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2006年7月29日 (土)

「鶺鴒抄」-或る山中智恵子の読み方、など

こっそりと出てきた家にこっそりと戻っては本やら季節の衣服やらを持って帰っているが・・今回は永井陽子『モモタロウは泣かない』その他を奪取?してきた。「鶺鴒抄」-或る山中智恵子の読み方、という一文を永井が書き、そして栞に山中智恵子が「ガリレオの望遠鏡」という一文を寄せているという珠玉の一冊。

山中作品のなかで地名や星の名前とともに数多くの鳥たちが歌いこまれていることは周知のことであるが、うちも河原鶸なんぞを飼うようになってからことに鳥の名前のでてくる歌に興味を持ち出してきた。さて視点を鶺鴒に絞った永井の「鶺鴒抄」のラスト近くに、「にもかかわらずなぜ鶺鴒か、ということは今回触れなかった」とあり、「別稿に譲る」とあるが、その別稿はあるのだろうか、ということはさておき。

しかしその「別稿」に次の一首がひかれているであろうことはたやすく予想できることだろう。これは「短歌への最短距離を生きてきてとほく日常をとほざかりぬる 山中 智恵子」と「精神分析のごと宵々の夢を記す期しがたきわが命終のため 山中 智恵子」の間に位置する、こんな歌だ・・

幼年は翁鳥に病やしなひきいま鶺鴒を夢に育てむ 山中 智恵子『夢之記』

翁鳥、と書いたが漢字が出せなかっただけで、これ一字で「ヒタキ」と読む。ヒタキ→こちら

山中は鶺鴒を飼っていたわけではなく、想念的な抽象的な鳥として描いているようである。そう、まさしく「夢に育てむ」鳥であったということかもしれない・・

しかしヒタキにしても鶺鴒にしても、なぜに野鳥?

 「なにしろあの形は綺麗でしょ」という鶺鴒について、「非常に霊的な感じがしますね」と言ったという山中だが・・

野鳥には霊的な美しさがあると思うのは、おなじく野鳥の河原鶸を飼う羽目になったわたしがいうのもなんだが、じっさい、そう思う。 

ちなみに永井も『モモタロウは泣かない』を読むと野鳥ではないが、文鳥を飼っていたようだ。山中と永井というと式子内親王についての論考という共通項があるが、このほかにも案外、鶺鴒と文鳥という鳥の存在も無視できないことかもしれない、などとうちの河原鶸(ちぴこ)のかわい~い鳴き声を(メロメロになりつつ)聞きつつ思うことである。

体の調子が悪いなあと思っていたのでドクターにその旨うったえたところ、薬が一種類ふやされ、量も自分でガンガンふやしてもらって結構です、とのこと。

いまひとつストレスをさけて・・とのこと。短歌人の夏の大会までもうすぐ。ここにいたってなおなにかの奇跡で参加できることを願っていたが、いよいよ無理ということか。宇田川さんごめんなさい。受験生の長男がいるため新年会参加は絶対に不可能だし、忘年会もどうだか。楽しみにしていたことができなくなるというのもまたストレスの原因になるというものだろうに・・行きたかったなあ、大会。

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コメント

永井陽子の飼っていた文鳥の名前は「雷」。
由来はしらないが・・野鳥の「雷鳥」になんか関係、あるのかなあ。

投稿: 美頬 | 2006年7月31日 (月) 21時37分

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