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2005年1月19日 (水)

柳田国男と津波

津波と怪異譚といえば柳田国男の「遠野物語」第99話にも、津波でばらばらになってしまった家族の物語がのっている。
これもすきなものがたりなので(つたない訳で補いつつ)紹介させてもらう。

・・男は婿養子だったが津波(大海嘯(おほつなみ))で妻子と家財一切を失い、それで生き残った子供ふたりと元の屋敷あとに小屋をかけて暮らして一年ぐらいになっていた。

初夏のある月夜のことだった。男は用を足そうとして外に出た。行く道も浪の打つ渚であった。・・霧が出てきたが、その霧の中を近づいてくる男女二人連れがあった。見ると、女のほうは、まさに死んだ妻だった。
覚えず、ふたりを追って、はるばると(船越村のほうへ行く崎のある所まで)追い行き、名前を呼ぶと、「振り返りてにこと笑ひたり」・・幽明堺をことにしてなお自分を覚えてくれていたのか、妻は振り返りにこっ、と笑いかけてくれた。
ところが連れの男はというと、これも同じ津波で死んだ、同じ村のものだった。それがむかし、自分と結婚する前、心を通わせあっていたという男ではないか(自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり)
でもそれだけではなかった。妻は津波で死んだあと、今は同じ津波で死んだ恋人の男といっしょになったという。

・・死によって結ばれた愛だとでもいうのか。
死者には死者のさだめがあり、それは生きているものにはどうすることもできないことだ。だが、大惨事を生き残り、無一文になってなお必死になって子供を育てている男にとっては、どうにもやりきれないことだったに違いない。
思わず、自分は仕方ないにしても・・「子供は可愛くはないのか」と言ってみたところ、妻は顔色を変えて泣きはじめた。
今はもう、死んだ人間を相手にしているともおもわれず、男が悲しく情けない思いを抱きながらがっくりとしているうちに、妻とその恋人の幽霊は男を残して足早に立ち去り、(小浦へ行く道の山陰を廻り)見えなくなってしまった。
それでも男は妻のあとを追っていった。
追いかけてはみたものの、やがて死者であったと気がつき、男はそのまま夜明けまで道の真中に立ちつくしていた。
やがて朝になったので帰ってきたが、その後長く病をわずらっていたという。

(原文) 土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字火石に在り。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田ノ浜へ婿に行きたるが、先年の大海嘯(おほつなみ)遭ひて妻と子を失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遥遥と船越村のほうへ行く崎の?ある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。男はと見れば此も同じ里の者にて大海嘯(おほつなみ)の難に死せる者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情なくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。  99話

・・オルフェウスも、イザナギも、死んだ妻を追って黄泉にくだるが、遠野物語の世界では、月夜の霧の渚がそのまま、昏い黄泉の世界に通じていたのかもしれない。
エウリディケもイザナミも、夫のもとに戻ってこようとするが、遠野物語のこの妻は、何年も連れ添い何人も子をなした夫を捨てて、むかしの恋人といっしょに遠い渚を足早に去っていく。
男の悔恨。女の嘆き。人の世のあわれさ。人の心のさだめがたさ。
・・それでもなお優にやさしく心に残るのはなぜだろう。

+++

ところがここに、文中「生き残りたる二人の子」「子供は可愛くは無いのか」とあるまさにその子供たちの子孫の記事があったのでこれも紹介させてもらう。
失礼だが、このお写真の方がこの物語に語られた方のご子孫だとしたら、現実とはなんとダイナミックで修復力にたけ、力強いということだろうか。
(遠野物語研究所 の 遠野物語短信No67)
きっと、妻のことを思いしのびながらも男は残された子供たちを立派にそだてあげ、この悲しく切ない物語は美しい物語として、代々大切に語り継がれていったということなのだろう。

+++

おきなさび 飛ばず 鳴かざる をちかたの 森のふくろう 笑ふらんかも  柳田国男「遠野物語」序文より
+

追加(12/20)
hiroさまにコメント欄で、この「遠野物語」第99話についてかたった佐々木喜善の文をアップしていただいています。
【津波】引き裂かれた愛【地震】・「遠野物語」でかかれなかった、もうひとつの衝撃の真実とは?!(週刊誌風にあおってます^^;)
hiroさま☆⌒(*^∇゜)v ありがとう!

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コメント

・・・「遠野物語」にも其の大筋は載つてはゐるが、極く私の近い親類の人で、浜辺に行つて居る人があつた。明治二十九年かの旧暦五年節句の晩の三陸海岸の大海嘯の時、妻子を失つて、残つた子女を相手に淋しい暮しをして居た。五月に大津浪があつて其の七月の新盆の夜のこと、何しろ思ひ出のまだ生新しい墓場(然しこの女房の屍は遂に見付からなかつたので、仮葬式をしたのであつた)からの帰りに、渚際を一人とぼとぼ歩いて来ると、向ふから人が此方へ歩いて来る蔭が朧月の薄光りで見える。併かも其れはだんだんと男女の二人連れであると云ふことが分つた。それが向ふからも来る、こつちも行く・・・・・・で遂にお互いに体も摺れ々々に交つた時、見るとそれは津浪で死んだ筈の自分の女房と、兼ねてから女房と噂のあつた浜の男であつた。其の人の驚いたことは申すまでもなく、併し唖然として二三歩行き過ぎたが、気を取り直して、振り返り、おいお前はたきの(女房の名前)ぢゃないかと声をかけると、女房は一寸立ち止まつて後を振り向き、じつと夫の顔を見詰めたが、其のまゝ何も云はずに俯向いた。其人はとみに悲しくなつて、何たら事だ。俺も子供たちもお前が津浪で死んだものとばかり思つて、斯うして盆のお祭りをして居るのだのに、そして今は其の男と一緒に居るのかと問ふと、女房はまた微すかに俯首いて見せたと思ふと、二三間前に歩いて居る男の方へ小走りに歩いて追ひつき、さうしてまた肩を並べて、向ふへとぼとぼと歩いて行つた。其人も余りのことに、それらを呼び止めることさへ出来ず、ただ茫然と自失して二人の姿を見送つて居るうちに、二人はだんだんと遠ざかり、遂には渚を廻つて小山の蔭の夜靄の中に見えなくなつてしまつた。それを見てから家に還つて病みついたが、なかなかの大患であつた。・・・

佐々木喜善 全集(Ⅰ) 縁女綺聞 より引用 

投稿: hiro | 2005年1月20日 (木) 01時08分

きゃああっ! hiroさま~☆
おひさしぶりです・・(^^)
たしか羽釜でご飯を炊くおはなし以来でしたね・・?

>佐々木喜善

「この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月ごろより始めて夜分おりおり訪ね来たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。」
の、「佐々木鏡石君」のことですね!
なるほど、彼は一方でまたこの物語を取り上げていたんですね。
はじめてしりました!

なるほど・・「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」なんて柳田国男は書いてますが・・佐々木さんの文と柳田の文を比較すると、まるで印象が違うことがわかりますねえ。
とゆうか、まるっきり別の物語みたい。
驚きました|||||/( ̄ロ ̄;)\||||||| まじ~~?

・五月に大津浪があつて其の七月の新盆の夜
(遠野物語では「一年ばかりありき」とある)

・墓場(然しこの女房の屍は遂に見付からなかつたので、仮葬式をしたのであつた)からの帰りに
(遠野物語では「便所に起き出でしが」)

・朧月(遠野物語では「霧の布(し)きたる夜なりしが」)
etc・・

でも決定的に違うのは
・兼ねてから女房と噂のあつた浜の男
ですね。
遠野物語では「自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通はせたりと聞きし男」

さらに、
・女房は一寸立ち止まつて後を振り向き、じつと夫の顔を見詰めたが、其のまゝ何も云はずに俯向いた。
(遠野物語では「振り返りてにこと笑ひたり。」)

・・たったこれだけで物語全体の印象が変わってしまうのは、不思議ですねえ。


『小説とは何か』で三島由紀夫は、遠野物語の中でまったく別の話(22話)をとりあげて、こういっていますね。
(この中で私が、「あ、ここに小説があった」と三嘆これ久しうしたのは、「裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくると回りたり」という件である。ここがこの短い怪異譚の焦点であり、日常性と怪異との疑いようのない接点である。この一行のおかげで、わずか一ページの物語が、百枚二百枚の似非小説よりも、はるかに見事な小説になっており、人の心に永久に忘れがたい印象を残すのである。)
参照http://home.cilas.net/yunami/monogatari/monogatarimisima.html" rel="nofollow">http://home.cilas.net/yunami/monogatari/monogatarimisima.html

「あ、ここに小説があった」とミシマが言ったわけですが・・
佐々木さんの文と柳田を比べてみると、おなじこと、言いたくなりますねえ。

事実はどうだったか、さらにいうと学問としてはどちらが正しいかは、わたしにはわかりません。
うう~ん。藪の中ならぬ、月の夜の霧の向こうの話になっちゃってますね・・
教えていただき本当にありがとうございました。

投稿: 美頬 | 2005年1月20日 (木) 08時23分

ただいま帰りました。

何だか悲しいお話ですね~。
もしも、もしもなんて考えたら切なくなってしまいました。

幽霊には幽霊の気持ちって物もあるでしょうし。

投稿: seurat | 2005年1月20日 (木) 12時56分

幽霊だった、ということにしないと遣りきれないですが、多分二人とも生きていて駆け落ちしたんでしょうね。

投稿: 佐山 | 2005年1月20日 (木) 14時49分

seuratさま~☆

おかえりなさ~い。石垣島はパラダイスだったことでしょう。
にっぽんの真冬に風邪、ひきませんように!

佐山さま~☆

>多分二人とも生きていて駆け落ちしたんでしょうね。

う~ん、こうきたかっ(笑
駆け落ちの計画をしていて津波に襲われたのか、津波にまきこまれてそのまま駆け落ちしちゃったのか。
・・ハリウッド映画そこのけのはなしですね!? 

そういえばもうひとつ、「子供は可愛くは無いのか」の一声が佐々木版にはないっすね。
柳田には文学がはいってて、佐々木さんのは事実だっけがのべられてて、でも真実はなんとなく、別にあるような、そんな謎おおきものがたりですね・・

投稿: 美頬 | 2005年1月20日 (木) 22時37分

・・・では、『遠野物語』は、いんちき話の集積か。あの本は石のように冷たく動かない事実で敷きつめられている。
 ほら話には、まったくの創作で実体のないもの、実体があってこれを大きくにぎやかにふくらませた誇大妄想、人をだますために改造してしまうペテン、その混合もありで、複雑である。
 遠野のそれは、事実をおもしろおかしく誇大にデフォルメして、炉端をにぎわし、寒く孤独な夜を笑いとばすためにある。誇大妄想部分をカットすれば、事実に敷石は姿を現すのである。
 これまで書いてきたように、遠野の物語にはたしかに裏があった。柳田はこの事実の敷石の上に、文芸性豊かな山村の叙情をうたいあげたのである。

・・・ところが喜善は、昔話の坩堝のなかで、伝承の申し子として生まれてきた人だ。彼の内部は話者の心と同質であり、物の奥に魂があることを信じこんできた人である。彼は話という無形のものを文字に定着させる時、話し言葉を書き言葉に転換させる際に不可欠な事実の本質をつかみとる方法を身につけていた。勝手に飛び舞うことはなかったのだ。

・・・伝承者佐々木の血を問題にする時、祖母のよの出た南沢という屋号の家にふれなければならない。・・・(中略)・・・この家の最盛期には、七番嫁ごまでいるという大家族であった。人里はなれた山中に大家族が同じ屋根の下で重なりあって生活していたから、近親相姦の深淵にはいりこみやすかった。
 二百年のうちに三十八人の首縊り自殺を出した呪われた家でもあった。最後の大正年間には長女の婿が、姉妹二人と関係をもち、このため同じ柿の木の枝に二夜、姉妹が首縊り自殺して村々に衝撃をあたえた事件があった。

※菊池照雄著 『山深き遠野の里の物語せよ』 より引用

 十代で嫁に行った娘トヨが、精神に異常を来すに至った理由も、こんな地方の習俗?に適応できなかったからなのでは、と私は思ったりしています。

投稿: | 2005年1月21日 (金) 01時40分

↑すみません。hiroでした。

投稿: hiro | 2005年1月21日 (金) 01時41分

hiroさま、(^オ^)(^ハ^)(^ヨ^)(^ウ^)(^ー^)ございます~☆

うう~ん、かさねがさね、
“日本のグリム”ともいわれた佐々木喜善さんのことを教えていただき、ありがとうございます。
しかし・・濃ぃ~ですね。犬神家もまっさおなどろどろの人間関係・・

>十代で嫁に行った娘トヨが、精神に異常を来す

第22話で、おばあさんのお葬式のとき「おばあさんが来た!」と叫んだっていうひとですね。
遠野物語は実在の人物・地名がでてくるので・・発表には、いくら当時とはいえ、気を使ったことでしょうね・・

柳田国男は、実はわたしが今すんでいるところにわりと近いところに生家があって、その弟子だったというひともまだ生きていたりするぐらいです。だからそちらの情報はわりと手に入れられやすいところはあるのですが、佐々木喜善さんのことは、よほどのマニアでもないとあまり知らないというか・・(^^;
佐々木喜善さんのこと、いろいろお教えいただきありがとうございます。

ところでhiroさま。
お詳しいですね~ さしつかえなければ、そのあたりのこと、お教えいただけませんか?
旦o(^-^@)~~~お茶でもドーゾ

投稿: 美頬 | 2005年1月21日 (金) 08時54分

遠野物語の世界に惹かれ、遠野をこの目で見たいと思い2回ほど彼の地を訪れました。
柳田国男が『遠野物語』を世に送った育ての親とするなら、佐々木喜善はまさに生みの親と言えるでしょう。
地元では柳田は勿論ですが、やはり郷土の出身であることから、佐々木への思い入れが強いように感じました。
「とおの昔話村」(だったかなぁ)に佐々木に関する展示コーナーもあり詳しく知ることが出来ます。
前のコメントで引用させて頂きました『佐々木喜善全集』も遠野市立博物館が編集・発行しており、私もそこで買い求めました。(持っているのは「Ⅰ」だけですが)
ということで遠野に行くと、いつもは柳田国男の陰に隠れて見えない佐々木喜善の姿を見ることが出来るのです。

投稿: hiro | 2005年1月22日 (土) 01時03分

hiroさま~☆

ありがとうございます。
遠野物語はわたしも中学校のころに読んで、深く魅せられました。
いつかその地にいってみたいなあ、なんて私もおもっていたものです。

物語を語り継ぐ、というのは人間にとって大切なことだと思います。でも佐々木喜善さんって、本当に興味深い人のようですね・・大切なことをお教えいただきありがとうございました。

投稿: 美頬 | 2005年1月22日 (土) 01時39分

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