なう、鳩よ この街の人はみななぜか語尾のするどき言葉を話す 永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
・・言葉が通じないというのはつらい。
たのむから普通の調子で、普通の日本語しゃべってよ。あなた方の言葉、私のにんげんとしてのボキャブラリーにないというか、フィルタリングかかりまくりでてんで通じないよ。
なんて愚痴りたいエキセントリックな事件の連続で、憂鬱な日々。
おかしい。どう考えてもおかしい。
本当はいい人だと何度も思おうとした。そうだろう。組織内でかなり重要なポストについてるし、慣れていないわたしが悪いに決まっている。
でも、でも。
あれで普通で「本当はいい人」だとすれば、世の中どんだけ許容量が大きいねん。
「本当はいい人」なのは、「その人の尺度に合致できれば」って条件つきなのね。
それはむずかしい。ハードル、高過ぎ。つうか、そんな低いレベルになりたかないって思ってもいいよね。
なんかまだよくわからんけど、とにかく凄いところへ来てしまったらしい。
って、おなじように転勤してきた方と春なのにため息ばかりついてる。
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先週末は歓送迎会つづき。旧職場の送別会では飲んだ。別れがつらくて飲まずにおれるか、って感じで、飲んでは泣き飲んでは泣きのエンドレス (泣き上戸
帰り路の桜が見事で。満月で。
天空をながるるさくら春十五夜世界はいまなんと大きな時計 永井陽子『樟の木のうた』
・・古来からどれだけ詠われても詠いつくされず、描いても描きつくされない桜の魅力っていうか、
春は別れと出会いの季節って言い古された言葉が重くって、
一生の出会い。一生の別れ。
別れのかなしみと再会のよろこびの想いを抱きながら見上げた空に桜が咲いている。
ああきれいだなぁとしんそこ思い、
悲しみが桜の花のように美しいはずはないけれど、
今宵、日本中のどこかで誰かが悲しみの想いで桜を眺めている。そんなひとは私だけでなく、きっといるだろう、
そう思ったら、心の中に桜のうつくしさがしみじみ、ひろがっていく気がした。
歩み返せばぼんやりあはき春の月予期せぬ方にあらはれ出づる 永井陽子『てまり唄』
いちねんの間に桜の咲く時期は本当に短くて、でも人の心にいつまでも残るように、
此の一年は本当に幸せな輝きに満ちたものだった。いつまでも心にのこり、つらいときにもわたしをささえてくれるだろう、って思うのは現職場が決してつらいからとかいうわけではなく (微苦笑
ぼろぼろになるまで人は働くと職を変はりてのちまた思ふ 永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
・・そして来年の桜をどんな気持ちで眺めるだろう。
人間のふしぎのひとつ無意識に痛き部分へ手を当つること 永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』
だれか私の心に手をあててください(ワラ
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