piece my life.
        ↓
(翻訳後:以下同様)「1片の未練が全くありません。私の人生。」
さすがのラオウもつまりは未練たらたらなわけで・・(笑)

というわけで、わたしもいろいろエキサイト翻訳で翻訳してみましたw

◆「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」(三島由紀夫) ここ

(英訳)We show the whereabouts of value more than the life esteem to your eyes only now.

私たちは現在だけ、人生尊重より価値の居場所をあなたの目に示します。

・・三島も哭くぞ。

◆「どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない」(寺山修司)

(英訳)Any bird cannot fly higher than imagination.

どんな鳥も想像より高く飛ぶことができません。

すごいぞ、やっぱりヘンだけど、意味があんまりかわっていない!
さすが寺山!!(やたら感動している)

◆梅一輪いちりんほどのあたたかさ

(英訳)Warmth of about one wheel a plum tree wheel
・・ほう、なかなか期待させてくれます。

1個のホイールに関する梅のホイールの温暖

なんども翻訳しなおしているうちにこの「温暖」が「温厚」になり、さらには「柔和」にかわったりもしましたが・・

梅のホイール・・鯛と梅のホイル焼き、とかだったら・・お茶漬けとかにおいしそうですw

だったらお茶漬けは?

◆「お茶漬けだよ、お茶漬けの味なんだ。夫婦はこのお茶漬けの味なんだ。」(小津安二郎)ここ

(英訳)It is a tea pickle, and a taste of the tea pickle. The married couple is a
taste of this tea pickle.

それは、紅茶ピクルスと、紅茶ピクルスの味です。 結婚カップルはこの紅茶ピクルス
の味です。

・・紅茶ピクルス?
小津ワールドを海外にもってったらこうなるってことなのでしょうか。
なんだか「夫婦」ってもんがますますよくわからなくなってしまいました・・

◆「これにて一件落着」(遠山の金さん)

(英訳)It is this and a disposition of the case.

それは、これと一件落着です。

・・どの件ですか?、ってすっとぼける妻、困る夫・・というより木暮実千代と佐分利信w

◆「ベルサイユのばら」(笑)

(英訳)Rose in Versailles
まあ、まともかしら、ということですが・・

ベルサイユでは、上昇しました。

は? な・・なにが上昇したんですか?(わくわく)

もいっかい!

それはベルサイユで上昇しました。

結局意味不明(笑)

ついでにライブドア翻訳でもトライw

「ベルサイユのばら」

The rose of Versailles

ベルサイユのバラ

すごいぞライブドア!
さすがというかなんというか、感動しましたw

ちなみに嵐雪の梅一輪、ライブドアでもやってみました・・
One-flower plum [ about one flower ] warmth
1輪の花プラム[約1輪の花]暖かさ
・・正しさを超越したような、なんともほんのり梅の色したあたたかな翻訳ではありませんかw

小津安二郎もやってみました。
it is boiled rice in tea -- it is the taste of boiled rice in tea. Husband and wife are the taste of this boiled rice in tea.
(それは茶の中の煮た米です--それは茶の煮た米の趣味です。夫と妻は茶のこの煮た米の趣味です。)
「茶の中の煮た米」・・ねえ(笑

だれです。だからホリエモンのライブドアでは小津安二郎は無理なんだって言いたい人は?
紅茶ピクルスよりましでしょーがっ!?w

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2005年3月10日 (木)

わたしが短歌をはじめたころ

むかしの歌集に今になってあんなすばらしい評を書いてもらったことにちなんで・・

短歌をお勉強しはじめた頃に買った本を読み返してみた(別冊文芸読本「女流短歌」S63発行)。
古今の有名女流歌人のアンソロジーがのっているのが魅力の本で、しるしなんかがしてあるのを見ると、恋愛歌やうつくしい山河なんかを詠んだものはほとんどスルー、子供を詠んだものに注目しているのがよくわかっておかしかった。
わたしが本格的に短歌をつくりはじめたのは年齢的にいえば結構おそく子供が生まれてから、25歳ごろだろうか(S63年当時ではない。もっとずっとあと)。それでも世間的にいえばまだ若いのであるからもっと別のことに興味をもってもいいはずだと思うが、ほかのことが入りえないほど私の心はちいさく、世界は狭かった。

子は抱かれみな子は抱かれ子は抱かれ人の子は抱かれて生くるもの  河野 愛子
子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る 河野 裕子

気力体力をぎりぎりまで使い果たし、報いられるものは子供の笑顔だけ、という毎日の繰り返しのなか、子供のお昼寝の間、おしめなんかをたたみながらわたしはこういう歌が載っている本をよんでいた。
泣く子供を背に負い、ゆすりながら読んでいたこともある。
そういうことは子供の手がはなれてからにしろとよく叱られもした。
まだだれもおきていないある静かな早朝、本を読んでいるのを見つかって働き者のお舅さんにひどく叱られたことがある。
あんなに叱られなければならなかったほどわたしは悪い母親だったのだろうか。
だが・・

奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり 葛原 妙子

同感できなかったのか単に「幻視の女王」の華麗なる世界が読み解くことができなかっただけなのか、たぶん理由は後者だろうがこの歌にしるしをつけなかった当時のわたしに、ほほえましいものを感じる今のわたしではある。

君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る 河野 裕子
突風の檣(ほばしら)のごときわが日々を共に揺れゐる二人子あはれ 河野 裕子

つたないながら子育ては楽しかったし、ささやかながら子供に対する愛情もあった。
それゆえ困ったり追い詰められたりすることもあったが、こういう歌に自分を見出し作者に同感することで、苦しむ日々をも肯定することができるようになっていった。そうやって、嵐のさなかであっても昇る朝日もまた最初に見ることの出来る船の檣(ほばしら)を、当時のわたしは自分のなかに見出していこうとしていったような気がする。

大変な日々に読んだ本はまさに戦友といえるだろうが。
こういう戦友たちにどれほど支えられてきた自分かと思う。

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2005年3月 8日 (火)

お礼

東郷雄二さんが、わたくしの歌集「漂砂鉱床」についてすばらしい評論を書いてくださいました。ここ

出版したのは1999年7月。そう、例のノストラダムスの大予言による運命の月・・
というのは今は冗談になってしまっているけれど・・
そう、あれからずいぶんとわたしもかわってしまったわ・・(なぜか遠い眼

「フッと異界にさまよい出るような感覚」、「異類への共感」、「「世界の異化」に基づいた短歌表現」、
「西橋が短歌を作っている地点が近代のリアリズム短歌からいかに遠い場所か」
というような評をとてもうれしく読ませていただきました。

「このような歌を単に奇想と呼ぶのは当を得たこととは言えない」
というくだりにも静かな喜びをおぼえました。

HPにも公開している「漂砂鉱床」ですが・・
もちろん完本ではなく、アップしなかった歌も多く、むしろアップしていない歌群にこそ、この歌集のテーマがあったりしたものですが・・

そういうところも鋭く読み解いてくださって、うれしく思いました・・

歌の落とし方が関西人、
作者は月世界に恋着がある、
というのも、鋭いご指摘。

「O嬢の物語」についてていねいに言及されてしまったのはいやはやまったくもって、やぶへびでした・・(笑

東郷雄二さま。ありがとうございます。
歌集をだしたのは20世紀のころですが、今に至ってなお読んでくださる方がいて、すばらしい評者に、こんなすばらしい評を書いていただけるなんて、歌をつくる者にとってこんな幸せなことはありません。
心から感謝します。

プロフィール:東郷 雄二 (ここ より)
京都大学人間・環境学研究科教授
研究分野 フランス語学・言語学、特に機能的統語論、意味論、談話理論
キーワード 名詞句の指示、照応、冠詞、談話モデル、語順現象、時制論
著書多数

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2005年3月 3日 (木)

眠狂四郎とお雛様

雛祭りである。

わたしが学生時代にはまった時代小説といったら、「眠狂四郎」シリーズであった。
そう、柴田錬三郎の代表作のひとつ。

狂四郎、といってもこれこれ ではない
でも現代でも人気あるんね。漫画化もされてるみたい・・でもこれって・・
あんまりイメージじゃないなあ。やっぱ、雷蔵でなきゃあ(苦笑

封建の世に、転びバテレンと武士の娘との間に生まれた、虚無と孤独の影をひいて生きる謎の剣士・眠狂四郎。
現代だったらぜったい許されないようなヒドイ場面続出、つうかそればっかしのような気もする、悪の魅力あふれる時代劇。

でも案外律儀なところもあり、妻もいる。
その名が美保代。そう、わたしとなにげに似ているなまえ。(えっへん

ひどい結ばれ方をした宿命の夫・狂四郎に、美保代はつくしてつくして、つくしまくる。
けれども狂四郎は元祖エロスとバイオレンスで元祖孤独な悪のヒーローな奴だから、絶世の美女に純愛をささげられても当然ながらほっちっち。
それどころかあっちこっちで悪名をながしまくり、やりたい放題し放題。

もちろん美保代もあっぱれ狂四郎の妻と名乗るほどだから。
周囲もそう遇するだけの器量の持ち主だから、当然ながらいろんなことに巻き込まれるのだが。
けれどもあわや、の場面では狂四郎、なぜか奇跡のようにあらわれ、彼ながらのまごころを見せ美保代を喜ばせるもつかのま、また行方を告げぬ旅に出る。

その美保代が夫、狂四郎との愛のしるしとして大切に守るのが、ふたりを結ばせるもとになった「お直衣雛」なのだ。
(いきさつは映画版ながらここここを参考に )
とまれ、来る春も来る春も、帰らぬ夫、狂四郎の帰りを待ちながら、ままごとのようなひな祭りをひとり、静かにたのしむ美保代・・

狂四郎の羽織は美保代が仕立てる。その紋はクルス・・バテレンのしるしだ。
つうことはお雛様だって手を加えていた可能性もあり

十字紋なり天草の雛道具 品川鈴子

というかんじだったかも・・と妄想。

ところでお直衣雛、ってどんなんだろ、と思ってたらこんなのだった。なぜかがっくり  これ

(おまけ)
◆狂四郎シリーズのなかでわたしが好きなのは、結核にやられた美青年剣士・白鳥主膳(狂四郎のライバル。美保代をひそかに愛している)の次に、じつは「備前屋」であったりした。
いわゆる「そちもワルよのう」といわれる豪商。狂四郎と敵対しつつ場合によったら手を結ぶところもありいの、というお互い利用しあいながら隙をうかがいあうような緊張した関係、融通無碍なところがいかにも、といった感じで、よかった。
風流を解し、句会をひらいてその席に狂四郎を招くということもやってのけ、その場で狂四郎は
浪人の肩とがりけり秋の暮
なる句をしれっと、ものしている。
(ちなみに備前屋は(鴬の色や雀のおどり笛) なかなかである。でも季節はなんだったんだろ。たしか春だったような覚えがあるが/笑)   参考 ここここ

江戸時代がおわりもしも明治の御世まで狂四郎が生きていたら・・
俳句の師匠にでもなっていて、子規あたりの台頭を笑っていただろう、という説を読んだことがある・・(あはは

◆狂四郎といえば円月殺法。その愛刀「無想正宗」だが・・
攻殻機動隊の原作者が「士郎正宗」、ですよね。
いえ別にどうってことないんですけど・・なんかあるのかしらん。

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2005年2月20日 (日)

「シャウト」出版記念会 

妻たちの気がかりはひとつ他人より幸せそうに見えるかどうか  大橋麻衣子
声あらげ怒りをぶつけている先は子にあらず子の内に棲む夫 大橋麻衣子
夜明けまえに鳴く鳥の声わたしなど居なくなっても誰も困らない 大橋麻衣子

出不精で短歌関係の催しに出かけることはないのですけど、昨日の大橋麻衣子さんの「シャウト出版記念会は、内容がよかったからなのはもちろんですけれど、なにしろ発起人とパネラーのメンバーの豪華さにひかれ、えっちらおっちら、出かけてみたものでした。
出かけてみれば本音炸裂な、とてもたのしく充実した会で、たとえば小池正博氏の「世界の中心で悪意を叫ぶ」というような名言が続出。(おまけ:『世界の片隅で、呪詛を唱える』に出版差止め命令(虚構新聞発))
終了後、ある有名歌人のおふたりが化粧室で「今日の会はよかったね~」と語っておられたことに、会の感想は尽きるとおもう。(ごめんなさい○さん△さん。密談、ばっちり最初から最後まで聞いてました~♪)

たとえば「体」を詠むこんな歌。

幼子を抱く三人の母親は同じリズムで体を揺らす 大橋麻衣子
手の平より発火し燃えてしまえばいい子を打ちしあとのわが体など 大橋麻衣子
くれてやるにはまだ早いわが体を突き破ろうとする獅子のあり 大橋麻衣子

一般的に女性の体という言葉で想起される、産む性としての豊饒さも美しさも、この「シャウト」では意味をなさない。
同じリズムに安住している他者への違和感、子供を打つ母としての自分、その自分を破り暴れだそうとする破壊の衝動の自覚。
作者は叫んで叫んで、叫びまくる。まさに「シャウト(叫び)」である。

たとえば数すくない自然詠のひとつ、夕顔をも、こんふうに詠む。

無神経な女のごとし大きなる身をひろげ咲く夕顔の花 大橋麻衣子

無神経な女か・・というところだろうが。
ちなみに夕顔の花言葉は「はかない恋」、「罪深きひと」・・
源氏物語にも、罪ふかくもはかない美女としてえがかれる夕顔だが・・
そう、夕顔は頭の中将と愛し合って女の子を設けるが、正妻に脅迫され、女の子を連れて身を隠した云々、というおはなしがあった。
正妻側からみれば、美々しく豊かに花開いて男を誘惑する、許しがたい無神経な女ということかもしれないといえば、そうかもしれない。

このように「シャウト」の世界は一方的で、さらにいうと狭いかもしれない。
だが、それらはまた潔さにもつながるのはたしかである。
「シャウト」は、夫との確執というどろどろな世界をあつかっていながら、存在自体が否定されあやうくなりそうな、滅入り込むような暗さ・自らをも見失いそうになるまでにいたる狂気に似た愛執というようなものは(あまり)感じられない。
そう、「シャウト(叫び)」といっても、ムンクの「叫び」じゃない
葛藤というものとは色合いが違う、、間違っているのは間違っているというふらつかないしっかりした視点と、むしろ簡潔といっていい言葉と表現、たとえば無神経なものは無神経と言い切る堂々とした詠みぶりがそうさせるのかもしれない。

批評会では、もっと自分を信じ、読者を信じたらどうかという声もあったが、

姿見の中のわたしと手を合わすここから先には行けないふたり  大橋麻衣子

作者の興味は自然や社会や他者にむかってひらかれることはない。視点はつねに自分にあり、たとえばこの歌のように、姿見の鏡の世界のなかから出ようとせず、鏡に映った自分にむかい「ここから先には行けない」と、つねに自分を制し、閉じ込め、硬質な狭い世界の中で縛られ、傷ついているようにみえる。

子を宿していた頃と同じ眠っても眠っても眠い何か生まれる 大橋麻衣子
閉じた目の裏側で光遊ばせる心を殺す術おぼえたり 大橋麻衣子
床の上に解き放たれて牛乳は力の限り広がってゆく 大橋麻衣子

「姿見の中のわたし」が力を得て「ここから先に行」けば、「力の限り広がってゆく」こんな歌がもっとうまれるのではないか、とおもった。
それが作者にとっていいことか悪いことかはわからない。だがそのとき、「何か生まれる」というそれは、きっと「心を殺す術」ではないはずである。

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2005年2月19日 (土)

あれこれ

今月「短歌人」2月号に書かせていただいた、歌人岸上大作についての高校時代の日記についてのメモを書くきっかけになった、岸上の高校時代の文芸部の顧問のひとり(顧問はもうひとりいらした)だった方のお宅を訪問、「短歌人」を渡し、目を通していただく。

もうずっとむかしに死んでしまった有為の歌人に、あれこれ日記に書かれているというのはどんな気分になるものなんだろうか。
閲覧を許されたとはいえ、未公開の部分を外部に漏らすことはできないことで、でも記述の正確さをはかるためにはご本人に確認をとらねばならず、そういう、語らないわけにはいかないことなどを言葉を選んでおはなしさせていただいていると、お若いころを思い出されてのことだろう、笑ったり、しんみりなさったり、それでも「まさかこの歳になるまで岸上にこんなに深くかかわりを持つことになろうとは」という意味の言葉をふと漏らされたり、これは感慨というものだろう。

天皇役のイッセー尾形に「ブラボー」 ここ

映画「太陽」、キワモノ映画になってなきゃあ、いいんですけど。

ところで桃井かおりの皇后って、どうなんだろう。
「戦争するのは男の勝手だけど、だからといっていい口紅が手にはいらなくなるのは困るのよね。それにお肌が荒れるじゃない」
なんていいだしかねないただならぬ気配がある。

と思うとなんだか急に加藤英明「天皇家の戦い」が気になり、読み返してしまう。

「皇后は、ところどころで立ち停って、手にされた棒で瓦礫をひっくり返されて、焼け焦げた人形や、飾り物がでてくると、喜ばれた」(皇居炎上)
「皇后は絶えず微笑(わら)っておられ、幸せそうだった」(「象徴」天皇の誕生)

などという記述に目がとまる。

佐野史郎のHPより

『惑星ソラリス』などで知られるアンドレイ・タルコフスキーの弟子、ソクーロフとの作業は、それはそれは甘美なものでしたよ!思い返すと夢のようだったなあ~。 (略) 僕は侍従長役と終戦時のマッカーサーの副官の声を担当させていただきました。日系二世の副官はジャパニーズ・イングリッシュ寄りにしたいということで、天皇=侍従長、マッカーサー=副官という構造ゆえの依頼でしたが…責任重大でした!状況劇場時代の同期、六平直政や、やはり劇団の先輩であり舞踏家の田村泰二郎さんも出演しています。唐十郎の紅テントからロシアに司令が送られたカンジもしてるんだよな~。ま、その意識はありました。 ここ

・・佐野史郎の侍従長やら副官に仕えられるのって、どんな気分だろう。
う~ん。

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2005年2月11日 (金)

苗を持って

なぜか高野悦子の「二十歳の原点」を思っていたいちにち。
それは先日あげたくだりにひかれてのことだが、本当はこの詩は、こういう連にはじまる、もっとながいものなのだ。

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
 

・・ところがこの「笛」をわたしはうかつにも、「苗」とよみまちがえていた。
「湖の水面を暗やみの中に漂いながら 笛をふこう」というくだりがあるのだから読み間違えるほうがおかしいのだが、いったん信じ込んでしまったのはどうしようもない。
昨夜今朝と、この「苗」がどうなってしまったのか、「原生林」のどこかに植えられたりしたのか、それともまた別のところに行くまで、ポケットのなかに入れられたままなのか・・
詩をなんども読み返してはさがしたものだが・・
みつかるはず、ないってば(笑
さっき気がついて、大笑いした。

でもこれってやってみてもいいな、って思った。
苗を持ち、旅をしよう・・っての。
木を植えた男」って絵本のまねっこのようだけど。
というか、もともと温暖地にあるべきツバキが寒い青森県や秋田県にも育っている理由というのは、昔々、南から北へ移って行った人が植えたものではないか、という柳田国男の「椿は春の木」、かな?

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

というくだりが詩にあるから・・赤富士の写真
こんなところに行くことを高野悦子はきっとあこがれてたんだろうな、と。
こんなきれいなところをゆっくり、あせることなく歩いたりしてたら、彼女、あんなにはやく死ぬこともなかったんじゃないかな、とおもったら余計にきれいだと思った、富士山。
(参考:1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」 など)

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう

出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら

そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく

大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう

近代社会の臭いのする その煙を
古木よ お前は何と感じるか

原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう

原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟を浮かべよう

衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう

小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう

そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

~高野悦子「二十歳の原点」 より

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2005年2月 4日 (金)

ババヤリイカ

正坐のまま眠りこみし猫にも立春大吉来るがごとしも  高瀬一誌

・・風邪、治らず。
昼過ぎ、薬を飲んで眠り込んでいるときにかぎって、長男の学校のPTA役員の方からお電話があった。
きっとへろへろのご返事をしていたのだろう、不審がられているのがへろへろの頭でもわかった。
夜、こちらからお電話をして、お詫びをする。やはりお電話の趣旨はへろへろの頭で理解していた内容と違っていた。
電話のこちらでひたすら平身低頭。

今日はお母さんのお誕生日だから家族5人でどこかお食事に行こうかということになる。
「・・いつものラーメン屋さんはいやよ」とお母さん、不機嫌。
「んー。じゃあ、どこ?」とやさしくお父さん。
塩屋異人館倶楽部!
ここは人里はなれた真っ暗な山道、峠道。神戸は遠く、そもそも塩屋異人館倶楽部自体、あの建物はなくなったというらしいのに、そんな無茶なことをきっぱり言い放ち、周囲を凍りつかせるおかあさん。
・・山道はつづく。

「無理」となにげなく、お父さん。
「じゃあ、トウールドゥール。ブランディ・ブラン。神仙閣。オリエンタルホテル!」
おかあさん、収拾不可能。風邪のせい。
・・結局節分だし、巻き寿司たべなきゃいけないし、ということで回転寿司にけってー。

おかあさん、「姿やりいか」を「婆やりいか」と誤読。
以降、我が家では「姿やりいか」は「ババヤリイカ」とよぶ事にケッテー (拍手強制

帰り道、ヘッドライトの前に突然飛び出したのをよく見ると、かわいい茶色のうさぎさんだった。
うさぎさん、必死になってはねてる、はねてる。
うさぎさん、のいて、のいて~~~!!
車内全員絶叫。

以前、大量の鹿に見られていたことがあった。
雉に前方を横断され、ハンドルを取られそうになったこともある。
うさぎさん、水先案内人よろしく前方を走りに走ったあげく、つい、と逸れて山に消えてくれる。

白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼(め)を開き居り 斉藤史

・・あ~よかった。こんなことにならなくって(笑

帰宅後即刻就寝。豆まきもできずじまい。
風邪のせいだろう、ひどくうなされる。
眠る前に村上春樹の「海辺のカフカ」のページをすこしめくったせいだろう、続きを読む夢を見る。
・・文章が村上春樹そのままで活字もページも違和感がない。読み進んでいて、主人公のカフカ少年が登場人物のさくらさんと「はじめての春色の時間。」をすごし、ところがさくらさんったら男だったし、という結末に仰天。
仰天ついでにわっ、とばかり目を覚ます。

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2005年2月 2日 (水)

連載小説

わたしの新聞の連載小説の思い出といったら、田辺聖子「舞え舞え蝸牛」だ。
「落窪物語」が原作の、継母にいじめられる薄幸の落窪姫のシンデレラストーリー。
父が買って来る夕刊紙に連載されているのが面白くって、母とあらそって読んだ。
「蝸牛」という文字が読めない、まだ小学生のころのはなし。
夕刊紙だから子供には見せられない部分もある。
そういうのは途中の駅で棄ててきて、父は毎晩、わたしたちのためにその新聞を買ってきてくれたのだった。
父が帰ってきたら、お帰りなさい、というより先に新聞を奪い取り、母とふたり、奪い合って読んだ。
ワクワクしながら読んで、読み終えては、はあ~~っ、とため息ついた。
そしてまた、「続きが読みたいから明日も買ってきて」、と父におねだりしたものだった。

うわさの日本経済新聞連載、渡辺淳一「愛の流刑地」の 「 「愛ルケ」ウオッチ 」にはまる。

わたし、愛ルケ、読んでません。
でも、「アエラ」にもとりあげられたということでもあり、本編よりきっと面白いだろうな、と思ったという次第。
・・たとえば。

そう、今年の日経新聞最大のテーマは、 「少子化に挑む」 です。 結婚しても出産しても恋愛はできる、そして体もむしろ魅力的になる。 冬香(注:物語のヒロイン)は(略)、いわば日経のキャンペーンレディなのです。(70回)

わたし美頬、結婚してウン年、子供3人。
キャンペーンレディーに、なれますか?(ええ、無視してやってください

ブログ名は「にっけいしんぶん新聞
プロフィールを見ると「本紙記者兼編集人」とある・・
・・いいのか?(爆

たとえばこういう本文(どうやら、まんまではないらしいが・・)

菊治の脳裏に突然、デベロッパーという言葉が浮かぶ。自分はいまだ展(ひら)かれていない、未開の地であった冬香のデベロッパーかもしれない。可能性を秘めつつ眠っていた大地に、菊治は圧倒的な愛と、度重なる口説と、好色なテクニックで努めるうちに荒野に芽が生え、蕾が開き、やがて信じられぬほどの大輪の薔薇が一気に花開いた。
その過程は、荒地を沃野に変え、近代的な都市に変貌させるデベロッパーそのものではないか。

に対して、

荒地を近代都市に変えるのはたしかにデベロッパーの仕事かもしれませんが、根気よく大輪の薔薇を咲かせるのは決してデベロッパーの仕事ではありません。 (90回)

というように、名人どうしの戦いをみているやうな突込みが連続技で繰り出される・・

「愛ルケ」は実は渡辺淳一の名で
別の無名の官能小説家が執筆している。
(86回)

おめえの文章が説明臭かったり辻褄が合わなかったりするのは毎度のことだが、今回のは特別だぁ。
(85回)

これは、人妻との不倫という形式を借りた「ロリータ小説」ではないか。(略)「愛ルケ」のジャンルは「(仮装)アキバ系ロリ小説」。(84回)

渡辺先生、本紙を読んでいるとは思いませんが、世間の突込みを誘っているかのようです。 (78回)

それどころかこの記者さん、

長らくのご声援ありがとうございました。
渡辺先生の次回作にご期待ください。
(81回)

などと、勝手に終わらせたりしているのだ・・(をい

連載小説は数々あれど・・こんなウオッチが、しかも掲載紙関係者の手によって、リアルタイムで出されるところなど・・

なんか、時代はかわったなあ、と (いろんな意味で
しかし・・繰り返すが、本編よりこのウォッチ(つけくわえれば読者のコメントも。殺到、といった勢いなのら) の方がダンゼン面白いのには間違いないと思う。
たとえば、短歌一首にたいしてその解釈や注釈のほうがおもしろいことがあるように・・ (違

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2005年2月 1日 (火)

むかしの男の子の結婚観?

こちらの閉鎖宣言はショックだが・・

恋の教科書を読んでみよう
を読む。

「恋の教科書~女のコ攻略の手引き~」というのは、まあ、一種のハウツーもんで、1984年に発刊されたとのこと。
約20年前かぁ。
さすが文章の感じというか、漢字の使い方からして昔っぽいのは仕方ないとして・・
なつかしいな。って、わたし今何歳だったっけ(ごまかし笑い

まあ、恋なんかあれこれいう年頃でなし、ということで80年代の男の子の結婚観をば。
ちなみに1984 年は「おしん」がブーム。流行語部門・大衆賞は人気ドラマ「スチュワーデス物語」のせりふ「教官!」
受賞者:堀ちえみ(歌手)
というような時代でありました。ここ

お嫁さん探しのお交き合い

・アナタより少々劣っていた方がやりやすいです
・優越感を持つ程、美人ではなく、劣等感を持つ程、ブ細工でもないというのがよいのです。
・強い自説を持っていない子が良いということです。

ガーン。

そうだったのか・・男の人って、そうだったんだ。
だからどうだってわけでもないけど、ヒジョーにショック。

ともあれ・・自分が結婚できた奇跡を感謝しつつ(あとで結構苦労とかしてるけど?)
アナタより少々劣っていた方がやりやすいです・・
なんて、なに~!?
オンナがバカになっていたらええんや、なんてよくいわれるけど・・
劣ってる、ってことと、バカになる、ってことは違うって思ってたけど・・
ほんまにバカなほうが結婚に有利ってことだったのぉ~~!?

ともあれ。
なんだか当時の女学生がキャリアウーマンをめざしていた一方で、男の子たちったら、こんな感じで、がんばる女の子たちを値踏みしてたんだなあ、と (あくまで無表情で

でも。
おしんも「教官!」も、かたくなまでの強い自説を持ってる。
これはこれ、それはそれ、ということか。
・・なんだかすごい欺瞞を感じる(笑

「まん中あたりをヨシとせよ」

危険度がなく、安定した嫁さんタイプとは、すなわち、どこからみても全部、中間値という女のコが最適なんです。オモシロ味とか、見ばえとかクソ喰らえです。とにかく将来が大切なんですから。

中庸をヨシとせよ・・ということなのかもしれないけど、
・・将来が大切、というところに素直に感動。
そうか、将来を信じていたんだ、80年代は!
と妙に納得。
オンナは腰を冷やしてはいけません。イイあかちゃんを生むためにはね、とゆーよーな文句が堂々とでてくるんだもん。
なんか、ここまでくると、怒る気にもなれんというか、逆に、いいなあ~、っとw

おまけ。

素直な彼女は、昔風の大きなズロースをはくのです。

・・マジ? (無表情で

・・アクセス数が毎万単位のサイトさんが存在するってのもすごいけど、そんなんでもやっぱり終了宣言をするんだなあ、となにげに諸行無常を感じたりする、ヘタレな、らくっこ☆ぴこりん であった。

追加
枡野浩一のかんたん短歌 御題「結婚」 1~
こちらは現代の結婚観ということか・・。嗚呼。

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2005年1月29日 (土)

りんご

梶井基次郎が丸善で置いてきたのが「檸檬」でなく「林檎」だった場合、物語はどうかわるだろうか。
なんて、思った。

・・きっとだれかが袖のはしできゅきゅっと磨いて、そのままコートのポケットに入れて、
こころたのしく持って帰ったことだろう。
うれしいな。うれしいな。
星の輝く夜空の下。
家族みんなのおみやげとして。

+

三男が学校からかえってきて、すぐに遊びにいこうとするから。
おやつぐらい、いただきなさいよ。
声をかけると、いらない、と言う。
これ、りゃう君ちに持って行くから。いいでしょ?
言いながら手にしているのは、2個の林檎。

食べたいなら剥いてあげるよ。
ううん。むこうで剥く。と三男。
包丁かりるの?
うん。

-林檎投げ空の深さを測りゐる-

三男はというとそのまま玄関をでて、
ぽんぽんと、おてだまのように林檎投げ投げ、遊びに行ってしまった。

よく晴れたふゆのいちにち。
・・林檎の名前は、王林
あくまで青い、空の下

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2005年1月21日 (金)

青い薔薇

(日付変わって)今日1月20日は薔薇の育種家の鈴木省三氏がなくなった日。
2000年平成12年1月20日、享年86歳

 「青いバラができたとして、さて、それが本当に美しいと思いますか (鈴木省三)」(最相葉月「青いバラ」より)


・・子供のころ、聞いたことがある。青い薔薇はすでにできていたのだと。
だが作者は、開花したその花を見て、鉢を割ってしまった。
そのとき、神ならぬ人間がこのようなものをつくってはいけないと言った、と記憶しているが。
真実はどうだったのだろう。
ちなみにその現場にいあわせたとかいう、その子息の証言としては、青というよりも藤色に近かったというが・・

不可能を可能にしてしまった青色としては、青色ダイオードの例もある。
詩集「青猫」は萩原朔太郎。
「ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは
ただ一匹の青い猫のかげだ」
それでもって、どんな不可能をも可能にするドラえもんは、青い猫だ!w

+++

年末からつぼみが大きくなっている薔薇が咲きそう。ブルームーンとスィートムーン。どちらも青系。
どちらもにおいがきつく、鉢をおいている廊下に近づくだけでくらくらする。
くらくらきたので、以上。

たそがれの鼻唄よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ - 斎藤 史 『魚歌』

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2005年1月19日 (水)

柳田国男と津波

津波と怪異譚といえば柳田国男の「遠野物語」第99話にも、津波でばらばらになってしまった家族の物語がのっている。
これもすきなものがたりなので(つたない訳で補いつつ)紹介させてもらう。

・・男は婿養子だったが津波(大海嘯(おほつなみ))で妻子と家財一切を失い、それで生き残った子供ふたりと元の屋敷あとに小屋をかけて暮らして一年ぐらいになっていた。

初夏のある月夜のことだった。男は用を足そうとして外に出た。行く道も浪の打つ渚であった。・・霧が出てきたが、その霧の中を近づいてくる男女二人連れがあった。見ると、女のほうは、まさに死んだ妻だった。
覚えず、ふたりを追って、はるばると(船越村のほうへ行く崎のある所まで)追い行き、名前を呼ぶと、「振り返りてにこと笑ひたり」・・幽明堺をことにしてなお自分を覚えてくれていたのか、妻は振り返りにこっ、と笑いかけてくれた。
ところが連れの男はというと、これも同じ津波で死んだ、同じ村のものだった。それがむかし、自分と結婚する前、心を通わせあっていたという男ではないか(自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり)
でもそれだけではなかった。妻は津波で死んだあと、今は同じ津波で死んだ恋人の男といっしょになったという。

・・死によって結ばれた愛だとでもいうのか。
死者には死者のさだめがあり、それは生きているものにはどうすることもできないことだ。だが、大惨事を生き残り、無一文になってなお必死になって子供を育てている男にとっては、どうにもやりきれないことだったに違いない。
思わず、自分は仕方ないにしても・・「子供は可愛くはないのか」と言ってみたところ、妻は顔色を変えて泣きはじめた。
今はもう、死んだ人間を相手にしているともおもわれず、男が悲しく情けない思いを抱きながらがっくりとしているうちに、妻とその恋人の幽霊は男を残して足早に立ち去り、(小浦へ行く道の山陰を廻り)見えなくなってしまった。
それでも男は妻のあとを追っていった。
追いかけてはみたものの、やがて死者であったと気がつき、男はそのまま夜明けまで道の真中に立ちつくしていた。
やがて朝になったので帰ってきたが、その後長く病をわずらっていたという。

(原文) 土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田ノ浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯(おほつなみ)遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遥遥と船越村のほうへ行く崎の?ある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。男はと見れば此も同じ里の者にて大海嘯(おほつなみ)の難に死せる者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情なくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。  99話

・・オルフェウスも、イザナギも、死んだ妻を追って黄泉にくだるが、遠野物語の世界では、月夜の霧の渚がそのまま、昏い黄泉の世界に通じていたのかもしれない。
エウリディケもイザナミも、夫のもとに戻ってこようとするが、遠野物語のこの妻は、何年も連れ添い何人も子をなした夫を捨てて、むかしの恋人といっしょに遠い渚を足早に去っていく。
男の悔恨。女の嘆き。人の世のあわれさ。人の心のさだめがたさ。
・・それでもなお優にやさしく心に残るのはなぜだろう。

+++

ところがここに、文中「生き残りたる二人の子」「子供は可愛くは無いのか」とあるまさにその子供たちの子孫の記事があったのでこれも紹介させてもらう。
失礼だが、このお写真の方がこの物語に語られた方のご子孫だとしたら、現実とはなんとダイナミックで修復力にたけ、力強いということだろうか。
(遠野物語研究所 の 遠野物語短信No67)
きっと、妻のことを思いしのびながらも男は残された子供たちを立派にそだてあげ、この悲しく切ない物語は美しい物語として、代々大切に語り継がれていったということなのだろう。

+++

おきなさび 飛ばず 鳴かざる をちかたの 森のふくろう 笑ふらんかも  柳田国男「遠野物語」序文より
+

追加(12/20)
hiroさまにコメント欄で、この「遠野物語」第99話についてかたった佐々木喜善の文をアップしていただいています。
【津波】引き裂かれた愛【地震】・「遠野物語」でかかれなかった、もうひとつの衝撃の真実とは?!(週刊誌風にあおってます^^;)
hiroさま☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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泉鏡花と津波

白雪(夜叉ヶ池のぬし) 「姥(うば)、嬉しいな」

眷属一同 「お姫様」

白雪 「人間は?」 

御付の姥 「皆、魚(うお)に。早や泳いでおります。田螺(たにし)、鰌(どじょう)も見えまする」 

眷属一同 「ははははははは」(哄(どっ)と笑う)

戯曲夜叉ヶ池(アレンジしてます)
泉鏡花(1913 大正2年)

鐘楼守萩原晃は、毎日三度鐘をついて夜叉ケ池の龍神を鎮める。人間が鐘を撞くことをわすれないかぎり水害はおこらないという、魔界と人間のとりきめがあったからだ。ところがその村を大干ばつが襲う。雨乞いのため、村人たちが萩原の妻百合を裸体にして黒牛に載せようとし、百合はこれを拒否して自害する。村人の身勝手に怒った萩原は鐘をつくのをやめる。たちまち夜叉ケ池から津波が起こり、魔物どもがあらわれ人間どもを「一人も余さず尽(ことごと)く屠(ほふ)り殺す」。そして村は水没する。

映画化もされ舞台化もされているこの戯曲。
池から津波だなんて・・なんだか浮世離れしたような設定の物語ではあるが「姫様(ひいさま)が座をお移し遊ばすと、それ、たちどころに可恐(おそろ)しい大津波が起って」というせりふがあるから、やっぱりあるんだろう、「池から津波」(怖
・・現実そのものがファンタスティックになってしまっている現代。
この物語のように、ちょっとわかりにくい取り決めが自然界にはあって、人間がそれを破ってしまったから天災がつづいているのでは、とすらおもってしまう今日この頃なのだ。
(たとえば和田アキ子も歌ってたでしょ?  「♪あの鐘を鳴らすのはあなた」・・って/笑)

さらに鏡花同年発表した、同じく戯曲「海神別荘」にこんな場面も書いている。
あの明治29年の三陸地震津波をすこしはモデルにしているのだろうか・・

赤潮の剣(つるぎ)は、炎の稲妻、黒潮の黒い旗は、黒雲の峰を築(つ)いて、沖から(どう)と浴びせたほどに、一浦(ひとうら)の津波となって、田畑も家も山へ流いた。片隅の美女の家へ、門背戸(かどせど)かけて、畳天井、一斉(いちどき)に、屋根の上の丘の腹まで運込みました儀でござったよ。

海神別荘(1913 大正2年)

海を治める貴公子のもとに、人間界の美女が輿入れする場面。
忠烈無比な部下がいさんで津波をおくり、美女をさらってゆくのだ。
あらかじめ結納として遣わされた金銀財宝に目がくらんでしまい、親は異類のもとに娘を嫁がせることをまるでいとわない。
そんな人間のエゴイズムが、村を津波に襲わせる。

もっとも、海の住人はというと、

「いや、いや、黒潮と赤潮が、密(そ)と爪弾(つまはじ)きしましたばかり。人命を断つほどではございませなんだ。
(略) 人間界の迷惑など、お心に掛けさせますには毛頭当りませぬ儀でございます。」 

「親仁(おやじ)の命などは御免だな。そんな魂を引取ると、海月(くらげ)が殖(ふ)えて、迷惑をするよ。」


などと涼しいものであるのだが(笑)

+++

追加
数年前、「海神別荘」はサクラ大戦歌謡ショウ「海神別荘」 などの企画により謎のブレイクをしたらしい。

今年のお正月に「海神別荘をやります」、と言ったら皆さんが読んでくれて、都内で売り切れて増刷が掛かったらしいですよ、岩波の「海神別荘」が。(広井王子) ここ
・・なんか、すごい。
でも「サクラ大戦だから~」なんて気軽に購読して、その言葉の難解さとともに意味不明な世界観に悶絶しただろーな、読者。
だって、たぶん他の劇団による(原作に忠実な)上演を見た感想だろうが・・
僕、「海神別荘」見たんですけどね、寝ちゃうんですよ、ちゃんとやると(笑)
・・なんて広井王子自身がいってるぐらいだもんね。あははのは。

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2005年1月14日 (金)

月待てば

(再編集してます)
今日1月14日という日は、661年1月14日、斉明天皇らが百斉救援軍を見送る為に伊予・熱田津に宿泊。額田女王が
熱田津に船乗せむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
と詠んだ日とされているそうだ。
ばりばりの海外派兵ソング(爆

「待てば海路の日和あり」
ということわざがあったが、元来は、
「待てば甘露の日和あり」
といういみだったそうな・・ここ
「待つ」という行為の尊さ。
時を待ち、時流を待ち、今こそ漕ぎ出そうという万葉時代の勇壮な歌の世界は、まさしくセンター試験前夜にふさわしく(笑

井上靖が「額田女王」を「サンデー毎日」に連載したのは昭和43年1月から同44年2月までという。挿絵は上村松篁。
わたしも高校生のころに読んだ。(←誤解された方もいるやうにおもはれまっするが、もちろん、後年、文庫化されてからでっする(*^ー゚)b ・・モッチローン!!/緊急追加
・・古代日本を舞台にした血みどろのあくなき権力闘争、どろどろの恋。
「オトナの世界って、すごい♥」
なんて思ったなつかしの十代(笑

「額田女王」のカバー(どれもうつくしい!)
安田 靫彦 上村 松篁 
これ もいいなあ。

+++

土星探査機カッシーニから昨年末に切り離された小型の着陸機ホイヘンスが14日未明(日本時間14日夜)、土星最大の衛星タイタンの大気圏に突入したという。
順調にいけば15日には画像がとどくらしいが・・
額田女王が「月待てば」、と詠ったころからはるかにとおい物語。

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2005年1月12日 (水)

芥川龍之介占い

夏目家の食卓」という一歩まちがえればキワモノになったかもしれないおかしなドラマを見ていらい純文学に目覚めたというわけでもないが、このドラマにもでていた芥川龍之介を調べていて、「芥川度占」発見。さっそくトライ。

それによると、(あなたは「おぎん」タイプです。)とのこと。
・・殉教者の暗示、だって・・。うへ?

とはいえ。
・・解説を読んでいて思いっきり動揺する。
なんだなんだ。これってほんとにわたしのことかもしんない、なんてね。
・・占いの結果もプライバシーのひとつだというつもりはないけど、ちょいとほんまここに書くのがはばかられるほどびっくりしたという次第。

・・どういうことかはまたいつかここに、書く。

「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう。」(芥川龍之介「おぎん」1922(大正11)年9月「中央公論」初出)
・・いんへるのはいやじゃ(笑

+++

占ってみて芥川龍之介が読みたくなったら、青空文庫へGO! → ここ

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2004年12月29日 (水)

むかし、タイに行ったこと

「水面がモクモクと盛り上がって寄せてきた」 「海水がふくれ上がって、のっこ、のっことやってきた」 チリ地震津波体験談より~吉村昭「三陸海岸大津波」 (引用は神戸新聞12/28日から)

+++

学生時代タイにいったことがある。
ツアーにまぎれての一人旅。

暁の寺(ワット・アルン)にいき、市内のホテル(「オリエンタル・ホテル」)でお茶をいただいた。
どれも三島由紀夫の小説「豊饒の海」第二巻、「暁の寺」にあった場所だ。

目的は文学散歩だったから海なんかどうでもよかったが、コースにはいっていたからプーケットに行った。
そのころはまだあまりリゾート化もされておらず、さびしい海だと思ったことを覚えている。
わたしはそこでパラセイリングをした。

ほんのすこしだけの空中散歩。
わたしは学生で、お金などもっていなかったが、それでも旅行ぐらいはできて。
パラセイリングして。海岸を愉快に飛んで。
・・バカ丸出しだった。

こんなことは語るべきではないと思う。
バンコクに戻ってた。ホテルは一流だったが、どういうことがあったのかわたしにはわからない。なぜか突然、そこの従業員の男の子に口説かれた。
わたしはそういうことに全然慣れていないお子様だったので、どうすることもできずひたすらびっくりするばかり。
その夜は添乗員さんの部屋で寝かせてもらった。

憤慨している私に対し、添乗員さんは、言った。
このことはホテル側には内緒にしていてください。
・・従業員には生活があります。家族がいます。首にでもなったら、みんなが困る。

ホテルの窓は冷房で心地よく冷やされ、でもそのはるか下、かすんでみえないところにスラムがあり、みんなああいうところで、一生懸命生きているんだ。

日本語を学び、英語を学び、マナーを学び。
それはどれほどの努力がいったことだろう。
それは通りすがりの旅行者にはわからない、世界。
・・そういうことを、思った。

+++

・・懐かしいタイ、やさしかった人々。ほほえみと象と薔薇と水上市場と、親切な人々。
とりわけてあの、わたしのことが好きだと言ってびっくりさせた男の子。
・・町中は王室の写真があふれ、とくに第一王女の人気は絶大だった。
「とても頭のいいひと。タイでいちばん頭がいいひと」
王妃はタイでいちばんやさしいひとで、その王女はとてもかしこくって。
ガイドの女の人が、わがことのように自慢していたのがほほえましかった。

このたびのスマトラ沖地震にまうわる津波の災害で、この王女の長男が難にあったと聞く。ここ
天のわざわいは等しいのだとしても、こういう立場のひとでものがれられないさだめであったというのか。
暗然としたきもちになってしまう。

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2004年12月24日 (金)

蝋人形とか菊人形とか・・

ニュースから。イブに除幕式。ヨンさまの銅像 

・・先日はマフラーつけたヨンさま像が「似てない」コールにあって設置予定があえなく撤退、製作者は逐電、といううわさをテレビで観たが・・
銅像か。熱海の貫一お宮の像のようになるんだろうか。
参照:挿絵(←かなりひどい・・これって、現代だったら逮捕されっぞって感じ)

起死回生を狙っての?銅像除幕式。無事おえられて、どちらさまにもいいクリスマスになればいいですね・・(*´▽`*)

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銅像もいいけど、いつか蝋人形にされそうな予感がするんですけど・・ヨン様。

日本人3人目…あゆ、香港の蝋人形館に殿堂入り

歌手、浜崎あゆみ(26)が16日、(略)香港の「マダム・タッソー蝋人形館」に、音楽の多大なる活躍が認められ、晴れて殿堂入りした。日本人としては政治家の吉田茂、元横綱の千代の富士に続き3人目。

なんだか・・選考の過程というか、基準とか知りたいキモ(笑

そういえば蝋人形館というのがむかし、東京タワーにあったと聞いたことがありますが・・今もあるんでしょうか
ゴジラ映画かなにかで東京タワーが壊される映像をみるたびに思い出すんです、・・壊されたタワーは仕方ないけど・・蝋人形が散乱しているのって、ちょっと見たくないよな、とか(笑

こちらでは、蝋人形制作のオーダーも受け付けてくれるそうです。ご興味のあるかたは、ゼヒ、どぞ →蝋プロ

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蝋人形ってギャグでもなきゃあちょっと受け入れられないってかんじですけど、日本でも伝統的に「生き人形」というのがありますよね。
・・夜はちょっと怖いかな系かも、だけど(^^;

はなしかわって。
伝統的といえば菊人形というのもありましたね・・秋には「ひらかた大菊人形」とか、よくCMでありました。
むかし小学生だったとき、いつも秋の遠足でどこかの菊人形展にいったもんでした。
・・なつかしいなあ。いつもちょっとこわかったけど(笑

冬ソナの菊人形って、企画的にどうだろ。
現代モノだからむずかしいってもんでもないとおもうけど
・・白い菊の雪だるまでたわむれるふたりの図、とか・・(ほのぼの?

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以下の引用歌は全部高瀬一誌の『レセプション』から

阿波踊りの人形もらいぬ十三人が一様に手をさしのべる
蝋人形館に和泉式部立てば遊女のごとくさしまねくなり
なまぐさきかたちの手をなす仏像はさっきまで何かなしたり
ぼうとしてくればさみしげにも見えるかな西郷隆盛まだ立ちている

高瀬さんの歌を読んでいると、いつもすこし元気をもらう。
31文字のなかに迷宮が構築されていて、それを読み解いているうちに、迷路にはまったような現実も抜け出せるような気持ちになるのかもしれない・・

うつぶせの菊人形を仰むけにさせることだけなのだろうか ←この歌は『スミレ幼稚園』から

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追加(12/27):ヨンさまの銅像の画像発見。今回はブーイング、なかったらしい? コチラ

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2004年12月18日 (土)

星から来た人間

三男の風邪をもらってしまったらしく、いちにちじゅう眠り続ける。
熱の出始めによく悪い夢を見た子供が泣いたりするものだが、
「いっしょに食べたとんかつ代をもらっていない。あなたってひとはつくづく半端な人ね」
と知らないひとに説教されたり、
「六甲山の(幽霊ホテル)でパーティーがあるけど、風邪ででられない」
だから神社のうらの道を登ってホテルまでいき、受付にそのむね伝えてそのまま帰ってきたが、その姿を誰かに見られたらわたしまで幽霊かなにかのように思われるだろうなあ、いやだなあと思ったり、という夢を見た。

目が覚めたら夕方で、家族はみなドライブに出かけてしまって、どこにもいないらしい。
読みかけたっきり手につかない瀬戸内寂聴「いよよ華やぐ」の続きをよむ。
身体は子供、心はオトナ、は「名探偵コナン」。外見はおばあさんだけど、心は十代、ってのは「ハウルの動く城」。その伝でいけば「いよよ華やぐ」の登場人物たちは、身体は老人、心はオトナ、やってることは若いもん、ってかんじか。
設定も句も鈴木真砂女をつかっておきながら、まるで昼メロ。昼メロは嫌いじゃないが、性愛についてあまりにあけすけすぎて、それでいながらときどき登場人物たちが突如目覚めたように人生や恋愛や芸術や食べ物について説教しだすのが、うざい。
「おれも、まだちんぴらだけど、芸術家を志している端くれです。同じ星から来た人間か、ちがう人間かぐらいは嗅ぎ分けられます」
・・風来坊の陶芸家(この人物、かなり作者のお気に入りのタイプだとみた)が語るせりふだが、真の芸術を知るものはそういう星から来る者のようだといいたいのだろう。
むかし読んだ北欧神話に、
・・真の詩人は選ばれて神の飲む泉の水を飲んだものだけ。詩をつくる者は多いがたいがいはそのこぼれ水を飲んだ者ばかりだ。そういうものがつまらない詩をつくりちらしては周囲を困らせる、というくだりを読んだことがある。
正確に引用したかったが、本がちょっとみつからない。
こんなことを書くのは題詠マラソン2004用の、自歌選に苦しんでいるから。
つくるだけではなく、選んだり、読んだりする方にも才能が、いる。

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2004年12月 8日 (水)

「斉藤茂吉・愛の手紙」より

永井ふさ子による「斉藤茂吉・愛の手紙」を引用しようとして本棚でさがしても見つからなかったのは、お台所に持ち込んでいたからだった。きっと、お魚でも焼きながらコンロの前で読みふけっていて、そのまま忘れてしまっていたんだろう(笑
というわけで昨日のブログの、お口ぽかんのお写真はセクシーすぎるから、ダメ。の部分、正確に書けました。
ってのは、うそ。そんなすごい文じゃあ、ありません。なにしろ、むかしの恋文ですもの。いただいた写真はすばらしかったけれど「唇は今度からは結んで下さい(昭和11年11月26日)」、というくだりです。
それでいながら「又お笑なるならば思ひ切つて笑つて下さい。丁度私のまへでお笑ひになるやうに笑つて下さい。さうでないなら、すましてください」などとも書いてます。
このとき茂吉53歳。写生歌に通暁した大歌人は、不倫関係にあった妙齢の恋人に写真をくださいといっても、なかなかその注文はこまかいというのであろう。
あ・・でもこの手紙、封筒の表に「恋しき人に」とあるもので、手渡しされたものですね。
だからかしら、冒頭、いきなり
「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんなにいい女体なのですか。なんともいへない、いい女体なのですか」
とあるんですけど・・(^^;
・・どう読めばいいのか・・よくわからないんですけど・・(^^;
これがむかしのひとの恋文ってもんなのかしらん。よくわからんなあ。
だから別にもう、どうでもいいってことなんですけどね(ホットケ ^^;)

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2004年12月 2日 (木)

母はミャンマーへ

数日前から母がつかまらないと思っていたら、もうすでに行ってしまっていたんですと・・
水島上等兵かなでるビルマの竪琴の音色もうるわしき、かの国、ミャンマー。

「なんの挨拶もせんと勝手にいってしまったんか~。最近の年よりはなっとらん」
お留守番部隊の父に抗議する。
大丈夫とは思うがやっぱり心配なので、母をミャンマーに誘ってくださったボランティア団体のHPにジャンプ。
すると載ってる、載ってる。
顔はなんとなくぼやけているけれど、姿でわかる。
元気そうでよかった、おかあさん。
どうかみんなのお役にたってきてください。

+++

むかし子供のころに読んだ「ビルマの竪琴」という小説は。
密林、冒険、人食い人種。
あわれつかまり火あぶりの、兵のまわりで踊ります。(←ほんまに「ビルマの竪琴」か?

映画化されてうれしくて、でもリメイク版には・・ない! 
兵隊さんの苦悶をよそに、歌って笑って踊りぬく、花咲くようなおとめたち・・ (かなり違うかも
戦場に流れる歌声よりも・・「いっしょに日本に帰ろう(号泣)」の場面よりも・・
わたしが見たかったのはただその場面だけだったのに (笑
主演の中井貴一にそんな場面は似合わないのはわかってるけど (誰なら似合うっていうんだ?
市川昆め。くそリアリズムに毒されおって、とひとりで怒ったもんでした。

やっぱり問題あり、ということか、
これは「モスラ」もおんなじで
リメイク版ではあっさりカット。
インドネシアの孤島の若者、おとめらの、踊り乱れて♪モスラやモスラ。ドンドコドン。
最新版でも・・なかった。さびしい~~~!! (笑

わかってます。でも復活してほしいんです。「踊る原住民」の場面・・
そう思うんだけど・・でも無理なんでしょうねえ・・きっと。
北野武ならするかもしれない・・
でもタケちゃんは「ビルマの竪琴」なんて、撮ったりしないだろう (笑

+++

流行語大賞発表。トップテンに「気合だー!」 

「 人生は気合! ひたすら気合だと涙ながらに気合なのだ、と(アニマル浜口) 」
藤原 龍一郎『東京哀傷歌』

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ブツにあたれ

歌人・岸上大作の年譜のことでH市の文学館に電話する。
そこで教えてもらったことについて、ある方に電話。自分の勇気に驚く。
その件についてはむかしのことだからわからない・・と最初はおっしゃられていたが、じき思い出してくださる。
そして、現物が文学館にある、と教えてもらう。
明日、さっそくたしかめに行こうと思うが、なんと、三男の小学校でたいせつな行事があった!
・・どうする、アイフル。あしたはどっちだ。

「 「猿の手」のように願いがかなうなら岸上を寺山を・・どうする 」
藤原 龍一郎『東京哀傷歌』

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2004年12月 1日 (水)

日記から

歌人岸上大作については小川太郎や高瀬隆和らによる詳細な評伝や研究があり、これ以上なにも出てこないだろうと思っていた。
それはもちろん間違いはないだろうが、その日記を読んだなかで気になることがあったので、岸上の高校時代の先生だったYさんにお電話でご質問してみる。

あわせてYさんはご親切にも、この件については岸上が所属していた文芸部の女の子たちに連絡してたずねてみようか、ともいって下さる。
高校生当時、岸上の所属していた文芸部にいた女生徒たちは、今も短歌をつづけているという。
わたしが姫路に住んでいて、姫路の歌会などにも参加したりしていたころ、出会ったりお世話になったりした方もいるかもしれない。
自分が今読んでいる岸上の日記は読みたいから読んでいるだけのもので、とくにそれで何かを書こうというものでもなし、ましてや評伝へのケチをつけるためのものでもない。だからどこまで深く踏み込んでいいものなのか、正直のところ、わからない。
どちらにしてももういっぺん図書館に行き、日記を読み返さなければならない。
・・だが図書館は今のわたしにはあまりに遠い。
・・才もない人間が田舎に住んでいると、こういうことで苦労することになるから困る、と思う。

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2004年11月28日 (日)

お仏壇、って・・

日付かわって・・昨日の27日というのは「仏壇の日」らしい。
日本書記に「白鳳14年(西暦686年)3月27日に、天武天皇が諸国の家ごとに仏舎をつくり、仏像および経巻を置いて礼拝供養しなさいという詔(みことのり)を出された」といった意味のことがあるらしく、それで毎月27日が「仏壇の日」とさだめられたというけど・・

仏壇って、なんだろう。
本来の意味?とちがい、いろんな用途がお仏壇にはある。
・・ひっそりと泣きに行く場所、大切なものの隠し場所。
子供のころ、おばあちゃんのおうちのお仏壇はとてもおおきくて、金ぴかで、暗いお仏壇の奥でその金色が鈍く光っていて。
「陰影礼賛」
そんなことをしらない子供でも、なんだかうすぼんやりと、闇へのあこがれというか、あかるければいいってものじゃないよ、ってこととか、そんなこと、思ったりしたっけ。
おばあちゃんのおうちに行ったら、まずお仏壇に手をあわせる。
おばあちゃんのおうちが大好きだったから、お仏壇の闇を覗き込むことは、わくわくするような楽しい休暇の始まり、を意味していた。
なんだか変な連想だと思うが、幼少期に刷り込まれてしまったものはかえようがない。
だからといって「死」イコール「わくわくするような楽しい休暇の始まり」だというつもりはないが、どこか死というものに対する祝祭的な気分が、お仏壇の飾りや金ぴかにはあるのでは、と今も心のどこかで思ったりすることがある。

このたびの地震や台風で被害にあった家で、まず避難、というときに位牌とかを荷物にいれていたお年寄りの映像が流れていた。
・・そういう人がいるということだけではなく・・そういう図を見ると安心するというか、なにかそうあるべきものとして求められている図柄ではないかと思う・・

+++

お仏壇にちなんだ短歌

新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥  寺山修司

寺山修司と鳥といえば・・
「どんな鳥も想像力より高く飛ぶことはできない」という言葉が有名で・・
それでもって「弟」といえば・・今じゃかの「薔薇族」のHPの表紙です・・(^^;
寺山の詩「世界はおとうとのために」が読めて、貴重です(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル ここ

仏壇ノ前ヲ過ギタル継母(ハハ)ノ初夜 俺ハ精子ノ化物ダツタ  小笠原和幸

う~ん。間違っていると思うけど・・
源氏物語「総角」の巻きの、薫の君と大姫のラブシーン?の、
「御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。」
を思い出しちゃうんです・・

どの弟子が気づいただろう圓生の仏壇前の扇子の乱れ 玲はる名

なんだか・・「扇子の乱れ」というのが典雅なんですが、どんなシチュエーションなのか、気になります。 

ついでに自分のも(^^;)

冷蔵庫の扉をあける 仏壇はいつも暗くてどこか冷たい

お仏壇にはいつもお菓子とか果物とかがあって・・
でもお仏壇のなかには生肉がない。
はんたいに冷蔵庫のなかにはお花がない。お線香もない。脱臭剤ならある。

・・まあ、大きな違いといえばそういうことかな、というわけで(^^;・・違ゥッテバ!

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2004年11月26日 (金)

憂国忌・・ミシマにあこがれた少年

三男の学習発表会。歌「気球に乗って」、合奏「茶色の小瓶」
「気球に乗って」はわたしも小学校か中学校のときに歌ったことがある。
帰宅した子供と合唱。なつかしい思い出の歌。

+++

子供のころといったら・・
昨日は憂国忌だったが、夫は小学生のころ、三島由紀夫の私兵組織だったという「楯の会」にあこがれ、入隊を希望していたという。
もちろん子供なので、正式のやつではない。
未確認だが、どうやら当時、楯の会には少年部とでもいうのがあったらしい・・
「マジ? それって、ほんとにあったの? どこで募集してたの?」 そうたずねたわたしの声、きっと震えていたと、思う。
「だいたい、なんでミシマなんか知ってたの。本なんか一冊も読んだことないあなたが!」
これは本当であった。その会話当時、すでに結婚して数年はたっていたが、(ヒマなときはお互いの顔を見つめあっていた、というのではなく)わたしは彼が本を読んだりする姿を一度も見たことがなかった。
「僕だって本は読むさ! ・・小学校のとき、軍事関係の雑誌(丸)をずっと読んでて・・」

・・うぷっ(笑

「そこに載ってた。
ぼく、はいりたかった。でも・・」
入会にはお金が必要で、彼にはそのおこづかいが、なかった。
「だからおこづかい、必死でためて・・
お年玉を全部つかって入隊しようと思ってた。
それなのに・・」

あわれ、少年の夢。
その三島由紀夫さんはお年玉のシーズンを目前に、勝手に死んでしまったというのである。

ぎゃはははは~~~

「くやしかった」とつぶやく彼を尻目にさんざ笑ってやったが、それが「時代」というものだったのか。
ちなみに彼、大人になってからあこがれのミシマを読んで・・『金閣寺』だったが・・ちっともわからなかったそうだ。
(彼の常識人としての感想は至極正しいと思う)
「ばかね。『潮騒』あたりからはいるものなのに。『潮騒』、おもしろいよ。(その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら)なんてせりふ、しらない?」
そう言ってやったものだが・・/笑
・・それにしても、草深いイナカのいたいけなぼんぼんですら心を動かし、熱狂させたミシマというのは、なんだったというべきなのかと思うのである。

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2004年11月21日 (日)

ケータイ短歌、すこしだけ観たよ

昨日、オンラインでしらべた××市の図書館に行き、ひさしぶりに調べものをする。夭折の歌人・岸上大作についての小川太郎ならびに高瀬隆和の書物、ならびに図録を借りる。
いつか買おうとおもいながらのびのびになってしまっていて、ついにこのザマ。なさけない。
さいしょ、借りようとしたら、ここは市民図書館なので、市民やこの市に通勤通学している方以外の方はお貸しできませんといわれる。
県立図書館経由でうちの村の図書室(^^;を通してならお貸しできます・・といわれるが、それでは時間がかかる。
目の前にいい本があるのに読めないというのは苦しいものだ。
そういえば うちの次男がここの市の学校に通っていたと思い出し、彼に貸し出しカードを作らせればいい、と気がつく。
折よく次男と図書館で待ち合わせていたので、事情を説明してカードをつくらせ、めでたく本を手に入れることに成功。
本を貸したくても決まりなので、ということだったのだろう、図書館員もホッとしてくれているみていで、ありがたい。
本当は高校時代の日記も手に入れたかったが、貸し出し禁止なのでどうにも仕方ない。
へとへとになる。だが、うれしい。日記は後日また来てチェックすることにする。

まさに絶唱といえる岸上の短歌を読みに読み、心がハイになった気分でいるときに、ふと思い出し『ケータイ短歌』にチャンネルをあわせる。
テロップにながれる投稿歌を見ながら・・岸上とはほぼ同年代でありながら、こんな軽い歌ばっかりで、なんなんだ。
ケータイ短歌を10をあわせてようやく岸上の一首の重みにつりあうのでは・・と思うとおかしくってたまらない。
もし岸上が今の時代に生きていてこういう短歌を見たら、憤死するんじゃないか・・と思ったが、ふと気を取り直す。
いや、こういう短歌ばかりの時代だったら、きっと岸上も死んだりしなかったのでは・・
そんなことを思ったり、した。

・・途中、憧れの女の子に短歌を贈った男の子のはなしがあって、おもしろかった。
歌は失念したが、素直でひたすらな思いがつたわってくる、さわやかないい歌だった・・
しばらくして当のおんなのこから返歌がかえってきた。
はあ、このごろの若い子は、平気でこういうこと、するんだ(それでもって、こういうこと、番組で、するんだ!!!)! という驚きもつかの間・・その歌というのが・・
YesだのNoだのいうことにはふれず、とにかく
・・あたたかな思いをいただきました。ありがとう・・
という内容の、ダントツにいい歌で・・

そのやりとりをみながら思い出したのが、むかし読んだ泉鏡花の『歌行燈』で。
地方の謡の師匠のまえで中央の家元筋の若いもんがひとくさりやって。
実力の差を思い知らされたそのイナカの師匠は自らの芸を恥じて自殺して・・というはなしであった。

恋歌を贈って・・こういうすごいレベルの歌が返ってきたら、引くよな。
そう思った(^^;
でもいいぞ、男の子。お前の好きなカノジョはきっとすごい子だ! 
いいオンナに惚れるのは、きっといいことだぜ!
そう、思った。

+++

・・というようなスタジオのやり取りにかかわらず、黒いセーターがお似合いの 穂村弘 氏がじいいっ、と下をむいたままひとっこともしゃべらず、ひたすら選歌しているのが、印象的だった。
さすが、選歌されたのはいい歌ばかり・・
なるほど、これって、いいかも、と思った。
でも見ていたのは御題『月(題詠マラソン2003におなじのが、あったっけ)』まで。後半の御題『バイト』は寝室で見ていたが・・テレビの調子がわるくなり、パス。
きちんと最後まで見たかったなあ。

+++

『眠れない夜はケータイ短歌』 次回は来年1月10日の予定
夏の企画の感想もアップしてます・・ここ

+++

(追加)
題詠マラソン2004より [18390] 055:日記  藤原龍一郎 2004年10月06日 (水) 08時01分
雨の夜の孤絶を綴る日記にて岸上大作このバカヤロー

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2004年11月17日 (水)

うちに泥棒がはいったときのこと

むかし、実家に泥棒がはいった事がある。
冬のころ、歳末にちかい頃だった。
おかしい、と最初に気づいたのはわたしだった。
そのころわたしは筝曲をならっていた。
1Fの和室で前の晩、お師匠さんのお宅で新年のご挨拶で弾く曲をおさらいをしていて、そのまま片付けないで寝てしまっていた。
その琴の位置がすこしずれていた。
琴を弾くには三枚の爪を指につけるが、その爪をいれる箱も壊れていた。
窓を見ると庭に面したガラスが壊されている。
・・あわてて警察を呼んだ。

泥棒がつかまったのは何ヶ月もたってからだった。
別件でつかまり、取調べたら余罪がぞろぞろ、うちに入ったことも自供したらしい。
弟が食卓の上に置いていたお小遣いと、ジャンバー。
ほかの家はともかく、それがこの泥棒がうちから盗んだもののすべてだった・・

+++

・・泥棒はたぶん窓をこわして部屋に入ったあと、わたしの琴につまずき、傍らにおいてあった爪をいれる箱をふんづけてしまったのだ。
『古事記』にいわく、大国主のみことがスサノオのみことの御殿からその娘を盗みだそうとしたとき、いっしょに持ち出した琴がどこかに触れ、音をだしてしまい、その音に気づいたスサノオが大騒ぎをした・・
うちに入った泥棒も琴につまづき物音をたてて大変だったろう。
それですぐに逃げ出そうと思ったことだろう。
・・壊れた爪入れは惜しかったが。
寒い冬じゅう、その泥棒はジャンバーですこしはあたたまったかしら。
・・『古今著聞集』十三「横川の恵心僧都の妹、安養の尼のもとに強盗入りにけり、 物ども皆取りて出でにければ、尼上は紙ぶすまといふものばかりを引き着て居られけるに……」のくだりで、強盗どもが一度盗ってそのまま忘れていった「小袖」を、
「わすれましたよ
とばかり届けさせたという尼ぎみの物語になじんでいた、まだおさなかったわたしは、
「安養の尼ぎみのようにわざわざ追いかけて届けるのは面倒だから、手間がはぶけて、よかった」
そんなことを思ったり、した。

+++

盗人に逢うた夜もあり年の暮れ. 芭蕉

元禄6年、ときに芭蕉50歳。
どのように解釈したり鑑賞したりすればいい句なのか、そのズレ具合がちょっと今のわたしにはわかりにくいのだが・・(^^;
まあ、戸締り用心火の用心、ということで・・(^^

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2004年11月11日 (木)

薔薇とか刺青とか玉子焼きとか・・

朝から霧のような秋雨。軒下においていた薔薇の鉢を表に出し、雨にあててやる。
わたしは気分も暗く、心も重いままだったが、この天気で薔薇は生き返ったようになるだろうと思うと、ほんのすこし心が満たされる気持ちになる。
咲きだした薔薇が雨にぬれている。花のにおいが溶けた雨粒はどうなるだろう、と思う。
夕方鉢を軒下にひきあげる。水をすって十分重い。その重みがすこしうれしかった。

+++

懸案のことがありながら返事をさきのばししているいいわけに、斎藤茂太の『グズをなおせば人生はうまくいく(ついつい"先のばし"する損な人たち)』という本を読む。自分もむかしは愚図だったが、若いころ軍隊に行ってなおった。今じゃ人いちばんいそがしいけど、つきあいも上手にこなし余暇もたのしみ毎日充実してますというくだりで、なんだかこの執筆者、なにかを根本的に間違えてるんじゃないかと思う。

あきらめて茂太の父の、斎藤茂吉の『念珠集』(講談社文芸文庫)を読む。文が簡潔でそれでいて語り聞かせるようにやさしく、読みやすい。
今日のニュースに
宮城県迫町の町立中学で、中3の男子生徒(14)が後輩の男子生徒(13)=中2=の腕に「入れ墨」をしたとして、県警佐沼署は、男子生徒を傷害の疑いで逮捕したということがあったらしい。ここ
おなじようなはなしをこの『念珠集』に読んだばかりでおどろく。小学校の上級生に、腕に漆の汁で男の子のオチンチンを描かれたというひどいはなしだ。
ところが本人はじめ悪童たちはみなこの刺青?をよろこび、見せ合っては楽しんだという。茂吉少年だけがいつまでたってもその傷がなおらず、ひとり思い悩んだというものがたりを後年回想したものだ。
これをふくめ、「八十吉」など、目前で子供がおぼれてしまう情景など、文章で写生するとはこういうことかと思ったりした。

瞳を定めてよく見るとその奥の方にはゆっくりまわる渦(うず)があって、そのうえを不断(ふだん)の白い水泡(みなわ)が流れている。その渦の奥の奥が竜宮まで届いて居るといって童どもの話し合うのは、彼等の親たちからそう聞かされているためであって、それであるから縦(たと)い大人(おとな)であってもそこから余程川下(かわしも)の橋を渡るときに、信心ふかい者はいつもこの淵に向かって掌(てのひら)を合わせたものである
こういう風土で茂吉は幼年時代をすごしたんだなあ、と思った。

+++

先日の餃子につづき、長男、今日は玉子焼きをつくってくれる。
おいしくふんわりと焼ける。きりわけてくれたのを食べさせてもらう。
「おかあさん、あーん、して」
なんて、わたしよりもう背の高くなってしまった息子にしてもらうのもいいもんだ。

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2004年11月 1日 (月)

モノローグ

だがおれは泣いて断食し 泣いて祈ったのだが
おれの首が(ちょっと禿げているが)大皿にのせられて来るのをみたが
おれは しかし 予言者ではない――別に大したことではないがね
(大澤 実訳)T.S.エリオットの"The Love Song of J.Alfred Prufrock"(J.アルフレッド・プルーフロック氏の恋歌)」より
原文「But though I have wept and fasted, wept and prayed,
Though I have seen my head (grown slightly bald) brought in upon a platter,
am no prophet--and here' s no great matter…」
  引用はここ

+++

「おれは泣いて断食し 泣いて祈った」・・そういえば断食月だね、今は。

君は風が吹き抜けるように去っていった・・
そう、君が死ななければ、たぶん、気がつかなかったことが、たくさんある。

「おれの首が」ってところが泣かせるね。
あの政府のえらいさん、君やら、君と間違えられてしまった人のこと、あんなふうに言ってたね、どう思う?

「予言者ではない」・・といってはいるものの、わかっていて、教えたんだろう? 本当は。
こうなることを
(リンクしているのは、サマーワの自衛隊の基地に攻撃がしかけられたらしいことの記事です・・
こちらはけが人もなかったらしく、よかったのですけれど・・)

+++

昨日のブログのコメントにも書かせていただいたが・・
今回の事件は、今までイラクで人質になったり殺害されたりしてきた、ボランティアの方やジャーナリスト、外務省のえらいさんというような、崇高な使命感や正義感にかられた「えらい」人たちとちょっと違った、うまくいえないが、ごく普通の青年がふらっと迷い込んだかんじで、それでこんな手ひどい目にあったわけですから・・
彼を非難する人は多いけれど、けれど、たとえば子供が危険なところに迷い込んでしまって、死にそうになってしまったとき、どうするかといったら、
やはり危険な場所というか事態をこそなんとかするべきで、ましてやこんな目にあったひとに対して非難なんかしないと思う。
もちろん被害にあった青年は子供ではないしイラクでのことなのだけれど、もしかしたら誰もがこの青年のような目にあうかもしれないという危険性は、こんな物騒な時代だ、イラクに限らず、どこにでもある。(たとえば日本でいうと地震や洪水、噴火なんかで危険とされ封鎖されてしまったところなんか、そうだろう)
だいたい、イラクに近づくななんていっても、イラクにも小さな子供はいるし、古い歴史と文化にささえられた生活がある。本来はそんな場所のはずなのだ。

それに目をつぶって、彼の人生を否定するようなことは、わたしにはいえない・・

断片的な引用。

◇…たぶん、これは僕には前回の人質たちの行動が「理解できる範疇を超えた善行」で、今回人質になった人の行動が「僕にも理解できる程度の若気の至り」だからなのだと思う。
自分が理解できることには肯定的になってしまうし、自分の理解の範疇を超えれば、思考停止になってしまうのだよなあ。
マニアックな憂鬱~野望篇...ふじぽん/最近のテレビ雑感 - 2004年10月28日(木)

◇2004年11月1日(月)彼の心の中に暗闇の部分があって、それがイラクという戦場地域と合致してしまったのかもしれない。
今日の面白ニュースにつっこみ

彼を非難できないわたしもまた、自分の中の闇に、親しいのかもしれない。

関連;イラクと「エクソシスト」

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2004年10月29日 (金)

イラクと「エクソシスト」

お題にしたがい、100首つくる「題詠マラソン」・・
残るは2日・・

実は80番目のお題「イラク」で足踏みしてます。
理由は・・

詠めない。

それだけ。
(=_=;)

+++

現在のイラクはあまりに悲痛で短歌にできなくて・・
それでイラクの歴史とか、そういうものを中心に探っているんですが・・

発見してしまったんです。
ホラー映画「エクソシスト」とイラクの関係・・(別に発見ってほどでもないけど)

あらすじを説明するのもナンですけど、この映画、オープニングでまず、

メリン神父は、イラクの古代遺跡の発掘にあたっていたが、掘り出されたものは、異様な悪魔の像であった。悪魔の像は、長い眠りから覚めて現代に蘇えったかのように巨大に聳え立っていた。
・・この発掘シーンはフセイン政権前のイラクでの撮影だった。

・・とゆーことがあるんですと。

わお! 今となっては意味深! 
(O.O;)

そんでもって、すでに石原慎太郎は『宣戦布告』で言っちゃってます。
米はエクソシストたり得るか

・・ははは。いっそのこと映画のように、掘り出してしまった悪魔と刺し違えてしまえ・・ってことが言いたいんですかい?(ウソ

(およよ。悪魔にとりつかれた女の子、「リーガン」、って名前だ。・・大統領に、いたっけ。
それで神父は「メリン」、だ。
あ、メリン、か。・・あめりか。
ううう・・頭悪すぎて、これ以上の展開が読み取れない・・)

+++

それはさておき。
日本人男性が人質として捕まっています・・
かわいそうです・・ 

でも世界の情勢というのはこういうことかもしれません。
たとえば 「聖書爆弾」・・牧師さん、洒落にならず、逮捕

となったら、穂村弘の『短歌という爆弾
・・この題名も
「設置法―短歌をいつ・どこで爆発させるか」
という内容も、今では洒落にならん・・か?

・・はよ、マラソンにもどろ。

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2004年10月 8日 (金)

LA BATTEE~終焉からの問い

藤原龍一郎さんのサイトの「 電脳日記 」10/05.06で小笠原賢二氏の訃報を知り、うちひしがれる。

川などで砂金をふるいや木皿ですくって採取するような場所というか、そういうところを「漂砂鉱床」と呼び、わたしはそれを「短歌人」の故・高瀬一誌さんと選んで自分の歌集の名前としたものだが、中井英夫も『LA BATTEE』(ラ・バテエ:砂金を洗う木皿)立風書房1981 という書物を出していたことをわざわざはがきで教えてくれたのが、小笠原氏だった。
小笠原賢二氏の評論集『終焉からの問い』のP333に、その『LA BATTEE』のことが書いてあり、なるほど、とわたしは深く感心したものだった。

なにも知らないくせに何故そんななまえを歌集に選んだのか、そのときは自分でもわからなかったが・・
小学生の頃、中井英夫の秘書になるという突拍子もない夢をわたしはもっていた。その記憶の奥深くに、たぶんそのふるいは沈んでいたのが、あるとき迷い出るようにして浮上してきたのだろう。
そんなことなどとっくのむかしに忘れていたし、そもそも氏がご存知であるはずなどないものを、遠くから見抜かれたようでおそろしく思った。
・・玉石混交というが、小笠原氏のLA BATTEEは、わたしのような石っころすら、捨てずにひろいあげてくれたのだった。

一方、わたしのLA BATTEEは、自分のささやかな短歌を拾い上げるにしても・・沈んだままで、今もとても使いえるしろものでは、ない。

ところがどこまでもわたしは勝手なもので、こんなふうに教えたもらったからには、つぎの歌集の名前は「ラ・バテエ」にしたい・・などと思ったこともあった。
そのときには小笠原氏にもそう報告しよう、などと勝手なことを考えていた。
・・その夢はもう、実現しない。

小笠原氏のご冥福を遠くから、心からお祈りさせていただく。

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2004年10月 7日 (木)

電脳歌人は『海神別荘』の書庫を夢見る

えっと。昨日書いた「電脳歌人は・・」は、歌人をスーパーコンピューターにして・・というトンデモなおはなしですが・・(笑

内心ほしいと思ったりするんです。
なんというか・・イメージを思い描くだけで短歌にしてくれるって機械とか・・(殴

+++

ところが、あるんです。
いえ・・現実ではなくって。
・・小説ですけど、泉鏡花の『 海神別荘 』には、一見ただの「金光燦爛たる洋綴<やうとぢ>の書」。けれどもびっくり、念ずれば文字があらわれるというスグレモノ、という書物が出てくる。

海神別荘、といっても「 サクラ大戦 」じゃあ、ないぞ(笑
あ、でも原作だから、同じか (爆

さてさて。その海の国の王子様御所有のその御本。
此の国の微妙なる光に展きますると、森羅万象、人類をはじめ、動植物、鉱物、一切の元素が、一々(ひとつひとつ)づゝ微細なる活字と成つて、然も、各々五色の輝きを放ち、名詞、代名詞、動詞、助動詞、主客、句読(くとう)、いづれも個々別々、七彩に照つて、恁(か)く開きました真白な枚(ページ)の上へ、自然と、染め出さるゝのでありまして。

・・これを学生時代に読んだとき、どうにもこうにもイメージがわかなかった。
そうだろう、自慢じゃないが、PCはおろか、ワープロすら見たことなかったもん (あるにはあったらしいが/笑

・・ただし、この便利な本にも意地悪なところがある。

恐れながら、それぞれの予備の知識がありませんでは、自然の其の色彩ある活宇は、ペエジの上には写り兼ねるのでござゐます。

こんなところも、検索が上手でなければなかなか情報にたどりつけないという、今のインターネット事情ににてないこともない。

江戸紫や緑の活字が、白い雲の枚(ペエジ)・・つまり、雲のように白いページ、って意味よね・・画面にあらわれたのは
「――箱根を越えて伊豆の海、三島の里の神垣や」 
なんじゃらほい、って感じですが、やはり昔ですね。八百屋お七のはなしに興じ、東海道五十三次のすごろくで侍女たちと遊ぶっていうんですから、さすがは竜宮城の乙姫様の弟公子です。

・・ちなみにわたしがPCをはじめて買って、検索した言葉は・・
ぶぶぶっ (笑

+++

もちろん海底の国にあるというこの本は辞書事典のたぐいであって、短歌を作ってくれるわけじゃない。
でも。
宇宙のどこかになにかがあって、それに感応することができる人だけが、いい小説や詩や俳句や短歌ができるんじゃないか、と思うことがある。

・・「スーパーコンピューター」を夢見るゆえんである。

でも、とうぜんニセモノや勘違いや二流品、クラッシュや、ウィルス、スパム・・
・・ブラクラだってあるかも。
・・ということである (笑

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2004年10月 1日 (金)

無題録

高村智恵子 「無題録」より(抜粋)


きりぎりす
すゐつちよう
なくはわれのみかは
君ゆゑに
あひたさゆゑに
つくづくし

うらの森にしぐれふる
青いしぐれーー
散る木(こ)の葉

(なく、・・は漢字がでなくって・・。 口帝、って感じなんですが・・(笑)
+++

『智恵子抄』のヒロインは、詩に書かれるだけではなく、また、こういう詩をかいた。
本来、この詩はもうすこし長く難解なのだけれど、わたしはここの部分が好きだし、この部分しか覚えていない。
台風の後、虫の声を聞いた。
地面はすべて水につかり、草も木も泥だらけになっていたというのに、どこに逃げていたのか、どこに隠れていたのか。
はかない虫けらだというのに、翅がかわくとまず、まっさきに歌いだしたのだろう。
すさんだ風景にしずむ村に、その音色はなによりもふかく心に沁みる。

開通した電車に乗り町にいったところが、隣の駅周辺の住宅街はみな畳をあげ、床を浚え、家具を洗っている。
えんえんと続く悲痛な光景に心が痛む。

+++

台風の後、はじめて夫が帰宅してくれる。
帰宅する途中に見た被害状況を聞き、暗いきもちになる。
長男も修学旅行から帰ってくる。
お土産をかこんでの、ひさしぶりの家族再会。

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2004年9月30日 (木)

水害雑録 (台風21号

「むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめたことを痛快に感じた(伊藤左千夫『水害雑録』より)」

・・などと、明治43年の罹災の記録として、この『野菊の墓』の作者は書いてますけどねえ・・
ええ、刻々とます水かさの前に、すべてを失うことを覚悟しながらも、どこか静かな気持ちで居る、ある意味不敵な強烈な場面なんですけどねえ・・
昨夜、懐中電灯を持って、家の前に出てみて、道が川になっていることを知り、この文章をなんとなく思い出したりしたわけです。
・・なんて不吉な、嫌な場面の文を思い出したんだろうって・・
結局、うちは床下浸水で済んだわけなんですけど・・
あらためて読みかえすと感慨深いです、『水害雑録』

+++

メアリーっていうんですか? このたびの台風21号・・
北朝鮮語で、意味は「やまびこ」
こわかったですね、って。ほらいうでしょう? 壁に耳アリ障子にメアリー・・
こわい「やまびこ」でしたねえ・・ (つくづく

+++

うちの子が帰ってきていうには、さすが避難勧告がでただけあって、クラス24人のうち(いなかなんです・・)、学校などに避難した家の子は約10名いたそうです・・
夜に避難して、夜明けごろに帰宅したそうです・・
体育館で、布団は持ち込んで寝たそうです・・
「めっちゃ、たのしかったんやって」
なんてうちの子はうらやましそうに言ってますけど・・
ええ、どんなときでも楽しみにかえてしまう子供って、親にとって、助かることってあるってもんでしょうね・・きっと。

パトカーも水に漬かったという話も聞きました・・
川の向こう岸のほうが大変で、みんな家をあけはなって、畳をあげたり、家具を捨てたりしていました。
暑い折です。消毒もたいへんです・・
ふと夕方、畳屋さんを見たんですが・・
こちらも必死の様子でした・・

畳と言えば・・
川の堤防として畳を使うことができるように、あらかじめ畳のサイズに高さとか幅とかを統一している柵をみたこと、あります。
・・今回、その堤防の柵として、畳をつかったのかなあ。
氾濫とかしてて、大変みたいだったけど、その川。

+++

左千夫の『水害雑録』には、大水害のさなか、飼っていた牛を線路つたいに牽いて逃げようとして、その許可をたのむところが駅員さんがなかなか許してくれない場面が活写されていて・・
でも左千夫も必死ですから、なかなかしつこく、しぶとく食い下がるんです。

昨日、大雨の中保線の人たちが必死になって線路の点検とかしているのを見ながら、そんな場面を思い出したりしたもんですけど・・

その線路もなんとか、午後には復旧し、次男は無事に帰ってきました。

あかるい日差しに木をみると、先日の台風の塩害でやられたはずの梢が芽吹いて、それはそれはきれいな、みずみずしい若葉が輝いているのにきづきました。
季節外れの桜が咲いています。
きんもくせいの涼しい、甘い香り。そして虫の音。
もうすぐ村祭です。このまま無事お祭りを迎えられたらと思います・・

+++

気がつかないうちにカウント数が20000を越していた・・
いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします (幸せは洪水のようにおしよせて・・?

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2004年9月24日 (金)

お彼岸に読む本

「もう、世の人の心は賢くなり過ぎて居た。独り語りの物語りなどに、信(しん)をうちこんで聴く者のある筈はなかつた。」
(折口信夫『死者の書』/昭和14年初出 )

・・わたしは賢くなどなくなってしまったが、信をうちこんで物語を聴くということもなくなってしまっている。
おなじく、本を読むことも少なくなってしまった。
そのかわり、むかし読んだ書物のなかから、そのくだりの一行がひとすじの煙のようにたちのぼっては、記憶のむこうからわたしに問いかけてくることがある。
それはひそかに、まえぶれもなくわたしを訪れ、その本を読んだときに片思いをしていた男の子のことや、好きだった図書館の奥の暗がりや、その冷気を、わたしに思い出させる。

+++

お彼岸はドライブに行った。
太陽にむかって、東へ。
そして、天空を渡る太陽を、さらに追って、西へ。

まるでなにかを思ひつめ、何かに誘(オビ)かれたようになつて、大空の日(ヒ)を追うて歩いた人たちがあつた。

そんな一節を、むかし、読んだ。
出かける前に書棚をひっくり返し、その一節(『山越しの阿弥陀の画因』)が収録されている本を探し出した。
『死者の書』という題からしてまがまがしいものがあるが、古めかしい活字、旧かなのその不思議な物語は、「明治以降の日本近代小説の、最高の成果である」といわれた。
だが、若いころに読んだその本のあらすじを思い出そうとしても、なにやら曖昧模糊として思い出すことができない。
しかしその物語にはたして、厳密なあらすじなどあったものか、どうか。
・・黄昏どきに蜘蛛のつむぐなにかの夢、古い時代の書物のページを捲る風のようなものではなかったか。

時々雨がふったりする、おちつかないいちにち。
西に東に、どこまで彼岸花の咲く道を走りながら、一冊の本をひざに、運転席のとなりでうつらうつらとしてすごした。

(眠り猫のmaukieが書きました) ←うそだにゃ~/笑

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2004年9月16日 (木)

彼岸花

子供をピアノ教室からつれて帰る途中、白い彼岸花を見かける。
川の土手に群生している。ただし赤いのに比べると数は少ない。
白い精緻なつくりがうつくしい。

彼岸花がいちど、村のはずれの川の水面をいちめん、覆い尽くすように流れてきたのをみたことがある。
川の上のほうできっとだれかが刈ったのだろう、それはすごい眺めだった。
だが、その川の上には墓場しかないのだ。
そんな、花がさいていても別にかまうことはないだろうにとおもうのだが、どうにも刈らずにはおれなかったのだろうか。
花が多すぎて、川は流れることすらできなくなっていた。
あんなに大量の彼岸花を一気に見たことはなかった。
川は燃えるような暗い赤色に染まっており、それだけで怨念じみて、おそろしかった。

野坂昭如の『骨餓身峠死人葛』(正直いってかなりアブノーマルなはなしです。同じ作者による「火垂るの墓」の鬼畜版というか・・? あらすじは・・あまり書きたくない。くわしくは ここ をどうぞ)にでてくる、ヒロインの美少女が愛する「死人葛」をわたしは随分長い間彼岸花だと信じていた。
(彼岸花はもともと死人花ともよばれていたりもする)
文中、この花は死人の血肉を啜って生きよるばってん、平地じゃ無理でござっしょう、などというくだりがある。
「葛」とあるのに、いったん染み付いたイメージはなかなか消えないものらしい・・映像化されるなら、彼岸花でしてもらいたいと思ってみたりもする。

・・帰ってみると、庭の一隅に彼岸花が咲いている。
お姑さんが植えたのだ。
田舎のひとならば、彼岸花は墓場やあぜ道に咲いているもので、わざわざ家に持って帰って植えるべきものではないとわかっているはずなのに、
うちのお姑さんは時々こういうことを平気でする。
なによりきれいだし、外国では園芸種とされる花だとわかっているが、そういう合理的すぎるところが、わたしには心情的にうけいることはできない。
野にある花を見たいなら、野に行くべきものなのだ。

もちろん、花は悪くない。
お姑さんもいい人だ。
・・だが。

夕方、金魚が死んだ。
お墓をつくらせ、それだけではかわいそうだから、わたしが育てている薔薇を摘んで、お墓のうえに散らしてやることにする。
次男が全部それらをする。

・・庭に彼岸花なんかが咲いているから、こんなことになったのだろうか。


(9/17に再編集して「もちろん、花は悪くない。お姑さんもいい人だ。」などを挿入しました)

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2004年9月13日 (月)

『輝く日の宮』を読んだよ

源氏物語の二次創作というのは柳亭種彦が江戸時代にものした「偽紫田舎源氏」のむかしから人気があったジャンルである。
現代でも古いところでは岡田鯱彦(現実に国文学の教授だったらしい)の『源氏物語殺人事件』(昭和25年)。
それと長尾誠夫『源氏物語人殺し絵巻』(昭和61年)。
とくに『源氏物語人殺し絵巻』は風来の名探偵役としての頭の中将がかっこよく、対するダーティーヒーローとしての光源氏が悪の魅力たっぷりで、よかった。(ネタバレになるけど、遠隔操作殺人というすげ~展開もある)
まだおさなかったころの和泉式部と紫式部の仲良しコンビが京の都で大活躍!というはなしも読んだことがある。(のちの「紫式部日記」に書かれた和泉への評の、確執?じみた記述を思えば感慨深い)
そのほかいろいろあったが・・忘れてしまった・・
やはり原典の、夕顔の頓死やら六条御息所の死霊・生霊がたたりをなして人が死んだりする物語の顛末がミステリーファンをそそるようで、くりかえしその周辺がテーマになって書かれているらしいのもおもしろい。

そういうわけで第31回泉鏡花文学賞の丸谷才一『輝く日の宮』を読む。読み終えるのに約二週間かかった。旧かなだし、長大だったが冗漫さはなく、知的な興奮が味わえる一級の娯楽小説といえようか。源氏物語の謎にまつわる物語だから当然といえるかもしれないが、大学時代の恩師のひとりの名前が一瞬でてきておかしかった。
恩師の名前を見て、学生時代の不勉強をつくづく後悔しつつ、多少とも得たはずの知識を生かすことができない今の生活を恥ずかしく思う。

源氏物語の失われた巻とされる「輝く日の宮」をヒロインが行きがかりで執筆することになった、その内容が気になっていたが、もうひとつだった・・
ヒロインはまず紫式部になりきって物語を書こうとするわけだが、そこで出てくる紫式部のパトロンでありよき理解者である藤原道長が、違和感ありすぎるほどできた人物として描かれているのだ・・
橋本治『窯変源氏物語』のような精緻でありながら濃厚で耽美な世界を期待していたのだが、期待はずれ。
また、少女時代に書いた小説にでてきた過激派が現実にシンクロしていたのも、そのままわからないおわりかたをしている。
そういう意味では、さいご、走りすぎたのかもしれない。
434ページもの大作だが、もう100ページぐらい長くなっていてもよかったのにと思ったりする (爆

冒頭が泉鏡花ばりの怪異譚で(劇中劇ならぬ、小説のなかの小説)、泉鏡花ファンにとっては感激そのもの。
だからやっぱり、ここは泉鏡花の『夜叉ヶ池』ばりの大洪水あたりでラストをしめてほしかったが(ヒロインの恋人が「水」関係の会社の社長になったりしていることだし)・・いくら丸谷才一といえども、現代の小説においてそんな無茶なことはできなかったということか。

大和和紀の少女漫画『あさきゆめみし』の連載時期が1980年11月-1993年7月(月刊mimi・mimi Excellent連載)というらしいから・・・
源氏を大衆化した貢献はあるし、解釈の新しさと言う意味でもなにかあってもいいと思ったけど、でもぜんぜん、言及がないのよね。
まあ、仕方ないと思うけど。

とはいえ、成功小説、恋愛小説としてもおもしろく読めたのは事実。
この勢いで、
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」(森谷明子*著、東京創元社) ここ
「闇の血脈」(広山義慶*著、ケイブンシャ文庫)(1985年祥伝社より刊行された「源氏物語原典殺人事件」を文庫収録にあたり改題したもの) ここ
もなんだか読みたくなってきた。
もしかしてマイブーム?の予感かしらん。

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2004年7月24日 (土)

となりのトトロと 1 『大きい一年生とちいさな二年生』

いまさらながらテレビで放送されていた『となりのトトロ』を見る。森に棲むふしぎなおばけと、引越ししてやってきたふたりの女の子の物語。当時の同時上映作は『ほたるの墓』 つまりは「おばけ」と「お墓」という関連モノの上映だったというわけか。

名作といわれつづけ、語りつくされたこの物語をあらためてみていて、ズボンのお尻におおきなあて布がしてある男の子や、蚊帳や、アスファルト舗装ではない土の道、くねくねしたあぜ道、森や田んぼや畑といった、なにげない日本のむかしの田舎の光景に涙ぐみそうになった。
歳をとって涙もろくなったせいだろうか、子供が家族とお風呂にはいったり、いっしょに寝る、といったり、雨の中、家族を傘をもって迎えにいったり、するだけで涙ぐみそうになる。夏の田舎で子供がさそいあってランドセルさげて学校にいったりする姿をみているだけで、感動して泣きそうになる。
これってやばいなあ、と自分をいましめながら、観る。

嵐の夜のおそろしさ、雨のつめたさ、森の空気の湿度、壮大な夕焼け、井戸や家の前を走る溝に流れる水の冷たさなどが、画面から痛いほどつたわってくる。はなしよりもなによりも、どうしてだろうか、まずその描写のうつくしさに圧倒され、そういうことばかり観ていた。

森に棲むふしぎなものたちの物語、といっても、『となりのトトロ』にはのちの『もののけ姫』ほどメッセージ色は濃くなく、けれども画面のあちことに散見される注連縄や神木、古い神社、稲荷、地蔵・・といったものに、すたれいくふるい存在への愛惜が感じられた。
それを見ていて思い出したのが、子供の頃に読んだ 『大きい一年生とちいさな二年生』(古田足日)だった。世話になっている上級生の少女のために、少年がホタルブクロという名前も姿もうつくしい花をさがしに出かけると言う物語で、それは通常のエリアのむこうの異界への冒険旅行そのものだった。ひかわさま、 天神さまとさがしつづけ、ついに「おるすのかみさま」のところで花は見つかる。「おるすのかみさま」とは、壁も屋根も壊れかけて、草ぼうぼう、神様なんてまるでそこにはいない、お留守のようになってしまっている神社のことだった・・。
さきごろ30年ぶりかで読み返して驚いたのは、ついさいきんまで、開発される町のすぐそばに暗くてこわい崖の間の通学路だの、一本杉の森やら神社の森やらというものとともにものすごいような田舎がのこっており、そこは信じられないような別世界そのものだった、というようなことだった。ひよわな少年の成長小説ということではなく、今はもうなくなっているであろう、そういう古いなつかしい光景を描いたという点でこの子供向けの物語は貴重で、子供の頃にはまるでわからなかった、失われ行く都市近郊の自然、そして信仰への愛を新鮮な思いをしながら読み返したものだった。

『となりのトトロ』では子供がどんぐりをさがしたり追いかけたりする場面がしきりにでてきた。『大きい一年生とちいさな二年生』もホタルブクロを探しに行く。ちなみに、ほたるぶくろというが、「カンパニュラ」はキキョウ科ホタルブクロ属らしい。
カンパニュラだと『銀河鉄道の夜』だ。
夏休み、そんなことをふと思い出してみた。

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