育児

2006年12月 4日 (月)

サーカス

今すんでいる街にサーカスがくるということで、旗がたなびき窓に広告を貼ったタクシーが走り回り、
そうしているうちに公園に続々と荷物がとどき、
基礎工事をしているなと思っていたら、あっという間にテントが張られ、
いよいよもうすぐサーカスがはじまるというところ。

子供たちに「ずっとずっと、十年以上むかしに、やっぱりこの街にサーカスがきたとき、
観にいったこと、覚えてる?」
と聞いてみたところ、
象の曲芸やバイクの曲芸やらを見た、と答えたのは次男。
長男はちょっとかわってて、
座席の下が真っ暗だった。どこまでも暗いのがつづいてて、落ちたらどうしようと思った。
だの。
サーカスがおわったあと、真っ暗になったのがこわかった。
だの。
ピエロがこわかった。
だの。

+

・・・。
受験のストレス、たまってるんかな。

+

ともかくそれでこのたび初めて知った!基本的にピエロがダメで、だからドナルド・マクドナルドも基本的にダメらしい>長男

+

むかしむかし。
「悪い子は、さらわれてサーカスに売り飛ばされるぞ」
ってよく夫が言っては子供たちをこわがらせていた、それの影響かともおもわれるが、さて。
(そんなこと、言ったらダメってわたしが怒ったりしたのが、結果的に余計に真実味を子供たちに与えてしまったものかと思われるw)

ともかく・・
しらべてみると・・そんなデマ、本当にあったらしい・・

サーカスに関するデマ
30年くらい前までは、次のようなサーカスに関するデマ(都市伝説の方が適切か)があった。 また、親が子を叱責するときにもよく使われた。

夕方遅くまで遊んでいると、コトリ(子取り、誘拐犯の意味)にさらわれサーカスに連れて行かれる。
悪い子はサーカスに売り飛ばされる。 ウィキペディア より ここ

子供の叱り方ってむずかしいって思うけれど・・
わたし自身子供の頃、子供どうしのひそひそ話でそんなはなしを聞いてひどくおそろしいと思い、おびえたりしたものだった。
それは今から思うとどう見ても児童虐待としかおもえないようなはなしもあって・・
・・そんなはなしを聞いてしんじつこわくなり、急いで家に帰ったってことも、今はむかしの物語。

キャラメルのとろりと溶けるたそがれにやさしき声す「とろとろ子盗ろ」  みほ

+

ともあれ、冬のおわりまでこの街に居るというサーカス。
つれてったってこと、三男は覚えてないというから・・
また家族そろって(もちろん長男もw) いっしょに見にいきたいなー。

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2006年11月25日 (土)

サンタ・ブーツ

身ひとつで子供たちをつれて家を飛び出し、というわけではないのだから^^;
でも今のお部屋には季節のものがすべてそろっているというわけではなく、というわけでクリスマスグッズを子供たちに頼んで家までとってきてもらった。
すると子供たち、毎年サンタさんがプレゼントを入れておいてくれるブーツをしっかり持って帰ってきた。

ブーツといっても紙製で、上は高校三年生から下は中学一年生まで、さんにんの子供たちが幼稚園なんかでつくったたわいない工作である。
クリスマスの前夜、そのブーツにお菓子を入れておくのが我が家の風習。
お菓子は長い冬の道中、サンタさんに食べてもらうためのもの。
高価なおもちゃをもらうんだもん。それくらいサービスしなきゃ失礼ってもんでしょう、というわけ( ´ー`)

「まだこんなもの持ってきて! ・・小学生のいない家にサンタは来ないっていってるでしょ!!」
と大人がオトナの理屈で怒っても知らん顔。
だからといっていまさら「サンタはくる! きっと来る!」とてんでに声をあわせて叫ぶなつうの。

とはいえおもちゃはないでしょ、と言ってやるとそうだろうというわけか。第一このごろのおもちゃ、高いし^^;
「将来への翼が欲しい、かな」と次男。
「違った。マンガ『銀魂』にあったせりふだけど・・(明日への翼)、だった」

なんなんだ。
(明日への翼)なんてむずかしすぎる。というか、親だってほしいし。
いやほしくないかな・・ほしいかな・・(悩むな

だったらおもちゃの方が簡単でいいかな、と^^


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2006年11月16日 (木)

学校の対応 1

イジメによる自殺と学校側の対応というのが世間の問題になっているが・・

・・詳しく語りたくないがうちも実は似たような経験がなかったわけではなく。

「子供だから許せるんですよね? 大人だったらこれって絶対逮捕ですよね?
弁護士用意してますからね。こちらは本気ですよ」

と小学校側と対決したことが昔、あった@以前いた村でのはなし

ところが学校側の対応ときたら。
「子供の喧嘩に口を出すウザイ親」
という路線であくまで処理したいらしく。

「おたくの奥さん、評判悪いですね。朝からばんばん、父兄から非難の電話きてますよ」 
約二十件ぐらいかな。大変ですよ、と夫に言ったのは当時の小学校校長。

当然夫は逆上。
それが校長にではなくわたしに・・なのはホトホトつらかったが。

「奥さん。中央公民館での校長会であなたのうわさがでてました・・悪いうわさです」
などとまで言われ。

あわや家庭崩壊。わたし自身精神崩壊一歩手前に。

・・でもすべてわたしたちを黙らせたいがためのうそだった。

あの校長はおかしい。
そういう証人をあつめていざとなったら証言してもらうことを何人にも約束して。
弁護士を雇い。
ふたつの政党。何人もの議員。当時の町長。
脇からかためて教育委員会に乗り込み、事実を何度も調査させて夫に謝罪させた。
わたしは謝罪されても許すつもりなどさらさらなかったから、その場にいあわせなかった。
そのとき夫は「このことは口外しないでください」と教育委員会に約束させられたらしいが、わたしは約束してないのでここに書く。

・・その校長、辞任するかと思ってたら無事お勤めをはたし、教育書まで何冊も発行して、天下って地域の教育活動のリーダーになっている。

なんなんだ。

というか、田舎だからあんなこと、起こったのか。

わたしが村社会、そして学校というものを信じなくなったのはそれ以来のこと。
ほとんどトラウマの領域。

「むかしから評判は立ってたんですが、最後まで戦ったのはおたくが初めてです。
ザンネンですが大概の父兄は途中であきらめて泣き寝入りします」
とある議員さんが言ってくれた言葉こそが、「村」というものの、そして「学校」というものの真のおそろしさを語るというものかと思う。

そののち、もうこんな地域に生きていけない。子供をまかせておけないとばかりに、子供たち三人に校区外の私学をうけさせ、ついでにさっさと村を出たわたしたち一家だが。

それはともかく。
いじめ報道にみる学校側のぬるい対応を見ていて、当時つらかったことがフラッシュバックのようによみがえるわたし。

被害者放置。けど加害者にはあつい人権を、というのはよくあることだが、
被害者がさらなる苦しみを、さらにはいつのまにか加害者にされてしまうという、おそろしい構造がここにも見られるのはどういうことか。

「つらい思いをするのはわたしたちだけで結構です」
と当時思いをのべた、あれからもぜんぜん事態はかわっていないことに怒りを感じる。

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